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夢の実現には誰にでも与えられている「ちいさい・ちいさい」を確認しあい、温めあい、共有しあっていくところから


日暮れが、早くなった。気忙しく、どこかうら寂しい。

あれほどうっとうしかった猛暑の頃の太陽が懐かしい、などというのは幸せな悩み。季節性うつ病の人にとっては、いよいよ辛い時期が始まる。

仮説ですが……生命は、深海で誕生した。命のリズムを支配したのは、潮の満ち干。月の時間だ。数十億年後、地上に進出して以来、生命は太陽と月のリズムの調整に葛藤した。この問題を解決するために、体内時計が生まれた……という。

春から夏は、極めて元気。なのに、冬が近づくと鬱になる。起きられない、気が重い、気力がわかない、なにをしても楽しくない……。

季節性うつ病では、陽光に反応する脳内時計の役割が重要だとされる。

そこで、医師は薬と光線療法を勧める。

でも、この躁と鬱のリズム、農耕民にはありがたい。

梅雨、日照り、台風など、過酷な3K労働が待ち受ける田植えから稲刈りまで、躁の人は抜群に強い。しかし、収穫の秋を過ぎれば、休めるにはゆったり湯治、省エネには鬱状態こそ最善。

蔵には収穫が満ち溢れている。外なる自然の豊かな実りを、人間が恵みとして内面に頂戴するところに、文化は香る。躁も鬱も苦汁も疲労も、すべて癒しねぎらわれる。天高く馬肥ゆる秋こそ至福の時。

季節性うつ病は日本人には天からの賜物だった?

山田真さんが、本誌創刊の経緯を111号で振り返っておられる。

私も「同調圧力」からの多様性の解放を夢見た一人。でも、時代は夢からどんどん遠ざかっていくように感じる。それも、単なる過去への逆行ではなさそうだ。

「寄らば大樹の影」。

創刊当時はまだこんな農耕民的な幻想が、社会に残っていた。実際、まがりなりにも「大は小を兼ねる」ような権力が悪あがきしていた。だがこの二〇年、大は小を食いつくし、蹴散らし、小と小がつぶしあう世界が急速に展開している。

時代は、私たちを太陽からも月からも隔離してしまった。LED田畑に緑は育たず、野山に生命の楽しみは少ない。次の春まで、骨をは昼夜を問わず明るく、エアコンは夏も冬も最適温度を保つ。

管理されたスケジュールに、脳内時計を必死で従わせる個人責任が強く求められる。3Kは機械に任せ、「より人間的」に生きよ。

当然、冬は光線と薬で鬱を治療し、夏の非生産的な思い出などさっさと忘れるのが一番!

……今夏のことも、忘れた方がいいのだろうか?

元職員による集団殺人事件。過去の非人道的な巨大隔離収容施設で起きた話ではない。関係者の話では、「開かれた」「より人間的」な施設を目指していたという。

小が小をつぶしあう現代版の「姥捨て山」は、よるべき大樹どころか自然が人間に与えた最小の人間性も残されていない。

ちいさい・おおきい。この夢の実現には、誰にでも与えられている「ちいさい・ちいさい」を確認しあい、温めあい、共有しあっていくところから、もう一度はじめたい。

2016年10月 『ち・お』No.113『知らないうちに? だれかを? わたしは「差別」しているの?』 「季節のごあいさつ」より 石川憲彦

山田真さんが『ち・お』をふり返ったNo.111


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