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「愛する」  心の傷ついた社会の中で成長すること、自分を愛すること、人を愛すること

生きること

心が苦しい。心がとても痛い。
僕だけじゃない。
きっと皆もそうだ。
みんなイライラしている。
みんなも心が痛くて苦しんでいるように見える。


 
 現代は高度にそして極端にシステム化された社会。
そして、僕らはそのシステムの歯車にさせられながら生きていく。
子供の頃からいかに歯車として機能するようになるかを目的とした教育の中で育つ。

社会に出たらますます歯車としてしか生きられなくなる。
そんな歯車になるのが嫌だからと独立したり出世したりしても、結局は大きな歯車の中にはめ込まれるだけ。

僕たちは「人」として生きられない。
歯車としてしか生きられない。
人からは「人」として見られたり「人」として扱ってもらえない。
「人」としてではなく店員や従業員や社長や母やら学生やら、行き過ぎたシステム社会の中では機能として、歯車としてしか扱われない。
やがて、自分自身をも歯車としてしか見られなくなってしまう。
僕は歯車として機能しているのか?歯車として優秀なのだろうか?

僕たちは「人」として生きられなくて苦しんでいるように見える。
自分はかけがえのない「自分」という人間ではなく、ただの歯車?交換可能なただの歯車?



 人が「人」として生きられない苦しさ。
心が苦しくてとても痛い。
みんなもとても苦しくて痛々しく見える。
そして、僕たちは痛さに耐えかねてとてもイライラしているように思える。

「人」としての存在価値が認められないから歯車としての存在価値を必死で得ようとする。
でも、歯車として機能すればするほど「人」ではなくなってしまう。かけがえのない「自分」ではない何かに。
それはとても痛くて苦しい。

だから、一生懸命に痛みから目を背けようとするしかない。
娯楽や消費や食べたり飲んだり。
また、必死に痛みに対する癒やしを求める。

自分のかけがえのない人生を「自分」として生きるのではない。
まるで人生の目的が痛みや苦しみから目を背けるための人生、自分の傷を癒やための人生を生きているみたいだ。



 痛く苦しくイライラして他人にも腹が立つ。
システムの歯車から少しでもはみ出た奴に腹が立つ。
歯車からはみ出て「自分として」自分勝手な行動をする奴を見ると、歯車としてしか生きられない自分の苦しみを思い起こしてしまう。
必死に目を背けてきた痛みを感じてしまう。

なので、他人には徹底的に普通であることを求める。
普通でないものを見ると僕たちの苦しみを思い起こさせられて、ますます心が痛くなる。
そしてますますイライラする。
だから普通圧力をかけてみんなを、そして自分を歯車に押し込める。
でも、そうするとさらに苦しく痛くなる。



 人が成長する時、痛みを感じる。
筋肉が成長する時に筋肉痛を感じるのと同じだ。
自分の至らない部分を否定する小さな自己否定。小さな傷。
でも、僕たちにはもうこれ以上痛みを感じることは苦しすぎる。
痛みを伴うことを必死に避けるしかない。
だから、成長もできない。
僕がそうだ。
年齢を重ねても大人になりきれない。
だぶん、多くの人たちもそうじゃないかと思う。

でも、成長しなければ「自分」の人生を送れない。
「自分」としての人生ではなく、「何か」に依存した「何か」のための人生しか送れない。
依存的な子供のままではなく、自立した大人にならなければ「自分」の人生は送れない。
痛みを伴う成長をしなければ。



 自分の心の痛みや傷を癒やすことは自分にしか出来ない。
自分で「自分」を思いやるしかない。
それは痛みを避けるたり感じないふりをして目を背けることではない。
娯楽や癒やしによって自分の痛みから気を紛らわせることは出来るかもしれない。
でも、それは痛みを感じているという「自分」から逃げること。
心が痛んでいるという本当の「自分」を否定していて、「自分」を本当の意味で愛していないのではないだろうか。

自分で「自分」を愛する、「自分」を思いやるのは甘えとかではない。
自分の至らなさや弱さや痛みもしっかり認めて、「自分」全てを思いやる。
自分の至らなさや弱さ、そして心の痛みの部分から逃げたり避けたりするほうが甘えだと思う。



 ただ、ただ「自分」を思いやる。
条件なんていらない。
自分の痛みは「こうだ」とか、自分の至らなさに対して「こうすべき」だとか判断はいらない。
「こうだ」とか「こうすべき」とか判断をしてしまうとますます「自分」を否定して傷つける。
痛みや至らない部分も含めて「自分」を認める。
ただ、自分の痛みを認める。
そして、ただ「自分」のことを思う。
「思いやる」では能動すぎるぐらいだ。
ただ思う。
これが愛というものだと思う。
僕の考える愛。
自分への愛。

至らなく弱く傷ついた「自分」も愛せてからはじめて成長しようとか頑張って前へ進もうと出来るのだと思う。



 自分を思い、自分の痛みを認められた人だけが、他人の痛みも分かるのだと思う。
自分の痛みや苦しみに向き合えた人だから他人の痛みを心に映し出せる。
自分を思うことができる人が他人を思いやれる。
自分を愛することができる人が他人を愛することができる。

僕は自分を思いやる。
自分の人生を送るためにも、成長するためにも、人を思いやるためにも。

僕の「本当の心」は苦しんでいる。心がとても痛がっている。
みんなの「本当の心」のそうじゃないかと思う。

僕は自分を愛する必要がある。

僕は自分を愛していきたい。

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飲食店従業員 もっといろいろ学びたい中年男性。 思考が暴走しがち。 自分の人生をしっかり歩んでいる人に学びたい、教えてもらいたい、一緒に考えたい。 自分の人生を生き切りたいし。良い世の中になって欲しい。

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