なぜ、デンマークの官僚は「午後3時退庁」ができるのか?【第4章 デンマークの政官関係、公共部門におけるICT・AIの使用】
北欧研究所の植村です。私は、2023年9月から2024年6月まで、北欧研究所のインターンシップ生として、個人研究に携わりました。テーマは「日本とデンマークの官僚社会における労働環境の違いとその要因」です。
研究論文を章ごとに分けて、Noteにて公開いたします。他章の記事に関しましては、本記事の最後に記載されているリンクより、ご覧いただくことができます。(順次公開いたしますので、しばらくお待ちください。)
最後まで、ご一読いただけると幸いです。
なお、ヘッダー写真につきましては、筆者がデンマーク留学中に撮影した写真を使用していますので、本テーマとは直接関係のない場合もございます。
また、参考文献については別記事にて列挙いたします。
(文責:植村雄太)
第4章 デンマークの政官関係、公共部門におけるICT・AIの使用
第1節 政官関係
この節では、ペダセン准教授およびステンデルプ氏の2名に実施したインタビュー調査から得た知見を示す。
まず、日本との共通点の1つ目として、デンマークの政官関係においても官僚主導から政治主導へのシフトが見られている。ただ、既に政治主導へ切り替わった日本とは異なり、現在、徐々に政治主導へ切り替わっている段階である。第2章第2節で触れたが、デンマークの官僚制では資格任用制が採用されており、また政権の交代に応じて変化することもないため、歴史的には閣僚に対して自律したアクターであった。しかし、2000年代以降、官僚は中立的ではなく、より政治的に立ち回るようになっている。
官僚の政治的志向が強くなりつつある要因として、近年、政治において特別顧問の影響力が拡大していることをステンデルプ氏は指摘している。特別顧問 (særlige rådgivere) とは、大臣の私設秘書官であり、1998年の委員会白書(1354号)にて初めて存在が明記された。背景として、1980年代からメディア業界が急速に成長し、国民は政治の情報をテレビや新聞といったニュースメディアから得るようになった一方、大臣は政策決定に加えてメディア対応も求められるようになり、仕事量が大幅に増加した。そのため、報道関連の職務を担当する存在として、メディアのジャーナリストや専門能力・コミュニケーション能力に長けた党職員が特別顧問として雇用されるようになった。
2004年には、特別顧問を雇用できる数について正式な規則は定められていなかったものの、当時の首相アナス・フォー・ラスムセン(Anders Fogh Rasmussen)は、各大臣につき最大1名まで特別顧問を雇うことができると発表し、実際に全18名の大臣のうち、14名が特別顧問を採用していた(Danish Ministry of Finance, 2004;Jessen & Holm, 2015;Christiansen & Salomonsen, 2018)。
なにより、特別顧問の人数と給与が増加していることがその役割の影響力を強めている要因となっている。2015年には17名、2016年は21名の特別顧問が採用され、その数は漸進的に増加していたが、2022年12月には最大30名の特別顧問を雇用できるガイドラインが定められた。翌年11月にはその枠はさらに拡大され、現在は最大35名の特別顧問を採用できる。内訳としては、首相、副首相(兼国防大臣)、外務大臣、財務大臣には最大3名、内務・保健大臣、法務大臣、文化大臣、経済大臣には最大2名、その他15閣僚には最大1名の特別顧問の雇用が認められている(Christiansen & Salomonsen, 2018;Kjærgaard, 2023Kjøller, 2024)。
給与面に関しては、特に直近2年間で急速な拡大がみられている。特別顧問に対する政府の支出は2,350万デンマーク・クローネ(約5億4,000万円)から3,150万デンマーク・クローネ(約7億2,000万円)、つまり約34%分増加した。個人レベルにおいても、特別顧問の平均年収は、2022年8月では約90万デンマーク・クローネ(約2,061万円)であるのに対し、2024年1月時点では101万デンマーク・クローネ(約2,324万円)となり、約12.7%増加した。同時期における一般的な給与の上昇率が4.1%であることを鑑みても、大幅な増加だと言える(Østergaard, 2024)。
特別顧問の役割については、複数の委員会白書(1354号・1443号・1537号)を通じて規則が強化されているものの、多様な慣行が認められている。また、官僚のメディア能力が上がっていることもあって、特別顧問は政策への助言など、政治の中心領域に関与する機会が増え、その役割もメディアアドバイザーから政策アドバイザーへと変化するようになった(Christiansen & Salomonsen, 2018)。
特別顧問が強い影響力を持つことで、政策決定がより政治的な視点から行われ、官僚も政策の立案や実行において政治的な配慮を強く意識するようになる。また、特別顧問が政治家のメッセージを強化することで、官僚と政治家の関係がより密接になり、官僚が政治家の意向を尊重し、彼らの政策目標を達成するために協力することが重要視されるようになる。そうした結果、官僚の政治的志向が高まったということは十分に考えられる。
日本との2つ目の共通点として、デンマークの中央政府における意思決定プロセスもトップダウン式が一般的である。しかし、デンマークの省庁は一定程度の自律性が認められており、アジェンダ次第ではボトムアップ式の意思決定も用いられている。かつての単独政権においては、政策決定もトップダウン式で行われていたが、現政権は連立政権であり(注18)、閣僚も複数の政党から選ばれているため、ここ数年でトップダウン式でのコントロールがさらに難しくなっているという点では、自民党一党優位のもと、中央集権的なコントロールを強めている日本とは対照的な傾向が見られている。
第2節 官僚社会におけるデジタル化の現状
この節では、イヴァセン氏ならびにデンマーク官僚2名の計3名に実施したインタビュー結果をもとにする。デンマークの官僚社会でPCが導入されたのは1994~1995年頃であった。イヴァセン氏は1988年に官僚として農業省に入省したが、PCが使われる以前は、省庁の秘書が官僚の代わりにタイプライターを使って文章にしていた。当時の官僚社会には強い階層文化があり、イヴァセン氏のような若手かつ女性の官僚に対して、秘書がタイプを代わりに打つ機会は少なかった。1990年代中ごろからPCを皮切りにデジタルツールが導入され始めたが、当初から省庁の上の立場の官僚や大臣の中にデジタル導入への反対意見は見られなかった。
背景として、元来デンマークの公共部門は、社会民主党と労働運動の影響で福祉社会の色が非常に強かったが、1970年代末には、この福祉社会モデルは過大な費用を要し、官僚主義的で非効率であるという批判が起こっていた。それに加えて、1970年代のオイルショックによってデンマーク経済は大きなダメージを受けた。それらを受け、1983年から公共サービス生産の合理化と効率化を目的として、「近代化(Modernization)」が始まり、その一環として行政を合理化する動きが見られるようになった。
そして当初から公共部門のデジタル化はその合理化を行う上での1つの解決策と考えられ、多くの人に支持されていた。特に、2000年代初頭から本格的に導入され始めた電子事件・文書処理システム (Elektronisk Sags- og Dokumenthåndtering、略称ESDH)は、公共部門におけるデジタル化とそれによる業務の効率化を大きく前進させた。ESDHシステムによって、案件や文書がデジタル上で一元的に管理され、作成、保存、送受信が容易にできるようになったほか、業務プロセスが一部自動化され、コストの削減やリスト管理の強化につながった(Andersen, V. & Andersen, A. S. 2007年)。
また、デンマークで早期からデジタル技術を導入できた要因として、イヴァセン氏はシステムの導入といったハード面のほかに、組織文化といったソフト面も指摘している。日本ではプレゼンティズム、つまり仕事をする際には「職場にいなければならない」という風潮があるが、デンマークにはこのプレゼンティズムの文化が浸透していなかった。元来デンマーク社会には「大事なのは結果を出すことで、職場にいるかいないかは構わない」という考えがあったけれども、デジタル技術の発展・浸透とともに、その結果主義の風潮がさらに広まっていった。
そのため、コロナウイルスが流行するはるか前からテレワークは可能であった上、同僚からも否定的な目で見られることはなかった。この結果主義の文化に関しては、デンマーク官僚からも同様の意見が得られた。Bさんもデンマークの官僚社会では「職場にいるからと言って仕事をしているとは周りから思われず、仕事が早く終わるのであれば、自由に過ごしていても問題ない」けれども、「成果の質が低ければ、上司から評価も当然下がる」と述べている。
早期からデジタル化が取り入れられた一方で、全ての職場において、現在もデジタル化が進展しているわけではない。Bさんによると、デジタル庁でさえもMicrosoft TeamsやZoomではなく、Skypeを使っているなど、使用するデバイスやソフトが古いという。第3節で詳述するが、これはGDPRルール (General Data Protection Regulation、一般データ保護規則)によって制約を受けているからである(注19)。
かつてはEU圏外の国が作成したICTツールを自由に使えたが、現在はGDPRルールに基づいてデンマークのIT部門が開発したICTツールを用いたり、業務用のスマートフォンも他人が画面を閲覧できないようなシールが施されたりすることが求められている。省庁の中でも、ICTツールを用いて業務の負担を減らそうという動きは見られているものの、GDPRルールの第83条(注20)にて、違反に対する厳しい罰則要件が定められているため、ICTツールを自由に開発するのではなく、GDPRルールをはじめとした法律の制約の中で開発を進めようという認識が強い。
第3節 公共部門の意思決定にAIを使うことの是非
この節では、ペダセン准教授とイヴァセン氏、デンマーク官僚の意見をもとにし、はじめに先行研究に照らしてAIを公共部門の意思決定に利用することの是非を検討した上で、デンマークの実際のAIの導入事例や将来の展望について言及する。まず、AIと比べて人間が公共部門において意思決定をすることの問題点について、ペダセン准教授は「公務員として政治的中立性を強く意識している官僚でさえ、個人的な感情による第一印象によって意思決定にバイアスがかかる。その一方で、AIによって逸脱が減ってシステム化されることで、意思決定に対する信頼性が上がり、スパンも短くなる」と指摘しており、Kolkman (2020) やBannister & Connolly (2014)と同様の意見が得られた。
その一方で、Kolkman (2020)が指摘した「AIの意思決定における信頼性と客観性の高さ」に対して、イヴァセン氏は疑念を呈している。「AIはオープンデータを使って意志決定を行うが、そのデータも第三者(主に設計を担当したエンジニア)が使うと決めたものである。デンマークで特に重視されている福祉の分野で言えば、現場に携わっているのは主に女性であるため、現場の意思決定には女性のバイアスがかかっている(可能性がある)。一方で、AIを生成するエンジニアは主に男性であるため、AIの意思決定、つまりAIがどのデータを使い、統合させるかについては、男性のバイアスが含まれる可能性がある。その点で、これまで行われてきた人間による意志決定とAIの意思決定の結果に差異が生じてしまい、市民が不信感を持つ可能性がある」ことを指摘している。
デンマークの福祉分野、中でも児童保護サービスにおいては、実際に意思決定にAIを活用しようとした事例がある。2017から2022年の6年間で、デンマークの児童保護機関のためにAIを意思決定に導入しようとするプロジェクトが4件検討されてきたが、いずれも実装されていない。特にグラッドサクセ(Gladsaxe)市のプロジェクトは、デンマーク国内において社会的な論争を招いた(Ratner & Schrøder, 2023)。
前提として、デンマークにおける児童保護サービスの最大の目的は、児童虐待を防止することである。しかし、虐待の危険にさらされている子どもを実際に特定することは非常に難しく、もし誤った判断を下した場合、関係する家族に深刻な影響を与えかねない。福祉政策に重点を置いているデンマークでさえ、4%の子どもがネグレクト・虐待などによって、家庭外施設や里親家庭に預けられている。この状況を打破すべく、2011年以降、児童虐待を通告するための福祉専門家の義務と一般市民のアクセス権が拡大され、通告件数も2015年の約97,000件から2021年には約138,000件まで増加した(Ratner & Schrøder, 2023)。
グラッドサクセ市の試みは2017年から2018年にかけておこなわれたもので、両親の就労状況や薬物乱用の経歴、歯科医による診察を子どもに受けさせているかなどのデータをAIで統合させることによって、虐待による危険が生じる前に子どもを救出することを目的としていた。それまでデンマークでは、子どもの健康状態に関する定期通知に基づいて、市が行動していたが、AIがリスクを検知して子どもに対する虐待の可能性を予見することで、より迅速な対応と救出が可能になると期待されていた(Ratner & Schrøder, 2023)。
しかし、このグラッドサクセ市の政策は、メディアによって大きな注目を浴び、大きな反発を招いた。実際、Kjær (2018)の記事は、“Regeringen vil overvåge alle landets børnefamilier og uddele point”(政府は子供のいるすべての家庭を監視し、ポイントを与える。)という見出しのもと、この政策が「プライバシーの権利と、個人情報を保護する市民の権利を大きく侵害するもの」であると非難している。そして世論の結果、グラッドサクセ市はこのAIプロジェクトを実装前に断念せざるを得なくなった。このプロジェクトを担当したエンジニアによると、市民のデータにアクセスできるのはAIだけであり、市の職員はアクセスできないため、自治体による家庭の監視にはあたらないようなシステムが開発段階では構築されていたようだが、市民から信頼を得られなかったことが最終的なAI導入の失敗につながった(Ratner & Schrøder, 2023)。
次に、公共部門においてAIが意思決定をおこなうことに対する将来の展望と課題を示す。デンマークでは現在、年金額の決定のような複雑性の低い業務に関してはICTのデータに基づいて意思決定が行われているが、国や地方レベルにおいてAIが完全に意思決定を代替するといった事例は見られていない。その上で、「将来的に政策決定や官僚人事といった重要な分野において、AIによる意思決定の割合は増えていくか」という質問に対して、ペダセン准教授とイヴァセン氏の両者とも「増えていく」と述べた一方で、「少なくともデンマークにおいてはまだ時間がかかるだろう」と予測している。
デンマークでは、2001年から4年ごとに国と自治体が一体となったデジタル・ストラテジーが設定されている。2010年代後半からはその一環として、“signature AI projects”という政策が打ち出され、公共部門の業務の中でAIを利用できる事例を調査したり、官僚や地方公務員がより市民サービスに従事できるよう、デンマーク国家新技術導入基金(The Danish National Uptake Fund for New Technologies)がAI整備のための資金を提供したりといった事例(注21)が見られるようになった。そのため、将来的には地方レベルだけでなく、国レベルの政策決定のおいても、ICTデータの活用あるいはAIによる意思決定の一部代替は実現されるだろう。しかし、マリー・ビエール(Marie Bjerre)デジタル政府・男女平等大臣は、2024年6月の記事(注22)にて「AIを意思決定に利用するのであれば、最終的な判断は人間が行うべきである」という見解を示していることから、AIによって意思決定が100%代替される可能性はデンマークにおいては限りなく低いと言える。
その中で、AIによる意思決定を実現するための現状の課題として、イヴァセン氏は「AIがどこまでできるのかを知ることが必要だ」と述べている。公共部門においてAIを使用する上で最も危惧せねばならないのは、AIに意思決定を任せることで政府に対する市民の信頼が失われることである。AIを過度に使うと、AIがある種の「権力」を持つようになり、AIが主体的に決定を下す可能性も生じる。そうなると、市民が決定の内容に疑問や不満を持つようになり、結果として政府に対する市民の信頼が失われ、現在の官民関係が崩れてしまうことにつながりかねない。そのため、AIが決定を主体的に下すことがないように少しずつ活用していくべきで、それゆえに意思決定へのAIの導入には時間を要する、とイヴァセン氏は指摘している。
AIによる意思決定の代替が短期・中期的に行われる可能性が低い2つ目の要因として、前節で挙げたGDPRルールが挙げられる。GDPRルールでは、第44~48条にてEUの個人情報をEU圏外において保存・利用するための細かい要件が課されている。そのため、個人情報が含まれたデータを利用してAIが意思決定を行った場合、その個人情報がどこで利用・保存されるかが不透明になり、GDPRルールの要件に違反する可能性が生じる。前節でも述べたが、デンマーク省庁内では、GDPRルールをAI利用に適したように変える動きよりもGDPRルールを優先する動きの方が強いため、GDPRルールに違反しかねない政策をすぐに実装することはできないだろう。
脚注(第4章)
(注18)現政権の第二次メッテ・フレデリクセン(Mette Frederiksen)内閣は、中道左派の社会民主党 (Socialdemokratiet)、中道右派の自由党(Venstre)、穏健派(Moderates)の3党から成る連立政権。
(注19)GDPRルール:EU内での個人データの使用や保存、EU外への転送について、個人情報の保護を定めた法律。2018年5月25日に施行され、EU加盟国である27か国全てに適用されている(European Council & Council of the EU, 2024;GDPR Consultant, 2024)。
(注20)GDPRルール第83条:GDPRルールが定める規定に違反した場合、その違反した内容に応じて、「1,000万ユーロ、または事業者の場合は前会計年度の年間総売上高の2%のうちの高い方」あるいは「2,000万ユーロ、または事業者の場合は前会計年度の年間総売上高の4%のうちの高い方」のいずれかが行政罰として課される (GDPR Legal Textより)。
(注21) Agency for Digital Government. Signature Projects Under the Danish National Uptake Fund for New Technologies. (最終閲覧日:2024-06-09)
(注22)Altinget Digital (2024). Ny AI-taskforce skal hjælpe med at frigøre 10.000 job i det offentlige. Minister har kun én afgørende rød linje. (最終閲覧日:2024-06-30)
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