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生まれ故郷の長野へその②

故郷の長野から帰ってきてもうすでに1週間以上経ちました。

地元長野に帰った時必ずと言っていいほど立ち寄っているところは実家から徒歩圏内にある秘境の温泉と小布施。

実家は山の中にあるのだけれど、最近まわりが空き家だらけ。小さい頃よく遊んでもらった近所のお姉さんの家も空き家。隣の家も空き家。たぶん私が育った家もいつか空き家になってしまうのかな。

兄は地元に戻ってきて住んでくれたけど甥っ子は秋に結婚して長野市内に部屋を借りて住んでいるけどゆくゆくは長野市内に家を建てたいと言っているらしい。

昔は長男は家を継ぐものだと親たちから刷り込まれて大人になったからそのように従っていたけど、今の時代もはやそんな親の権力なんて無だ。

余程の魅力がないと住んでくれないんだな。そして集落は消えていくんだ。

田舎を求めて都会から移住する人もいるんだからやり方次第なのかもしれないけど。

というのは住民は居なくなる一方なのに秘境の温泉は地元民が泊まれないくらい高級な旅館になっているのです。

私は兄とその温泉旅館の敷地内にある茶房まで散歩してコーヒーをいただいてきました。

おもてなし素晴らしく見える景色も自然がいっぱいでこの時も紅葉が素晴らしく。都会の人にとっては最高の癒やしの場所だと思いました。


⬆こんな魅力あふれる素晴らしい場所が徒歩圏内にあるのに、集落は空き家だらけってなんだか虚しすぎます。


一方では、
実家から少し離れたところに小布施というまちがあるのですが小布施は母の実家があるので小さい頃よく連れられてきました。長野電鉄という2両編成くらいの東急かどこかからのお下がりの小さな電車が走っていて須坂から都住(小布施の次の駅)まで電車に乗るのが楽しみでした。
 
ちなみに母の実家は岩松院の近くだったと思います。(葛飾北斎の天井画があるお寺)

当時から栗を作っていたとは思うけど特に観光地でもなんでもなかったと思うのです。

ちなみに小布施の小学校の名前は「栗ケ丘小学校」だったような。

いつからこんなにも素敵なまちになったんだろう。

誰かがこの栗で町おこしをして観光客が集まるまちに変えようと頑張った人たちがいたからこその今があるのだと思うと開拓者ってやっぱり凄いって思うし、それに協力した人たちがいたからこそ今もなお潤っているのだと思います。

何故私が小布施大好きかと言えば歩いて回れるくらいの規模のまちだから。

訪れるたびに観光客が増えて新しいおみせが増えています。

小布施は本当に観光地化に成功した例だと思いますが、本当に何から何までお洒落で可愛い。

そんなまちへ、私の実家の目と鼻の先に住んでいた幼なじみのTちゃんは小布施へ嫁いだのです。

今まで小布施で会うなんて全然思いつかなかったけど今回私に声をかけてくれた同級生のYさんがTちゃんに声かけてくれて小布施で再会できました。

40年ぶりの再会のYさんと22年ぶりのTさんとの再会。

小布施のまちを案内してくれました。

長くなってしまったのでその話はまた今度別のnoteに書きたいと思います。

長野県、素晴しいところたくさんありますね。離れて随分と年月が経ってからそう思えるようになりました。

私の地元は北信。長野県はとても広いのでまだまだ訪れたことないところたくさんあります。

また帰りたい。
また友だちに会いたい。

離れていた時間を今から取り戻したい。

どんな展開が待っているのだろうか。来年もまた訪れたいです。


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