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勉強して学ぶ事よりも、実際にやってから味わう力の方が大きいんじゃないの?断られ続けて私が見えたもの。コンパス オブ マイハート♡


大変だった時に
何か分からないけどやり続けた事があって...,。

やり続けたら先に何かあるんじゃないかって、
何か見えるものがあるんじゃないかって。

そのなんか分からないけど...。に突き動かされて

それだけで動いた経験って 
皆さんはありますか?




自信がつくのも実際の成功体験。
その成功は大きくても小さくてもさほど変わりなく、
なんか一回り大きくなったなって、
ちょっと大丈夫のポイントが貰えた様な感覚。

経験値として。

関所、関門みたいなものをクリアした感じなのか...
成長体験って自分の心の中のバッジ。

まるで、このノートバッジ機能みたいに
行動の先にどんどんプレゼントを貰える
そんな感覚 私みたいな初心者には毎回褒めてくれることが何だか嬉しく。

小さな自信になっています。

・   ・   ・

乗り越えたと思えた時って

自分自身の内側にある枠を外せた時
自分で作った枠を外せた時

できるかな、だめかな、
その枠を外していけた時

それが、自信に繋がり、重みと深み、軸として
次の行動に変化をもたらせてくれます

そうはいっても、、、
辛いものは、辛いのよ...
味わっている渦中は。。。

書棚を整理していた時に懐かしいアルバムに見入ってしまいひとつ思い出した事があったので綴ってみようと思いました。若かりし頃の留学時代
オーストラリア遊学

外国の歯科医院を見てみたくて

職探しをして、2ヶ月間

片っ端から断られ続けた体験です。

書いてたら止まらなくなって夜中!

長いけど良かったらお付き合いください♪

…………………………………

1. 外国に憧れる

…………………………………

25歳の時ワーホリで1年程オーストラリアに住んでいた事がありました。滞在先に選んだのは西オーストラリアはPerth。

東京で5年程勤務、仕事も慣れていた頃
妹達が華やかな世界で楽しそうにしているのが
羨ましくて、羨ましくて、外国に住んでみたい。
そう私の心がわさわさしてきました。

1980年代半ば
「スチュワーデス物語」というドラマがあって

『ドジでのろまなカメ 
松本ちあき がんばります!』

そのドジでノロマなスッチーOJTが
教官との恋愛がらみで一人前のCAに成長していく、
視聴率毎回20%越えの 火曜日20時〜。

一緒に見ていたけど、それは面白かったけど、2人の妹達が揃いも揃ってあれに憧れ、本気で憧れ、本気で目指し、留学に行っちゃってそのまま
本当に2人とも航空会社に入社してしまいました。

因みに娘も

「アンサングシンデレラ』に夢中になっていて

本気で医療の道へ進もうとしてるっていうから
人の進路にまで影響を及ぼすってTVって
凄い...。。


珍道中はあったけど妹達が夢を叶えていくプロセスを見ていて、いや、凄いなぁと思った。

妹達のキラッキラした話を聞いていると
なんだか楽しそうで楽しそうで
羨ましいのと、ついでに劣等感もjoinして

無性に外国で暮らしてみたくて、
仕方がなくなってきました。



当時、私は歯周病専門医院にて仕事をしていて予防医学では最先端、北欧はスウェーデンのイエテボリ大学研修の話題がちらほら。

『悪くなったら治してもらう』
日本の、保険治療体制と、

『自分の歯は予防しながら守っていく』という患者さんのそもそもの意識がまるで違う事に当時から凄く関心があって、

妹達の事も絡んでどうしても海外に行ってみたく
たまらなくなっていました。

そんな海外の話題がチラつく24を迎えようとしていた春先。ワーホリで1年働きながら学べるシステムがある事を知り

年齢制限が25歳までとギリギリのところで
行くなら今年しなかないと焦りを覚えつつ
仕事のキリをどこでつけようか

行きたい、でもな、仕事大丈夫かな、
お金足りるのかな、、

不安は常に付き纏い、迷いに迷い
今しか出来ない事は。今だけなんだ。
と言いつつも、心の本音に
アクセルを踏んでブレーキをかける日々

でも決意して、進み始めたら、、
なんと旦那と出会ってしまって.....。

・ ・ ・

なやみましたよ?恋をとるか、夢を取るか?
当時は笑

今しかないよなぁ、、、
行ってみたいなぁ...
でもどうしようかなぁ、、

行きたい気持ちは増すばかりで、でも、

もう以前から直感タイプの私は

心のコンパスはLet's Go

冒険の旅に出よう!で

しょうがないのよ 〜‼︎


揺れに揺れにゆれましたが、

付き合って3か月もたたないという時でしたが
留学に行ってしまいました。 
やっぱり今しか出来ない事だったから。

縁があればきっと繋がっているはず...そう信じ込んでお互いの納得のもと

数々の手続きをこなしていき
オーストラリアに飛び立って行きました。

……………………………………………

2.心のコンパスだけを頼りに初の海外生活

……………………………………………


外国生活を味わってみたい。
思い切り自由にやりたいことやってみたい。

とりあえず4つの目標だけ胸に抱いて、、

1英語が喋れるよう
2歯医者で働く
3免許をとる
41周する


行ってからは

・語学学校へ通って〜
・ホストファミリー宅でいやされ〜 
・毎日がお祭りの様な日々〜
                     ・いよいよ一人暮らし部屋探し〜


もう出会いと沢山の驚きと奇跡の体験の連続。

3ヶ月を過ぎた頃温かいホストファミリーとの別れを惜しみつつ一人暮らしの部屋探しに2週間程要し、City Beach というインド洋の海沿いエリアに新居が決まり、オージーの女性とのシェア生活が始まりました。

そして、大変長らくお待たせしました!!笑

ここからです!

私の流れがストップし始めたのは...。

・  ・  ・

平家の住宅は20代女子2人が住むには贅沢過ぎる
空間ですぐお隣にはこぎれいなスーパー。
徒歩1分で行き来出来る冷蔵庫がお隣にある感覚のもう、恵まれ過ぎた環境。

シェアメイトのオージーのカイラは髪の長い長身のスラッとした女性で
一見キツそうにみえるけどオフィス街でネイルサロンを開いているキャリアウーマン。私のこれからを話すと気に入ってくれて色々応援してくれる
姉さん的存在でした。


ググったら当時のそのままの景色!
赤瓦の。なんだか沖縄みたい

お隣がスーパーという恵まれた立地!
向こう側は真っ青のインド洋

・   ・   ・

お隣で買ってきたスワンビールを飲みながらこれからの事を考えて乾杯。

オーストラリアの歯医者で働いてみるという
チャレンジ。20代中間地点の私はどんな事が待ってるんだろうと期待にワクワク。

確か週2回だったと思う。
新聞見開き2ページ分employment のページが
あって求人広告をドキドキしながら眺める。

Dentistの所からピンと来たもの
先ずは電話してみた。

電話でのメッセージもカイラに書いてもらったから
オージー訛りの英語の使い回しに違いない。
準備はバッチリ。

1軒目に連続してみる。
『Hello I’m colling about a job you had…・・・

すぐさま受付の女性が対応。
外国人だなと分かった様であーha〜、あ〜ha〜と
親身に聴いてくれているのが分かる。
早速アポイントが取れラッキーと喜ぷ。

ついでにもう1件、またもう一件・・・
次々と面接のアポイントが取れていく。
さーて、どこの歯医者にしょうがなぁという感覚だった。

面接1件目

閑静な住宅地にある歯医者さん。
温厚な雰囲気の50歳位のシルバーグレーの
カッコいい先生だったと思う。

初めての経験で緊張している事
あまり英語は上手じゃないんだけど
やってみたいという気持ちがある事。
等を告げ、

国家資格のライセンスシートを
見せながら先生に想いを伝えた。
柔らかいものごしで頷きながら聞いてくれた後

『どの位働けるのかな?』と。

そう聞かれて私は一瞬止まってしまった...,
ビザの関係上、どうやっても半年しか働けない...、
12ヶ月の内、既に3ヶ月を語学学校で使ってしまい
3ヶ月は大陸1周の旅に使いたかったからだ。

「harf a year.....』

小さな声で苦笑いしながら伝える。

一通り面接が終わると
また採用の結果を連絡しますと告げられ
病院を後にした。

・  ・  ・

そう言えば、就職というものに対していわゆる就活みたいな 後から結果が来るという事は実は**
**初めての経験
で、

今までは引き抜きや紹介だけだったから
こうやって連絡を待つ、という事に対して
何とも言えない複雑な心境がでてきました。

2軒目、補綴科の先生。


オーストラリアでびっくりした事の一つに
日本の標榜科目が
歯科、小児歯科、矯正歯科.歯科口腔外科
この4つに対し、
保存、補綴、歯周病…・・・
とにかく細かい診療に合わせてそれぞれが連携しあってる事。
肉じゃがを作るのに、
切るのはここでやって
炒めるのはこっちで、
味付けはむこうの台所、みたいな。

診療費用もそれなりに高く
これでは虫歯になったら支払いが大変。
予防に意識が向くのも分かる。

補綴(ホテツ)の先生も明るく朗らかで
日本の衛生士が来たのは初めてだよ!
なんて両手を広げて歓迎してくれ

一通り話した後、院内を見せてくれた。
使っている薬品、材料、全部見覚えがある。
GCに、many、CAVO、3M.
おーーっ、日本製も遥々オーストラリアへ...

何から何まで見覚えのある製品ばかりで懐かしい。
また連絡するよ、と言われて病院を後にする。 

3軒目保存科

小太りな先生で、診療まで見せてくれた。
根管充填、根充。(神経を取った後の管を密封していく治療) .。一緒だ、。
アクセサリーポイントが入った見覚えのある緑の箱、これも一緒だ。
私、出来そう...。

3ヶ月以上、久しぶりに見る治療や製品に
なんだか随分働いてないなぁと懐かしく思えてきた。
働いてみたい、 と想いは募る。

やはりまた、連絡待ちとの事。

1週目はは5軒程アポを取り面接。

はぁ、、こんなにも職探しで時間を費やした事など
初めての経験だったから、焦りがでてきた。

そして自宅に戻ると1通の封書が届いていた。
綺麗な用紙で

一件目の歯医者だ!
あの穏便な先生!!
採用の連絡、


Was unsuccessful....

え、、ダメだったんだ...。1軒目の先生。

ショックだった。
割りかし何処でも働けていた状況だったから
尚更断られるのがショックだった。

しばらくボーッとしながらまたお隣のスーパーで
ビールを買い、この手紙を見ながら暫く落ち込んだ。

でも次の補綴の先生は
両手を広げてくれてwellcome って
迎えてくれたよなぁ。大丈夫かなぁ。

結果ここも、封書が届き
Unsuccessful 。

診療を見せてくれた保存の先生も
同じく。不採用。

1週間で5軒の就活など
今の学生からみたら何言ってんの?
という感じだと思うけど
でも当時の私は、病院を選べる様な環境にいたので、初めての経験だった。

……………………………………

3. 差別に合う

……………………………………

また新聞に目を通して病院を選ぶ。
もう何度も口にしている、見なくても暗記してしまった面接の申し入れ。
2週目は電話で断られる事も多くあり
面接してくれるだけでも有り難い状態に
なっていた。

その週はsouth Perthの海が見える綺麗な病院だった。受付に行くとあまり愛想のよくない女性スタッフが上目遣いで出迎えてくれ、履歴書とライセンスシートを渡すと片手でその辺のカルテの上に
ポンと置かれた。

間も無く診療室に通される。
女医の先生がユニットに手をかけて
立ったままの状態で話始めた。
見るからに冷たい面持ちだった。

何しに来たの?
何ができるの?
どれだけ出来るの?
どの位働けるの?

淡々と質問は続き、
出来る限りの英語力で頑張って話してみる。
でも、何か。かみ合わない、
気持ちが乱れる。

その程度の英語で仕事が出来ると思う?
また鼻で笑われた様で萎縮してしまう。

そして履歴書とライセンスシートを
私に突きつけるように

『半年なんかの為に雇えるわけないでしょう?
yellow  jap.』そう言って

話にならないとばかりに私に履歴書を
はいって突き返してきた。
周りにはスタッフもいて、哀れんだ様な目で
私を見ているのも分かった。

何がよく分からなかったけれど
その、何か。場の雰囲気が、
差別をされているんだという感覚があった。
スワンlakeが綺麗に見える診療所だったけれど
そんな景色が一瞬にしてモノクロに変化した。

………………………………………

4. 暫く何も出来ない日々と怒りが湧いてくる日々。

………………………………………………… 

それからというものの、精神的に大きく揺れを感じる様になって、不安定極まりなくなった。

電話してみるものの、アポイントがとれる事が
殆どなくなり、電話してみるもの、西オーストラリア州立新聞には
この西オーストラリア全体の就職が全て載っている事に気づかず、

「あなた何処に住んでるの??
あら〜そこじゃうちの病院には
飛行機で通勤しなくちゃならないわね♪と、
住所すら見ないで電話する状態。
可愛げな年配の声の受付の方のツッコミも
あぁ、そうですね、、ってじゃあと
切るだけだった



自由を味わいに来た、私は。
海外で働いてみたいという期待と共に。
3週間も仕事を探して、電話をかけて、面接に行って
ことごとく断られる。

自由なのに、、。
時間はたっぷりあって好きに気ままにできる。
何処へでもいける。私にはゼロからなんでも
スタートが出来る状態なのに
全く自由さを感じる事なく不安が押し寄せる。

私の思考は、私をどんどん
頭中だけの考えに狭く狭く閉じ込めて行きました。

どこにも属さない自由なはずなのに

・必要のない
・差別される
・無価値感
・孤独

もうありとあらゆる事を
自分の内側だけで空回りさせていきました。

心を見るという事に慣れていない
当時そんな事をする事など全く無かったから、
ただただなんでこんな状況になるんだと
悲観し続ける日々。

そして、だんだん怒りも湧いてきました。
何かわからないけど、どうにもおさまらない怒りが
立ち上がってくる。

◆(*怒りは1次感情で表向きのものです
 根底にあるのは、表に出さなかった悲しみです

自暴自棄の状態に落ちいってしまいました。

ふらふらと歩いて5分のビーチに行ってもこんなに真っ青なインド洋が広がっているのに私の目から見えるその色は


色あせて見え『就職ができない』

この現状に囚われて

考えの箱の中に閉じ込めていました。

囚われという漢字は正に
人が閉じ込められてますよ...,ね。

この箱を作ったのは紛れもない自身なのに。

そうやって 
自分を無価値感に追い込んでいきました。

1人泣いたり...。自分の人生をあらゆるところでドラマティックに悲観的に脚色していきます。

そして今ならそういう状況を作った意味もわかります。自ら作っているという事。

それが、実は
人生を生きるという意味、
そのものだから。

一回枠を作り

それを壊していく道のり

一度自分の人生を【自我で複雑に】していき
それをまた紐解いていく様なもの。

………………………………

5. この課題はなんなのか?

………………………………


目の前の課題をクリアにしていく
ただただ、これだけの様に思う

そして出会う人達の間で味わう感情
どんな感情も

これを味わう為だけに。。

・  ・  ・

友人からは日本居酒屋のバイトがあるから
やらない?とか、カフェの話も沢山きました。
ホストファミリーのママにも食事に誘ってくれ
話を聞いてくれました。

カフェで働いたらすぐにお金はもらえる。
居酒屋で働いても、料理は得意だから
きっと何かの役には立つだろうし。
でも、私の中の、何か、は違うのだ。
そっちへ向かないのだ、、、。

よくもまあ、こんなにとっておいたもんだと
思うけど、

不採用の連続で、、

1ヶ月過ぎても同じ事の繰り返し。
後にも先にも就活はこの時だけで、
悲しいけど、何かわからないけど
突き動かす自分がいました。

お金もだんだんなくなってくる
不安感も付き纏う。

どうせ今何にもないし、
どうせ、自分なんて大した事ないし....。


でもそうやってだんだん
慣れたというのか、いや、なんか、

どうせ自分なんて大した事ないから
何でもやっちゃえ。
という小さな吹っ切れた感じが何処かで芽生えてきました。自分の中の男性性の復活。ちっちゃい灯火。枝葉をごっそりそぎ落とした感覚。

友人達も、それを見てるだけで何か、元気をもらえるって言ってくれたり

夢中になってるのには
何か繋がる何かがあるんじゃないかって
そう思って応援してるよ。

そんな事を友人達が次々と言い出して
びっくりしました。
そんな事を言われたのも初めてだったから。

何かわからないけど突き動かされて

片っ端から電話をかけて

2ヶ月間断られ続けて....
アップダウンしながらも

ただ、たんたんと、たんたんと、こなしていく感覚

もう、ただ、軽く、

何とかなればいいなと、、、。

そんな中。
ホストファミリーのママがお茶にいらっしゃいと
誘いの連絡をくれた

・  ・  ・

この間歯医者に行った時主治医に私の事を
話したそうで、大学の非常勤講師も兼任の歯科医。

その先生が大学の教授に話題を振ったそうで
良かったら1日だけでも見学に来ないか?と
メッセージをくれたの事。
大学病院なんてびっくりで
すぐ行ってみたいと伝えた。

予定の日遅刻しないよう
念入りにバスの時間を調べてみる。

教授と私の間には2人も人を介している。
不思議な話だなと思いながらバスにのり
病院に向かう。
大学病院。大きな建物の一角。

dental therapyというんだ、ここでは。

初めて聞く名称に驚きながらも
受付を通り、教授の部屋へ案内される。

貫禄のあるまたカッコイイ先生で!
一瞬にしてわっ、と思ってしまった。笑

いつものように一通り面接をし日本の状況などを聞いてくる。そして、私のこの2ヶ月の事も知っていた。
どんな心境だったのかも聞かれた。
ただ、やってみたい。
want to それだけだと。
伝えて。

・   ・   ・

半日見学させてもらった。
dentaltherapyという
定期検診が目的のセッションルーム。使っている器具も同じだ。やっている事も殆ど変わらない、、、
でも麻酔もしてる?! 抜歯もしてる!

あと何か、患者さんが違う。

自分の歯のことをよく知っているのだ。
当時日本では受け身になっている患者さんが多く
でもここは自分の歯のことを知っているのだ。

交わしている会話が何か違う。
衛生士がどんどん促している。
聴いている。話を聞いている。

説明をするばかりだった私には衝撃的だった。
同じ様なライセンスなのに
本当にdentaltherapyなのだ。

・  ・

お昼になり教授に呼ばれて感想を聞かれた。
びっくりした事を伝えた。
似ているけれど、何か今までとは違う。
教授はニッコリ笑って

『Saori明日も来るかい?』
そう行って、また誘ってくれた。

次の日も同じ時間に行き
アシスタントの出来る範囲の仕事をした。

そしてまた明日も来るかいって?
またイケメンの教授に呼ばれて
もうニコニコしながら、楽しいと伝えた。

……………………

3日働いた後のお昼時間
教授に呼ばれて
ソファーに座った。

私にこう話始めた。
『大学側に少し話をしてみて就職についてお給料の掛け合いもしてみた。でも難しいと。でも給与はだせないんだけど、君がここで何か吸収できるものがあるのなら。時間が許すだけ好きなだけ、僕はいてもいと思ってるけど、Saori はどうだい?』


もう、嬉しくて嬉しくてこみ上げてくるものがただ嬉しくて。お給料なんてもうどうでも良かった。
お金もなんとかなると勝手に思ってしまった。
ただ、教授の気持ちが嬉しくて嬉しくて同僚の仲間達も受け入れてくれて、ただそれが嬉しかった。

……………………………………………

6.冒険という名の課題の後のプレゼント

……………………………………………

現状を目の前に、次の行動は何か
出来事をよくよく見つめると

have to なのか
Want to なのか?

そのどちらか

そのどちらかなのかさえ麻痺して分からなくなる時もある。私も未だにあるし、でもそれでも良いんだと。

ただ、心のコンパス

自分で選び続けた先には結果がどうであろうと、
深く受け止められる時が来る

過去のひとくくりは
物語の題名を付けているだけ。

意味づけ、解釈、している事にしか過ぎないから、

そうだったのだと、心から受け入れられた時。
自分の中の欠乏感が満たされる感覚、心を満たしていく感覚に繋がるんじゃないかなと思っています。

私の場合ずっと後から気づいた事ですが。。

・   ・   ・

◆経験は更に幅を持たせる。

結果としてはお給料はもらえず3ヶ月も無給だったけどその後私の診療体制の在り方に大きく影響が出ている事は確かでした。

患者さんの生活背景、心境をも含んだ
dentaltherapyとしての在り方。
患者さんの健康を守るプロなのだという
教授の価値観をたっぷりあびた体験。

◆旅の途中には、その度に自分に必要な人が
準備されている。

愛を、愛という優しさで成長させてくれる人。
愛を、愛という厳しさで成長させてくれる人。
(ムカつくけど!!!!しょうがないっ!)

そして、
見ていてくれる人が何処かにいるんだという事。

人生は冒険だ
地図はないけれど
宝物探そう
信じて Compass of your hart.

本当に大切なものは、
探している間は何かわからない。

必要な事は地図や乗り物じゃなくて

旅に出る事。

一歩、一歩を、心のコンパスを頼って
必ず良い方向にたどり着くと信じて

信じてみようとした

自分の心の声の宝箱を先ず先に開ける事。

そうしたら心が勝手に連れて行ってくれるから。
無事に帰ったら、周りを見てごらん。
宝物が何か分かるから、

信じて Compass of your hart。


【現役音大生と卒業生による
       オンラインオーケストラ】
コンパス・オブ・ユア・ハート
Compass  of Your hart


宝物は旅の途中で出会った人たち。

愛を優しさという愛で見せてくれた人たち。
愛を厳しさという愛で見せてくれた人たち。

そして最大の宝物は自分が自分を信じた力。
自信。

それから自分で自分を許せた力。
感謝。

そんな風に思います。

たった1回の今に生きるこの人生。
何でもやっちゃえ。

人生の料理家Saori




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