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しあわせになりたい

しあわせになりたい
漠然とそう思って生きていたけれど、何が自分にとってのしあわせなのかが全くもって見えず、何を目標にすればよいのか迷ってばかりいた。

中学生の頃から、自分が結婚をする未来は想像もできなかったし、ましてや自分の遺伝子を持つ子どもを持つなんてことは、子どもがかわいそうだとさえ思っていた。その頃から、自分は人間として他の人々より劣っていて、何かを成し遂げるような才能も努力を惜しまない強い意志も持ち得ていない、不完全で欠陥のある人間だと思っていた。

ニュースを見ても新聞を読んでも、明るい未来を想像することができず、小説を読んでも音楽を聴いても、そこに表される強く幸せに生きる人間ではなく、弱く醜く卑屈な人物の方に感情移入していた。

いつも目の前には高い壁が立ちはだかり、登ることも叩き壊すこともせず、ただその前で立ち尽くし呆然と見上げるだけの自分がいた。
なんとかここから抜け出したい。だが、努力したとして失敗するのが怖くて動き出せない。ただただ平穏に静かに人の目につかないよう暮らしていきたいだけなのに。そんな弱気な考えで生きてきた。

戦後の高度経済成長を経てたどり着いた、飢えて死ぬことのないこの日本に生まれたおかげで生きていられるだけで、もしこの時代の日本に生まれていなければ、生き残る力もなく、すぐに死んでしまう人生だっただろうと確信していた。

負け犬の人生。見えないゴールに向かってただただ歩き続けるだけの、長い長い余生を送っている。周りを見渡せば、会社に勤めて好きな人と結婚をし、かわいい子どももできて、マイホームにマイカー、休日には家族で旅行。そんな絵に描いたようなしあわせを手にした奴らばかりに見える。そんな奴らにも悩みがあり、挫折を味わいながらも歯を食いしばってようやくそのしあわせを手に入れたのだろう。
ぼくは最初から諦めてその努力すらしていない。手に入れられなくて当然だった。そんな陽の当たる道を笑いながら歩く奴らを横目で見ながら、そんなしあわせなんて欲しくないとうそぶいて、薄汚れた裏通りをうなだれて歩く。

いつも何かに怯え、人の目を気にして何もできない。イライラしてクヨクヨして、ダラダラと惰性で生きていく。窓から飛び降りる勇気もない。

笑われて蔑まされ、相手にされず憐れまれ、世界中がみんな敵だとしか思えない。
そのくせ、周りからのおこぼれをもらいながら、生きながらえている。

惨めな人生だ。

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