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Power of Love ハウスミュージックが熱かった90年代のNY

現在のアメリカ、およびNYは選挙後の対立やら不正投票疑惑問題やらコロナ第二波やら市長VS州知事の対立やらで、サンクスギビングと言うホリデーを前にしながらも、未だにどこかしら混沌とした状態だから、今日はそんな現状から少し頭を外して古き良きNYカルチャーを遡ってみることにする。

私が初めてNYに来る前に、自分の中に入れていた90年あたりのニューヨークカルチャーというのがいくつかある。これらが私にとってはこの街に来る前の最初のイメージだった。

最初といっても、厳密にもっともっと遡れば、初めて何となくアメリカという国のカルチャーやNYという場所を意識したのは、今もこちらのCatoon Networkで時々放映されているハンナ・バーベラプロダクション(創始者の一人ウイリアムハンナがなくなった後はワーナーブラザースに吸収された)に代表される50年代から70年代ぐらいにかけてのアメリカで人気だった古いアニメやドラマの再放送だった。今や国民的なクラシックアニメのTom とJerryに始まり、フリントストーンやチキチキマシーン、スクービー&スクラッビードウー、クマゴローの大冒険やドラ猫大将(Top Cat)など、このプロダクションは当時の名作を沢山生み出している。

そして、今や登場人物の名前が日本のブランド名にまでなってしまった人気ドラマ、奥様は魔女とか、ものすごく古いドラマだとファミリードラマのニューヨークパパなんかに見るような、平和でどこかおとぼけだったりもするけど、日本に比べると何となく明るくて近代的なイメージもあった。

もちろんそれ以外の70年代や80年代の大人なアメリカのカルチャーにも個人的にはかなりどっぷり影響を受けていると思う。

ただ、実際に海を渡ってNYに来た時期の前に、比較的熱心に追いかけていたカルチャーとなるとやはり90年代前半辺りからの文化になるかもしれない。ちょうど映画の世界だと、タランテイーノとかが脚光を浴び始めていた時期だった気がする。

そんな中で、私が一時ものすごくはまっていて、当時は歌舞伎町にあったLIQUIDROOMにまでライブを見に行ったりしていたことがあるハウスミュージックのDeee- Lite(初期はDee-Lite)というユニットがある。彼らは人種が違う三人組が作ったハウスミュージックのグループで、その違いが仇になったのか、結局アルバム3枚で活動を休止してしまったのだけれども、当時の彼らのコンセプトは正しくNYそのものだったのではないかと今更ながらに思う。

まず、ヴォーカルの美人でゴージャスな歌姫、アメリカ人のレデイー・ミス・キアは、17歳の時にピッツバーグからニューヨークにテキスタイルデザインを学びに出て来たにも関わらず、2週間で断念。その後はクラブなどの雑用やゴーゴーダンサーなどのバイトをしていたところ、ロシア人移民で、元々はクラシックを勉強していたのになぜかロックとダンスミュージックが大好きだったDJ デイミトリー・ダデイー・Oと出会い「Deee-Lite」を結成することになる。

その後、当時NYのパーソンズという美大に留学中だった日本で生まれ育った韓国人のDJ トーワトーワ(現在のテイ・トウワ、元々は坂本龍一氏のサウンドストリートというラジオ番組の一般応募のデモテープを流すコーナーで有名になった)が加わり、改めて3人で活動を始める。

そして、90年にリリースされたアルバム「World Clique」がデヴュー作になるのだけど、その中のシングルである「WHAT IS LOVE/GROOVE IS IN THE HEART」が全米や全英のクラブミュージックとして大ヒットし、環境問題やセーフテイーセックスなどの社会的なテーマの入った2作目もリリースしたが、その後にDJ トーワトーワが抜けて、DJエイ二が参加し、レイヴカルチャー色の強い3作目「Due drops in the garden」をリリースした後、結局はグループは解散してしまう。(テイ・トウワ氏はグループ離脱後に活動の拠点を日本に移し、音楽プロデユーサーとして今も健在だ。)

だから実際の活動期間はそれほどは長くはないのだけれども、彼らの存在は、ある意味で嵐のように去ったとてもインパクトのある初期のハウスの中のオリジナルなダンスミュージックだったのではないかと思う。

そのおしゃれでサイケデリックなヴィジュアルイメージもそうだけれど、やっぱり何よりNYな感じだったのは、3人ともが多国籍な上に、てんでバラバラな個性、というのが彼らの一番の特徴だったからだ。その中で生まれたこういう明るくてノリのいいサンプリングアレンジのダンスミュージックがDee Liteをみんなの人気者にしていった。彼らの最初のPVは、テレビ局出身で、当時オシャレ映像作家の走りと言われていた日本人の中野裕之氏が担当して話題にもなった。そして、ポップでサイケデリックなダンスミュージックを作っている彼らのインスピレーションの根源は、元祖ファンクミュージックの継承者である筋金入りのファンクミュージシャンのジョージクリントンや、元ジェームスブラウンのバックバンドのベーシストのブーツイーコリンズを始めとした音楽集団であるPファンクだったりして、実際にデヴューアルバムにはブーツイーコリンズもゲストに呼んでいたりする。(Groove is in the heartのPVの最後の方でチョロっとしゃべっているファンキーな黒人のおじさま)

60年代のサイケデリックなイメージも併せ持つ彼らのポップでファンキーなサンプリングサウンドは、こういった幹の太い60年代から80年代のファンクミュージックの影響が土台にあり、その独自なコラボ感は、当時は非常に斬新で、おしゃれで軽快だけど歌詞をよくよく聞いてみれば、単にそれだけではないある意味で力強い社会的な視点や世界に向けてのポジテイブ感が伴う感受性のようなものも感じさせる辺りがまさしくNYではないかと私は思っていた。

だから、こんな風に全く違うバックグランドから来た3人が、音楽を通じてその違いの中から何かをシェアして新しいものを作って行くことや、その姿をみんなにアッピールしてその音楽が世界中で愛されることに当時の私は本当にワクワクした。こういうのが、世界から人種の垣根を取り払って平和を作って行くためのすごく重要なアッピールに結果的にはなろうとしていたんじゃないかなあって今考えれば思えたりもする。「World Clique」というアルバムタイトルも、まさにそのままだ。

だから、現在、コロナに引き続いて起こってしまっているこの国の意見対立や政治差別問題、見えないカースト問題、人種差別問題などが表に出てきているこの動乱の時期に、改めて彼らのサウンドを聴き直してみると、やはりダンスミュージックを通して世界が一つになることをすでにこの時期から彼らも願っていた気持ちがどこかしら強いメッセージとして伝わって来るのが改めて心に染みるのだ。

何もかも忘れてみんなでDanceすること、みんなでGrooveすること、そして愛だけが本当に全てを変えるはずの何よりも大きな力なわけで、それによって色々な障害を越えてみんなで仲良くなれたりもする。ものすごくシンプルだけど、そういうスピリットこそ、今のアメリカに本当に必要なことなんではないだろうかと思う。

この曲、Power of LoveはリミックスヴァージョンのポップでオシャレなPVもあるのだけど、やっぱりオリジナルヴァージョンの曲を聞いて欲しいので、画像は動かないアルバムジャケットだけだけど、こっちをアタッチします。





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