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バンコク封鎖日記Day26:天才を育て、生かす社会とは

26日目。

今日は朝から晩までずっとリモートミーティング。オフィスでもずっとMTGしているけど、不思議とリモートの方が疲れるのは何故だろう。。夜は僕の貴重なネットワークの、バンコク人事会の皆さんとZoomで飲み。東京、大阪、バンコク、シンガポール、とそれぞれの場所で外出自粛ながら頑張っている様子が聞けて良かった。

さて、今日はこんな記事が気になった。コロナ対策優等生と言われていた、台湾の新規感染者がついにゼロになったという。

台湾は今、経済活動の自粛なども特になく、世界でも稀な回復ケースと言えるだろう。地理的に中国にも非常に近いにもかかわらず、封じ込めに成功しているのは驚きだ。中でも天才と言われるIT大臣オードリー・タン氏がマスクの在庫を確認できるAppを開発したことは、大きな話題を呼んだ。

天才を育て、生かす社会とは?

このタン氏が気になって調べてみると、こんな記事にたどり着いた。タン氏がどのような人物なのかよくわかるし、どんな環境で育って才能を開花したのかのストーリーがとても興味深い。いくつか抜粋してみる。

唐鳳の両親はともにメディアで仕事をしており、考え方は知的で開明的な人々だった。父親は読書を愛好し、お金があれば本に使うような人だった。平等主義者でもあった父親は、大人に接するのと同じ態度で唐鳳にも接し、小学生の頃から唐鳳とひたすら質疑を繰り返す「ソクラテス式問答法」の対話を続け、自分の書棚にある数学や哲学の本を自由に読ませた。このような家庭で育った唐鳳は早くから知性の輝きを見せた。
当時、唐鳳は中学校の科学コンテンスで入賞しており、名門高校への推薦入学が保証されていたが、その道を選ばなかった。学校での知識は、ウェブで知り得ることに比べて10年は遅れているように思えた。もしそうであるばら、直接ウェブから学べばいいではないかと考えたのだ。

天才は語学にも強く、小学校のとき、母親と一緒に欧州に1年修学しており、ドイツ語やフランス語にも通じている。ウェブで世界各国の学者や専門家から教えを受けることができた。質問を受けた外国人は、相手が知的好奇心の強い大学院生か何かと思い込んでいたらしいが、実際は中学校を中退したばかりの若者だったのである。

学校から永久に離れるという決断は、家庭にも大きなインパクトを与えた。自己学習で、しかも起業したいというのだ。祖父母や父親は反対したが、賛成したのは母親だった。母親はメディアの仕事をやめて実験的な学校を設立した経験もあり、学びは決まった一つのルートだけではないという考えを持っていたので、唐鳳の最大の理解者となった。

14歳で学校を離れた唐鳳は、16歳でコンピューター会社の経営に参画し、企業社会に足を踏み入れた。プログラマーとしても、経営者としても、順調な歩みを続けた。複数の企業を立ち上げ、アップルやオックスフォード出版など著名会社のデジタル顧問に就いた。

タン氏のような異彩を育んだ陰に、両親の寛容さと理解があったことがよくわかる。学校に通わずに、16歳で起業する。普通の価値観であれば「とりあえず大学までは行きなさい」などと言って反対するだろう。しか型に囚われない母親のお陰で、タン氏は才能を発揮することができたのだ。

唐鳳は人と人を区別する「境界線」は存在しないと考え、性別も乗り越えることにした。生まれたときは男性で、名前も唐宗漢といったが、25歳のとき、女性への性転換を決め、名前も中性的な唐鳳に変えた。台湾で最初のトランスジェンダーの閣僚となり、閣僚名簿の性別欄にも「無」と記入された。
唐鳳の両親は、トランスジェンダーについてどう考えているか?両親とも「唐鳳がそれで幸福になれるならば心から応援する」という反応だ。天才の子供に対して、両親に必要なのは無条件の愛情と寛容なのである。

この一説には、台湾社会の寛容さも垣間見える。日本の内閣が、35歳のトランスジェンダーを大臣に登用するだろうか。恐らく前例がないとか、色々と難癖をつける人が現れて、こうした人事は実現しないだろう。タン氏に目をつけて登用した蔡英文氏の判断も素晴らしい。(彼女が再選して本当に良かった)

デジタル担当大臣になったあと、唐鳳は政策についてパブリック・オピニオンを募るネット上のプラットフォームをつくり、国民に対して、実施可能な政策アイデアを出すように求めた。政府と民衆の境界線を打ち破り、社会の本当の声が、政府にしっかり伝わる仕組みを作ったのだ。

台湾は環境保護を重視しているが、2019年7月にはプラスチックのストローを全面的に禁止した。この政策の出発点は16歳の高校生の女の子が、このプラットフォームで提案したものだ。このアイデアに5千人が賛同し、環保署(環境省に相当)が政策として法制化した。台湾はタピオカミルクティーが有名で一年で10億杯ものドリンクを消費すると言われる。その大きな変革は、唐鳳の作ったプラットフォームで1人の女子高校生の提案から始まったのである。

台湾は長きにわたり中国の圧力で国際組織から排除されていたが、唐鳳は国際連合の会合に参加できる方法を思いついた。デジタル方式の参加であり、台湾の声を世界へ送り届けるにあたり、科学技術と外交を組み合わせる方法を編み出している。

こうした取り組みも、国民の声やアイデアが政策に反映されるまでに時間がかかる日本とは、残念ながら対照的だと言わざるを得ない。東京都副都知事として活躍する元ヤフーの宮坂氏が、コロナ対策サイトを「爆速」で開発したという希望が持てる例も一部にはあるが、大臣級でこうした異才が活躍したことは、私の知る限り一度も無い。

コロナショックを乗り切った後、日本が生まれ変わるには日本の政治も変わらなくてはいけない。今は残念ながら、あきれるような言動をする政治家が多すぎる現状だ。政治への関心も低く投票率も低迷している。隣国のリーダーを賞賛しているだけではいけないが、その姿を良い模範として、我々自身の政治もレベルアップしていかなくてはいけない、と改めて思う。

今日は以上です。

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