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学校に行きたくない理由はさまざまです。どうして? と問われても……

子どもは言葉にならない傷を、負っているかもしれません。

それは、ちょっとしたケガのようなお友だちとのトラブルかもしれません。親や先生にはけして言えないことかもしれません。

はっきりとした理由はないのかもしれません。「なんとなく……」なんて言って、昼になる頃にはYouTubeをみて笑っているかもしれません。

でも、「行かれない」「行きたくない」その気持ちに嘘はありません。

朝になると、朝食が進まない、トイレにこもって出てこない、玄関で靴を履くことができない……。こうなったら、からだで「行きたくない」と表現しているようなもの。

深刻になると、お腹や頭が痛くなる、身体のいずれかに痛みがでる。これらは目にみえない訴えですが、中には発熱さえする子どももいます。

さて、そうなると、親のほうに余裕があるうちは、少し様子を見ようと、不登校が許されます。

でも、親にも事情があり、不安もあり、心配は数日で高まります。
つい、声を荒げたり、なだめたり、気の早い人は学校以外の居場所を探したり。

なんとか登校してほしい、以前の「行ってきま〜す」の声が聞きたい、お友だちも通う学校で楽しくしてほしい。

それはこの子のためでもある。そう思いたい。でも、この「親の良かれ」の思いこそくせ者。ここは、子育て全般にいえることかもしれません。

40年以上、親子物語の先まで、見聞きし続けた心理カウンセラーの内田良子さん

「学校に行きたくない」「行こうとしてもいけない」「どうすれば学校に行けるの?」「どうしてみんなと同じことができないの?」不登校が始まると、親子のすれ違いも始まります。

不登校にはかならず理由があります。しかも、それは「行かない」「行きたくない」という子どものほうに真っ当な理由がある。それなのに、先生はもちろん家族までもがまずは登校することを優先せよという。

子どもは追いつめられ、自分を責め、頑張り、さらに傷つき疲れ果てていく。責め立てる先兵に、意図せず親はなっていく。

なかには、上手に子どもの手を引き、背中をそっと支えて学校というレールに再び乗せる親もいます。こうした「成功例」を共有しようというのが、今時の流れなのかもしれません。でも、人生は表裏をくり返す。こうした「成功例」は後年、裏返ることがあります。

裏返ったときに、自分の思いや力で進んできた子どもは、その失敗や挫折を糧に次に進むことができる。けれど、親の手出し口出しによって、結果「上手くいった」場合は、少々話が変わってきます。

親の「よかれ」は、ときとして子どもにとっては、逃げ場のない状態をつくることがある。追いつめられた子どもは、ひきこもることで自分を守っているのかもしれません。

「よい子」でなくてはならない、親の愛に応えなければならないという縛りから逃れられない、また子ども自身も親と同じ価値観だからこそ気持ちと体が引き裂かれる。そんな苦しみもあります。

ボタンのかけ違いのような日常からはじまる親子の物語に、心理カウンセラーの内田良子さんはずっとずっと寄り添ってこられました。

だけど、では、親はなにを、どうしたらいいの? 子どもが変わるのを待てばいいの?

言葉にすれば、それはそう難しいことではありません。

眠る、食べる、ゆったりと休める時間。それがあれば、子どもは自然治癒力を発揮していくのです……そうそう、よくそう言われます。でも、ただそれだけのことなのに、多くの親には「それだけ」でいることが困難です。

日常的にどう声をかけ、どう接したらいいか? と迷う一方で、いつになったら子どもは変わってくれるのだろう? という両方の気持ちが混じり合う。まず、変わるべきは親のほうなのに、子どもの変わるのを期待してしまうのも親心。

「明日は学校に行きたい」と子どもがいえば、こころの中でガッツポーズをしつつポーカーフェイスで「え、そうなの? 無理しなくていいよ」と言ってみたり。結局我慢できなくて、「明日の準備必要なものある?」などと、手出し口出しをしてしまう。

そして、朝。ベッドから起きてこない子どもにじりじりしながら時計を見たり、そっと声をかけたり。堪えきれずに暴発して自己嫌悪。親も子どもも昨夜とは一転、涙の朝に。

将来をどうしよう? せめて、高校だけは、大学には……と親の思いが強くなるほどに、学歴よりうんと大事なものを見失う。いま、目の前の子どもを見ずに、親のストーリーのなかで求める子どもを見ることで、現実から親の目はむしろ離れていく。

でも、それでは、どうやって生きていくの? 

学歴社会はもう終わった……と10年以上前から研究者はいいます。学校は行っても行かなくてもいい、と。

でも、学歴に頼らないもう一つの生き方、暮らし方のお手本がない。そういう人が周囲にいない。むしろ、ワイドショーやニュースの話題は、不登校やひきこもる人への誤解や偏見を助長するものばかり。

もしくは、特別の才能や学力のある子どものサクセスストーリー。同時にそれは親のサクセスストーリー。

『おそい・はやい・ひくい・たかい』No.109「『不登校』『ひきこもり』の子どもが一歩を踏みだすとき」は、「家を居場所に暮らす人」とその家族たちが主人公です。

不登校がまだ「登校拒否」といわれていた時代から、そこには社会に翻弄されつつも子どもを守ったお母さんたちがいました。「首に縄をつけてでも学校へ」という人たちが沢山いた時代に。

不登校は子どもの問題ではなく、学校や教育の問題。わが子を守り、自分のさび付いた価値観と闘った親が、やがて目にするわが子の成長と自分自身の変容。

不登校やひきこもる暮らしは、けしてマイナスでも遅れでもない。じつは、暮らし方ひとつで、豊かでかけがえのない時間になる。最後のページを閉じたとき、希望の出口が見えてくる。そんな一冊です。

oha10_shoei_rgb_200622のコピー

2020年7月25日刊行 四六判/192頁/定価 本体1600円+税

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