『戦災復興余話』/仙台市

p33 青葉通 曲直問題
東五番丁から駅に向かって10度折れて、仙台駅正面にぶつかる。
大町交番のあたりで21度傾き、良覚院のあたりで20度傾く。

p.99 西公園
東京都の公園課長だった井上清氏(明治神宮公園設計)が、来仙した際に西公園の構想をお願いしたら、翌年に公園計画図が送られてきた。

p.109 こけし塔
山形県の鋳造所で製作されたものを輸送した。高さ2.4mの秋保石の台座に、7.4mの鋳造のこけしを載せた。全長10m、頭だけで3トン。10mのクレーンの上に4mのクレーンを繋いで吊り上げた。

p.147 仙台商業学校
仙台商業学校は、立町小学校内の一教室からウブ声をあげた。
「商機一変の今日に必要な知識才能は旧来の商家徒弟で習うものではなく、必ず学校の教養によらなければならない」との考えから生まれた。
商業学校は、他の学校が郊外キャンパスに移転するのと合わせて八木山への移転計画が出されたが、(商業学校は)市の中心部にあって絶えずその活動に接していなければ生きた教育はできない。

p.215 町界・町名
城下町の呼称の慣習として、縦町と横町で区別した。城の位置から割り出して大手筋(城の表口)に向かった方向の町を縦町と呼び、それと直角に交わる町を横町と呼んだ。

仙台では、大町と立町が縦町にあたり、南北線の細横丁は横町である。伊勢屋横丁や大日横丁は原則に従った正しい呼称。
文化横丁や虎屋横丁は、東西方向であるが、東一番丁に対して横丁ということで付けられている。
原則として、侍屋敷のある町を「丁(ちょう)」と呼び、足軽・町民の住んでいる町を「町(まち)」と呼んだ。

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