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『Plastic Love』竹内まりや 最近流行っているというJapanese City Pop

今回は邦楽ミュージシャン『竹内まりや』についての記事です。

邦楽関連のnote投稿は、『はっぴいえんど』に続いて2本目です。

主に竹内まりやの『Plastic Love』という曲についてです。

1.『Plastic Love』竹内まりや 概要

 Plastic Love.竹内まりや

竹内まりや通算12枚目シングル。(アルバム『Variety』収録)1985年3月25日リリース。

『Variety』竹内まりや6thアルバム 1984リリース プロデュース 山下達郎

※アルバム『Variety』はSpotify,Apple Music共に、ストリーミング配信が解禁されていないようなので、2008年発表のベストアルバム『Expressions』です。

 Plastic Love.竹内まりや Extended Club Mix.

1985年3月25日『PLASTIC LOVE (EXTENDED CLUB MIX)』が、12インチシングルとしてリカットされた。

Plastic Love 竹内まりや New Re-Mix

上のExtended Club Mix 12 inchシングルのカップリングに収録の“NEW RE-MIX”は、カップリング用に作られた、アルバム・バージョンより楽器編成がシンプルな別ミックス。

『プラスティック・ラブ』人気のきっかけは2017年7月に、このExtended  Club Mixの音源が、Youtubeにて非公式にアップロードされた動画。
これが2018年時点で、既に2400万回以上の再生回数を記録したこと。
この動画のコメント欄に英語のコメントが集まり、海外のリスナーの多さがうかがわれた。

日本ではこのシングルは1985年のリリース当時、1万枚以下、最高85位、配信やカラオケ部門でも20位台。
日本でもそこそこ定評はあるものの、海外での人気は比べ物にならないほど高い。

ベジタブル/Vegetable.大貫妙子 1985
Plastic Loveと同年リリースの大貫妙子『ベジタブル』

竹内まりやと同じく海外評価の高い大貫妙子がバック・コーラスで参加していることも、人気の理由と思われます。

以前から竹内まりやや山下達郎、大瀧詠一などは海外人気は高い。
Youtubeの非公式アップロードの再生回数とコメントが再評価のきっかけになり、日本に人気がさらに逆逆輸入された形で評価されたということ。
※言うまでもないけど1985年当時は、Youtubeなどで誰もが気軽にアクセスして世界中、各時代の好みの音源を聴けるようなネット環境はまだ整っていなかった。

その人気と評判を受けて、

「Plastic Love」Short ver.

2019年にオリジナルPVが製作されました。
ただしYoutubeで視聴できるのはShort ver.(ショート・ヴァージョン)で、フル視聴は今のところ解禁されていない。

発表から35年経過した後の2019年、海外での人気を受けてミュージック・ビデオが制作された。

映画『souvenir the movie ~Mariya Takeuchi Theater Live~』予告編

『souvenir the movie 〜MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜』2020年11月18日リリース

この『Plastic Love』のビデオは竹内まりやのライヴ・ドキュメンタリー映画『souvenir the movie 〜MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜』のアンコール上映にあわせ、2019年5月17日にYouTubeで「ショートバージョン」が公開された。
ビデオ監督は映像クリエーターの林響太郎が務めた。

2.『ジャパニーズ・シティ・ポップ』ブーム

2010年代後半あたりから、80年代の日本のシティ・ポップやファンクの再評価の波が海外で起こった。
無数のリミックスやリエディット動画もアップされた。
シティ・ポップ再評価の背景には、『Vaporwave(ヴェイパーウェイヴ)』も大いに関係している。

『Plastic Love』はジャパニーズ・シティ・ポップ再評価のアイコン

その後も、ファンの手によって歌詞を英語にし、リック・アストリーの『ギヴ・ユー・アップ』とのリミックスなど、ディスコミックスにした動画などが投稿されたりした。

また、フューチャー・ファンクのジャンルでは定番中の定番となり、無数のリミックスやリエディットがネット上にアップロードされた。
放送局などを傘下に持つカナダの大手デジタルメディアであるヴァイス・メディアの音楽サイトであるノイジーなど海外メディアでも取り上げられるなど。

竹内まりやの『Plastic Love』は、海外での1980年代の日本のシティ・ポップ再評価の動きのポップアイコンとしてマニアックなDJの間でブームとなった。

このブームを受け、竹内まりやの所属レコード会社であるワーナーミュージック・ジャパン公式YouTubeチャンネルからも、時代に合わせた楽曲の新たな解釈として、
2020年前後のシティ・ポップにみる都会、夜、車をテーマとした表現を加えたプロモーションビデオが投稿された。

3.6thアルバム『VARIETY』(ヴァラエティ)について

『VARIETY』(ヴァラエティ)竹内まりや 1984
全曲が「作詞・作曲:竹内まりや、アレンジ&プロデュース:山下達郎」となっている。
竹内まりやが1984年にリリースしたシンガーソングライターとしての復帰第一作。

1981年
アイドル歌手としてのオファーと自身の希望する活動とのギャップが原因のストレスと、過酷なスケジュールが祟って竹内は喉を傷めて入院。
音楽活動に一旦整理をつける意味から一時休業を宣言。
1982年4月
27歳で山下達郎と結婚する。
これ以降メディア露出はほとんどなくなったが、同時に作詞家・作曲家として活動を開始し、河合奈保子に提供した「けんかをやめて」「Invitation」などがヒットした。
しかし同じ1982年、山下達郎の担当ディレクター小杉理宇造がRVCから独立し、アルファ・ムーンを設立する。
山下達郎も「役員兼所属ミュージシャン」として移籍した。

Mariya Takeuchi (竹内まりや) - もう一度
1984年にシングル『もう一度』リリース。

本気でオンリーユー - Mariya Takeuchi - Let's Get Married
シングル『もう一度』カップリング曲。

そして全曲を竹内自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリースした。

このアルバム『Variety』の構想段階では、以前のように外部作家を起用して制作する予定であったが、休業中に竹内が書きためたオリジナル曲のクオリティの高さに山下が驚き、結果、全曲を自作曲のアルバムとしてリリースすることとなった。
同作品は最終的に30万枚以上のヒットを記録した。
同年、竹内、山下の間に娘が誕生した。

竹内まりや/ マージービートで唄わせて

この曲は、竹内まりやが人生で最も影響を受けたビートルズへの想いを表したオマージュソング。
少女だったあの頃は話している言葉も分からないのに夢中で追いかけていたと謳っている。

続いて1987年

4.7thアルバム『Request』(リクエスト)

『REQUEST』(リクエスト)竹内まりや 1987年

※Apple Musicにはアルバム『Request』の配信はありませんでした。

「REQUEST -30th Anniversary Edition- Trailer (猫の恋)」

前作『VARIETY』から3年ぶりのオリジナル・アルバムとなる。
自身のシングルに加え、他アーティストへの提供曲を収録。
本アルバムをプロデュースした山下達郎は、演奏やバックコーラスにも参加。
オリコンの集計では、約4年間かけてミリオンセラーを達成している。

『Request』以降作品リリースのペースはゆったり。
基本形は、他ミュージシャン、アイドルへの楽曲提供で、それを自身でカバーと、書き溜めたオリジナル曲を合わせて、アルバム発表。

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