エッセイ「おかわり事件」

書く筋トレ第6回。

こちらのサイトでランダムに吐き出された3単語を使って、短い小説かエッセイを書きます。今日のお題は、「立秋、密室、硝子」
※ランダムテーマジェネレータより:http://therianthrope.lv9.org/dai_gene/


エッセイ「おかわり事件」

画像1

 きっかけはいつも、些細なことであることが多い。

 人と人が決別してしまう瞬間。反対に人と人が恋に落ちる瞬間。

 大きな何かが起こるときは、得てしてとりとめもない、傍から見たらどうでもいいことがきっかけであることが間々ある。

 例を挙げれば、ある友人は、恋人を好きになったきっかけが「食べるのが遅かったから」だったらしい。

 彼女自身も食べるペースが遅く、男性と食事をするといつも待たせてしまうのがコンプレックスだった。あるとき、デートに誘われてふたりでオムライスを食べた際、デート相手が彼女とまったく同じタイミングで食事を終えた。彼女はそれにいたく感動し、その相手男性との交際に前向きになったという。

 後で聞けば彼もペースを合わせたつもりはなく、ただ「食べるのが遅かった」だけ。それでも、そんな些細なことが、「恋に落ちる」という大きな出来事のトリガーになることもある。

 これは、そんな些細な「きっかけ」の話である。

***

画像2

画像3

画像4

 数年前の立秋のころ、僕は伊豆大島を訪れていた。

 1泊2日の観光旅行である。幸い天気にも恵まれ、海岸線ドライブを楽しみ、三原山の見渡す限りの「黒い砂漠」のスケールに感動し、島の海の幸に舌鼓を打ち、それはもう旅行を満喫していた。

 事件が起きたのは、1日目の夜だった。

 話は前後するが、実のところ直前に計画を立てた旅行だったため、望むホテルを予約できていなかった。島には評判のいい温泉宿もいくつかあったのだが、繁忙期と重なってしまいすべて満室。

 仕方なく、というわけでもないが、とあるホテルを予約していた。特定を避けるためにあえてぼかして書くと、そのホテルは「あるアクティビティ」を楽しむ人向けに運営されている場所だった。僕自身はそのアクティビティとは無縁だったが、レビューサイトを見る限り建物はきれいそうだし、評判も悪くない。

 だからこそ、当日は本当に「仕方なく」ではなく、どちらかと言えば前向きな気持ちでそのホテルに向かっていた。

 ホテルに着くと、やはり繁忙期ということもあり駐車場にはかなり多くの車が止まっていた。駐車場から見える建物は、少し古そうではあるが、おおむね写真で見た通りだ。車を止め、エントランスに向かう。

 エントランスのドアを開けると、少しぎょっとした。

 玄関のたたきが、宿泊者の靴で埋め尽くされていたのだ。靴は特に並べられるでも、そろえられるでもなく、乱雑に散らばっていた。見たところ周囲に靴箱のようなものはない。

 「まあ、繁忙期だし、よっぽど忙しいのだろうか」とその場は自分を納得させ、手前で靴を脱いで、申し訳程度に自分の靴だけはそろえて玄関に上がる。

 すると奥から女将と思しき壮年女性が現れた。予約していた名前を告げると、けだるげに帳簿をめくって、少し申し訳なさそうな顔をこちらに向けてくる。

「加味條さん、和室で予約いただいてたでしょう。実は部屋を変更させてもらいたくて、洋室でもいいかしら」

 繁忙期なら、そんなこともあるのだろう。特にこだわりはなかったので、二つ返事で了承した。通された部屋は、フロントから廊下をまっすぐ進んだ突き当りの、8畳ほどの洋室だった。部屋に通される道中、廊下に虫の死骸が転がっていたが、気にしてはいけない。

 部屋のドアを開けると、むわっとした生暖かい空気が漂ってきた。中に入ると、なんだかかび臭い。ずっと閉め切られていた部屋なのだろうか。密閉された空気はよどみ切っている。布団に座ると少しジメっとしており、布団にもカーペットにも砂が散らばっていた。

 このホテルがコンセプトにしている「あるアクティビティ」は海に関連するため、前の宿泊者が残していった砂なのかもしれない。とりあえず窓を開け払って換気することで、少しでも臭いを和らげることにした。窓ガラスは海風が運ぶ砂でベタベタしていた。

 女将から言われた夕飯の時間までは、まだ少しあった。

 手持無沙汰だったのと、一日観光した疲れがあったので、風呂に入ってしまうことにした。浴場は温泉とまではいかなかったが、大浴場があるとのことで、支度をして向かう。道中廊下に虫の死骸がまだ転がっていたが、気にしてはいけない。

 風呂は、「大浴場」と呼ぶには心もとないサイズ感だった。洗い場が2つと、家庭用浴槽4つ分くらいの広さの風呂おけが一つ。期待はしていなかったが、露天風呂やサウナなどはない。全体的にボロい洗い場で体を洗い終え、湯船につかったところ…。ぬるい。体感36度くらいである。よく見るとゴミや髪の毛が浴槽にたくさん浮いており、もともとぬるめの設定なのではなく、お湯をずっと放置しているためにぬるくなってしまったようだ。さすがに衛生的ではないと判断し、すぐに上がって部屋に戻った。

 疲れを取るための入浴のはずが、なんだか無性に疲れた。部屋に着くと、再びカビのにおいに包まれ、湿ったベッドでスマホを見て時間をつぶした。「Wi-fiあります」とフロントには書いてあったが、僕の部屋には届いていないようだった。

 そんな状況でも、一つ楽しみがあった。

 レビューサイトによれば、ここの料理はおいしいらしい。たしかにここまで島で食べたものはどれもおいしく、ホテルでも島の食材を使った料理が食べられると聞いていたので、期待は高まった。

 時間になり食堂に赴く。虫の死骸は2つに増えていた。

 食堂はすでにほとんど満席だった。他の宿泊客はやはり「アクティビティ」を楽しみに来ている人が多いのか、浅黒い肌の若者や家族連れが多かった。すでに酒盛りをしている人も各所に見受けられる。

 従業員のおばちゃんに通され、指定された席に着く。時間通りに来たかいがあり、すぐに料理が運ばれてきた。

 刺身、揚げ物、肉料理、煮物、サラダ……前評判通り、おいしそうな料理が次々とテーブルを埋めていく。これは間違いない、と胸をなでおろしていると、女将がやってきた。

「ご飯とお味噌汁はセルフサービスなんでね、ご自身でよそってくださいね。おかわりも自由ですけどセルフサービスでお願いしますね」

 なるほど、この混雑である。スムーズなオペレーションのためには合理的なのだろう。僕はそそくさと席を立ち、ご飯と味噌汁をよそう。

 料理は絶品だった。なんだか気になることも多い宿だったが、これでトントンかな、と思わせるほどに美味しかった。「アクティビティ」を楽しむ人向けに、バランスが良くスタミナが付くメニューになっているようだ。思わず一度席を立って、ご飯のおかわりもしてしまった。

 そうして、僕が目の前の料理を8割ほど平らげたとき、事件は起こった。隣の席にいた若い女性3人組の一人が、突然手を挙げて言った。

「すみませーん!ごはんおかわりください!」

 そのとき、僕は内心でほくそえんでいた。あーあ、やっちまったな、こいつは、と。ご飯はよそうのもセルフ、おかわりもセルフなのが、このホテルの掟なのだ。女将自らセルフサービスと二回言っていたので間違いない。

 たまたま近くにいた女将が寄ってくる。女性客も「自分でよそえ」と言われているところを見られるのは恥ずかしいだろうからと、僕が視線を外したその時である。

「はぁい、普通盛りでいいかしら?」

 思ってもいない声が聞こえてきた。思わず全力で振り返る。

 そこには笑顔で茶碗を受け取り、かいがいしくご飯をよそう女将の姿があった。

 この瞬間、僕の中で何かがはじけた。

 人には散々セルフサービスと言っておいて、この対応の差はなんだ。合理的だなんだとひとり合点した自分が急に恥ずかしくなる。よく見れば女性客は色黒で、いかにも「アクティビティ」を楽しみに来た風体。そして明らかにそうではない僕と対応が違うのは、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。

 「たかがご飯のおかわりじゃないか」と言う人もいるかもしれない。しかしきっかけはいつも、些細なことなのだ。細かいダメージを蓄積して限界を迎えたダムは、木の葉がぶつかっただけで決壊してしまう。

 この宿についてからの出来事が走馬灯のようによみがえる。

 玄関では靴が片付けられていなかったせいで、靴下でたたきを踏まなければならなかった。

 部屋の変更を突然言い渡され、明らかに手入れがされていない部屋をあてがわれた。

 風呂も廊下も、まったく掃除や手入れがされていなかった。

 あの虫はなんだったんだ。カメムシ?

 「まあ、そんなもんか」「混んでるしな」などといった言葉で自分を納得させてきた要素一つ一つが、ふつふつと怒りの種となって腹の底からこみあげてくる。

 だがこちとら小心者。そこですぐにクレームを入れられるような人間ではなかった。部屋に戻るとレビューサイトを立ち上げ、生まれて初めて長文の低評価コメントを投稿した(現在冷静になったので削除済み)。このパケット代もWi-fiが届かないばかりに自腹かと思うと無性に腹が立った。その日はくやしさをかみしめるように、かび臭い布団にくるまって寝た。

 完全な当てつけだが、以上が僕がサーファーを嫌いになるまでの話である。

(おわり)

写真:筆者撮影

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?