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自己紹介をダラダラと


こんにちは。

まずは自己紹介ということで

立派に書こうかな〜と思ってたんですが

そんな器用でもないし

いい人ぶるつもりもないし

本音で書きたいと思ったので

ダラダラと口語に近い表現で書いていきます。

ダラダラ書くので

ほんの暇つぶし程度で

読んでいただけると嬉しいです。

記念すべき?1回目の記事ですが

まずは小学生までの自分について書いてます。

最後に

最近楽しく読んでる記事について

載せてますので、ぜひ。


◇静岡県藤枝市に生まれる

僕の生まれた藤枝市は「サッカーの街」と言われ、

サッカーが生活の一部になるほど文化として根付いています。

「サッカー最中」という和菓子がその象徴だったりします。

市内には、サッカーの名門“藤枝東高校”があり、

県外からも生徒がサッカー部入部を目指してやってきます。

卒業生には、

元日本代表の長谷部誠選手や「ゴン中山」で有名な中山雅志さんが

いらっしゃいます。

高校生の練習試合に100人以上の観客が毎週訪れ、

叱咤激励をしてくれるのも特徴です。

最近では藤枝MYFCというJリーグのチームも誕生しました。

子供の数よりチーム数の方が多いのではないかと

言われるほどサッカーが盛んです。

そんなサッカーの街蹴球都市で18年間を過ごしました。


◇藤枝市立藤枝小学校 藤枝SSS

父の影響で藤枝SSSというサッカー少年団に入りました。

これは多分そうじゃないか?という推測です。

同じ時期に極真空手を習い始め、

月曜日から金曜日までびっしりのスケジュールでした。

空手を習い始めたのは、苗字がからかわれやすく、

「う○こ」と言われるのが嫌で、強くなろうと思ったからです。

3年生になると、

空手で県大会優勝、全国大会ベスト8まで強くなることができました。

しかし、学校では誰も鬼ごっこで追いかけて来なくなり、

とてもつまらない思いもしました。

そこから少しだけ人に優しくなったと思います。

サッカーと極真空手は異なるスポーツですが、

それぞれに面白みを感じていました。

最終的に4年生で極真空手を辞め、サッカー1本になりました。

サッカーはチームスポーツ、極真空手は個人スポーツです。

いくら極真空手で優勝しても、喜んでくれるのはいつも家族だけでした。

一方でサッカーで試合に勝つと家族だけでなく、チームメイトや

その親も喜んでくれました。

結果論かもしれませんが、

僕にとって楽しいのはサッカーの方だと判断したのだと思います。

特に優れた選手ではありませんでしたが、

サッカーで市内の選抜に選ばれました。

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また、藤枝SSSでは上級生の試合に出場するレベルになりました。

先輩の県大会に出場した際、

緊張からブルブル足が震え、

保護者に心配されたことは今でも話のネタになっています。笑

振り返ると、

私は人に着いていくタイプで、あまり責任を取りたくない性格でした。

キャプテンの後ろで自由にノビノビするタイプ。

選手宣誓を任された時も、

嫌で嫌で前日までやりたくないと言って親を困らせました。

6年時にはキャプテンになりましたが、

なかなか熱くなれず、

本気を出すことがかっこ悪いと思うようになりました。

(小学生男子あるあるですかね。)

もちろん県大会出場を逃し、過去10年最弱のチームとまで言われました。

それでも私は悔しいとは思わない、冷めた子供でした。

人から認められたい欲求が高いはずなのに、

人前で何かすることを恐れ、強い相手になると本気で戦えない。

とても勿体無い時間を過ごしたと

今さら後悔に浸る時があります・・・・


◇半袖半パンで表彰

静岡は比較的温暖な気候ですが、

冬になると0度近い寒さになります。

雪が降ることは珍しく、

雪が降った日には、

授業を中断して外で遊ぶほどでした。

今思うと気持ち悪いのですが、

冬になっても

半袖半パンをポリシーを貫いていました。

するとクラスで

2人だけ生徒の前で表彰されました笑。

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だからといって

他に半袖半パンスタイルの友達が増えたわけでもありません。

遊戯王カード、デュエルマスターズカードにハマって

毎日のようにゲーム屋[パルプンテという店]に通いました。

高校生や大人たちとカードゲームを楽しみ、

帰りが遅くなる(門限が5時)と怒られました。

地区大会では優勝したこともあります。

レアカードは高価な値段で売れるので

いろんなお店に行って、

サーチ(レアカードを当てる技)を繰り返して資金源にしていました。

家ではPS1やPS2のサッカーゲームを楽しみ、

弟や従兄弟を相手に連勝を重ねていい気になってました。

今でもそこで覚えた国や選手は忘れていないので

話のネタとして結構使ってます。

お気に入りの選手は、

ロベルトカルロス選手。

左のDFなのにFWとして使ってました。

その他にも、

ドラゴンクエストモンスターズ

ポケモン

ロックマンエグゼ

デジモンワールド

モンスターファーム2

WWEエキサイティングプロレス

K-1 ワールドグランプリ

筋肉番付


をやりこみ、

友達と通信対戦ばかりしていました。

サッカーの練習以外は、

ゲームに時間を費やしていました。

ゲームに飽きた時は、

よく絵を描いていました。

デッサンです。

線を重ねていくタッチの描き方が好きで

対象をみながら10分くらいで描きあげていました。

学校の休み時間に

自分の描いたキャラクターを使って、

友達と仮装バトルをしていたこともあります。

ドラゴンクエストモンスターズの技を

ダメージ値から効果まで全て覚えていたので

それらをもとにバトルを進めていました。

時間を忘れるくらい楽しかったので

授業中も内職でキャラを描いてました。


たまたま実家が

JSPORTと契約していたので

夕飯前や寝る前には

WWEというアメリカ最大規模のプロレスを観てました。

アンダーテイカーというヒール役のレスラーが大好きで、

好きすぎて入場テーマソングを購入しました。

PS2のエキサイティングプロレスも購入し、

暇さえあればゲーム上で戦っていました。

そんな忙しい小学生でしたが、

勉強の成績はそこまで悪くありませんでした。

ほんとラッキーです。


◇三日坊主

3年生の春に、

念願叶ってトイプードルを飼うことになりました。

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生まれた時から犬と一緒に生活していましたが、

1代目の犬が亡くなってから数年が経っていました。

僕が飼いたいからといって

親に頼み込んだのですが、、、、

(当時、父は大の犬嫌い)

(母は忙しい)

そんな状況の中で

僕が責任を持って面倒をみる!!

と意気込んでいたのですが、

連日の散歩、

連日の下の処理、

そして犬の発熱によって

三日で僕がダウンしてしまいました。

呆れた母や弟、祖父がのちに助けてくれたのですが、

その日のことは、

今でもずっと「三日坊主」と言われ続けていて

反論の余地がありません。

愛犬手帳を開くと、

飼い主は僕になってますが

実質、母が飼い主でした。

可愛がりたい時は、可愛がるけど

疲れた時や

気分が乗らない時は

人に任せてばかりな弱い人間でした。

何をいっても

家族には言い訳に聞こえてしまうのですが

犬によって

運命が変わったと思ってます。

ということで、

ここまで読んで頂きありがとうございます。

不定期更新のつもりですが、

次回は中学時代についてダラダラ書きます。




石丸くんの東大放浪記


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#自己紹介 #藤枝


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