「いま自分に呪いかけてない?」と思った瞬間に潜む『アンコンシャス・バイアス』

クローゼットに眠らせてしまった大好きな服。なぜ眠らせてしまったのか考えたら、そこにはアンコンシャス・バイアス(無意識の差別)がありました。

「もう流行りの形じゃないから」「いい年齢の女性なんだから」…そう思って、選択肢から外してしまうことはありませんか?

私たちは服だけでなく、人生においても「もうこんな歳だし」「子供もいるし」と自分で自分の可能性を潰し、呪いにかけているかもしれません。

今日はそんなことについて考えてみました。

ドレスのような膝丈ワンピース

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23〜24歳くらいのときに着ていた、リバティ柄の膝丈ワンピース。私はカントリーテイストの花柄が好きです。『赤毛のアン』や『若草物語』のような雰囲気が近いイメージでしょう。

リバティ柄の膝丈ワンピースは、まさにそれを体現したアイテム。

ダーツの入った身ごろは私のスタイルをよく見せてくれて、ウエストはリボンで細くすることもできます。スカート部分は少しボリュームがあり、太ももを上手に隠してくれるのです。着るだけで、簡単に私を『上品な気持ち』にしてくれる素敵な服なのです…。

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そんな素敵なワンピースを、実は5〜6着ほど持っています。私が布地を選び、裁縫好きな母が作ってくれました。

20代の初めの頃は毎日どれかしらを着回していたのに、今では登場する回数が少なくなってしまいました。


クローゼットに押し込めた差別意識

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ワンピースであれば比較的丈の長いもののほうが、今のファッションに合っています。また20代後半となった私はショートパンツ以外、で膝丈よりも上を人目に晒すことはほとんどありません。

「膝丈ってイマドキではないよね」
「もういい年齢なんだから『少女らしさ』からは卒業しなくちゃ」
「パートナーと『パートナーにみえる』装いをしなくちゃ」

そんなことを考えているうちに、素敵な膝丈ワンピースから手が遠のいていきました。

もちろん、年齢を重ねるにつれて、相応の振る舞いや装いが必要なシーンは増えていきます。

でも『必要とされてないとき』まで、世間体を背負う必要はあるのでしょうか?


私は『私自身』を呪っていないか?

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『●歳』の『女性』として相応しくなければならない。
(イタくならない格好をしなくちゃ)

女性雑誌でも度々見出しに登場し、同世代の女性同士の会話にもよく出てくるこの価値観は、呪いそのものです。

場面に応じて、立ち振る舞いや装いを考えることも大人として必要なこと。でも必要以上に自分を縛ってしまうと、人生の選択肢も狭めてしまいます。

「もうこの年齢だから新しいことに挑戦なんてできない」
「ましてや30歳も近いのに大学に通うなんて」

ジェンダーや年齢を理由に、選択肢を狭めてしまうのは、世間体や社会の中に差別的意識があることを少なからず知っているからではないでしょうか。

それはアンコンシャス・バイアス(無意識の差別)と呼ばれ、世界各国でそれぞれ問題となっています。

特に日本ではジェンダーによる役割や、年功序列からくる年齢へのイメージが根強く、『世間体』として蔓延っています。

一方で、人生100年時代といわれているなか、30歳なんてまだ人生の半分も生きていないのに自ら生き方を規定してしまうなんて…!
(あまりにも勿体ないのかもしれません。)


本当は『なんてことはない』こともある

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夕飯の買い出しに出かけようとしたときにふと、あの『膝丈ワンピース』のことが頭によぎりました。

どうせ30分程度の外出で、出かけるのは近所。街の人たちも、いちいち私のことに目もくれないだろう…。
そんなシーンなら、あのワンピースを着てもいいんじゃないか…。

着てみると、やはり私の体型を綺麗に見せてくれる。なによりも、素敵なリバティプリントに心が躍りました。

なんてことはなかったのです。過剰なまでに気にして、自分自身を呪ってしまっただけのこと。心躍ったこの感情こそが、私が大切にすべきものだと気付きました。

大人になるにつれて、自分の『好き』だけを通せるシーンは少なくなるけれど、可能なときは自分を『好き』で包み込んであげたらいい。



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