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【第15回】JATO 日本人ATCリレー形式紹介企画:石井健太郎さん

先月は大貫さんの中身が濃いインタビューでしたが、今月は大貫さんからご紹介頂きました石井健太郎さんになります。

日本に帰国して間もない石井さんですが、グローバルに活躍されています。是非一読下さい!

何故ATCになろうと思ったのですか?

石井さん3

アメリカでアスレティックトレーニングの勉強をしようかなと思ったのは高校生の時でした。中学・高校とサッカー部に所属していたのですが、怪我が多く、病院に行ったり治療院に行ったりする中で自然と「治療」に興味が起きたのが最初の理由だと思います。

そこから「じゃあスポーツとスポーツ医学が盛んなアメリカに行くか!」という比較的単純な流れで決断しました。静岡県の加藤学園暁秀高校という学校でバイリンガルプログラムという、英語を日常的に使う教育を受けていたので、渡米するのも比較的自然な流れでした。

渡米した最初の1、2年は自分が日本で思い描いていた「トレーナー像」とアメリカで活躍するアスレティックトレーナーとの差に強い違和感を感じていました。

治療、リハビリ、運動指導に強い興味があった為、「もしかしたら自分がなりたいのはアスレティックトレーナーじゃ無いのかも」と思いはじめ、DO(Doctor of Osteopathic Medicine)やDPT(Doctor of Physical Therapy)に興味を持ちました。これらの職の方が自分のやりたい事ができるのでは?と思い、大学3年生位から大学卒業後はDOとPTの学校に進学する事を考えていました。

しかしその後、大学での実習やインターンシップを通し、結局自分が興味のあることは大きな枠組みで考えると、人間の体、ヘルスケア、そしてサッカー・スポーツであり、職業や資格に固執する必要はないのでは無いかなと言う事に気づきました。

アスレティックトレーナーへの思いの紆余曲折はありましたが、「職業」よりも「何が出来るか」というもっと根本的な部分に着目してからは、自分の目指すヘルスケアが主流と違っていても本質を捉えているならば進んでいこうと感じたのを今でも覚えています。

石井さん1

学生、社会人時代に、印象に残っている出来事はありますか?

印象に残っている事は沢山ありますが、学生時代の出来事とアスレティックトレーナーとして活動する中での出来事を1つずつシェアしたいと思います。

1つ目は大学1年生の時、実習先として配属されたTexas Christian Universityの野球部で、オフシーズントレーニング中に選手の1人が倒れた時のことです。

意識もあるか無いかよく分からない状況に遭遇し、まだ大学1年生だった自分はオタオタしていましたが、その状況を冷静に対処するスーパーバイザーに感銘を受けたのと同時に、「アスレティックトレーナーが対処を間違えると人が死ぬ事があるかも知れないな」と初めて感じた瞬間でした。

2つ目はMLSのスポルティング・カンザスシティで働いていた時のことです。2014年シーズンからヘッドアスレティックトレーナーとして働くようになり、部署をリードする中で今までは考えなかった事を考える機会が増えました。

部署にはどれくらいのスタッフが必要なのか?どの専門家やドクターと提携するのか?スタッフの育成はどうするのか?予算は?というトピックと対峙していく中で、ヘルスケアは一人でやれるものでは無いな、と改めて認識しました。

「自分が解決できない問題は他の人が解決できれば良い」と言うと、人任せのように聞こえるかもしれませんが、今でも大切にしている価値観の一つです。ひとりでやるよりチームでやる方がケアする相手の為にもなります。

石井さん4

現在の仕事内容を教えて下さい。

今年2月に10年間所属したスポルティング・カンザスシティを辞め、現在は日本で14年ぶりの生活が始まりました。最低でも1年間は移行期間と捉えているので、今は集中しているプロジェクト毎に仕事内容や日々が変わります。

日本ではチーム所属ではなく、個人でクライアントに対して運動療法をメインにセッションをしたり、ヘルスケアやウェルネスに携わる人達、またはスポーツ現場でコーチ達が抱える問題を解決するためにコンサルティングをしたり、講師として所属するPostural Restoration Institute(PRI)のコースを日本で提供したりしています。

また、アメリカサッカー協会に男子サッカー代表のアスレティックトレーナーとしての仕事を頂いているので、代表チームが活動する期間はアメリカ代表チームに帯同しています。

帯同時はヘッドアスレティックトレーナーとして、アシスタントやドクターと共に代表選手に対するケアをしたり、コーチと連携をとり選手状況に合わせて練習量や強度を調整したりしています。

代表期間前は代表招集がかかる可能性のある選手の所属クラブに連絡をとり、選手それぞれの状況や招集期間中に継続して欲しいケアなどを確認します。

また代表期間後は選手の所属チームに期間中の選手状況をレポートします。代表チームは選抜チームなので、スポルティングに所属していた時とはまた違った仕事内容であり、選手・チームとの関わり方となっています。

日本に移住したのですが、この半年は海外に出ている期間が長かったため、日本での活動は少しずつゆっくりと、という段階です。

石井さん2

現在の1日の流れを教えて下さい。

仕事内容でも述べた様に、プロジェクト毎に1日の流れが決まる毎日です。日本にいない時もありますし、家から仕事ができる日もあります。

ただ以前から「夕飯は家族揃って」というポリシーがあるので(笑)、夕飯時には家にいます。家でできる仕事は家でやるというスタンスです。代表期間中は基本的に朝から晩まで、夜中の3時でも選手・スタッフになにかあったら出動です。

石井さんにとってJATOとはどのような存在でしょうか?

凄いポテンシャルを秘めている団体、そしてプラットフォームだと思っています。NATAとの関係もそう思う理由の一つなのですが、なによりもアメリカでアスレティックトレーナーになった日本人は面白い人がいっぱいいます。(笑) 

母国の外に出るというメンタリティ、国内国外で色々な経験をしている人達、現場でバリバリな方や研究職につく方、視野がものすごく広い方、職人気質な方、様々な日本人アスレティックトレーナーに出会ってきましたし、これからもきっといろんな出会いがあるはずです。そんなアスレティックトレーナーの団体なのですごいポテンシャルがあると思っています。

今後、所属する人の能力を引き出すような団体、アスレティックトレーナーが必ず入りたいと思えるような団体、そんな組織に変わればな、と願っています。

JATOに加入するメリットを教えて下さい。

以前JATO会員だった時は加入のメリットが何か正直わかりませんでした。日本に帰国したのを機に再入会したので、メリットはこれから把握したいと思います。また、メリットを作っていけるような団体になる様、関わっていければと思っています。

これからATCを目指している学生にメッセージをお願いします。

資格取得はひとつのマイルストーンに過ぎず、大事なのはその資格を取得して「何をするか」です。

なので「自分は何をしたいのか」というビジョンを常にもってキャリアを積んでいって欲しいな、と思います。ビジョンがすぐクリアになる人もいれば、今は全然わからないという人もいると思います。

キャリアの進み方もやり方も人それぞれ。最短距離走る人も、寄り道が多い人もいますが、楽しみながら進んでいって欲しいです。

石井さん5


【編集後記】石井さん、貴重なお話ありがとうございました。学生時代から様々な事を考えそれを実行に移し、現在も精力的に活動している姿本当に素晴らしいと思います。次回のインタビューは、先日JATOがリリースしました熱中症の記事を執筆して頂いた方を紹介頂きました。是非楽しみにお待ち下さい!

この記事は、以前JATOウェブサイト、およびJATO公式フェイスブックページに掲載したブログ記事を再編集したものです。

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