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他人が変われば、自分も変わる

海外に行くと、身振り手振りが大きくなっちゃう。底抜けに明るい人間になっちゃうという話、よく聞く。日本を出たら、言葉だけでなく、性格も変わっちゃうというやつだ。

私は日本では、極度に内向的、根暗だった。そんな私が、韓国に行って、底抜けに明るくなったか?NOである。人はそう劇的には変われない。

しかし、ところ変われば、周りが違う扱いをしてくれる、ということがある。たとえば、韓国にいれば、日本人だというだけで、たびたび違う扱いをされる。

つたない韓国語で話せば、食堂のおばちゃんに「どこから来た?」と聞かれる。
「日本から来た」と答えると、
「韓国はどうだ?何歳だ?彼氏はいるのか?」
「あーだ、こーだ」
「いない?じゃあ、韓国の男を紹介してやる」
そのうち、目玉焼きをサービスでもらったりする。

マンションの管理人のおじさんには、日本人だということがバレて以来、顔を覚えられてしまった。会うたびに声をかけられる。
「ずいぶん遅いけど、忙しいのか?」
「ちゃんとご飯は食べているのか?」
素性がバレている以上、悪いことなんて、できやしない。品行方正になる。

私が住んでいたマンションは、不在配達の荷物は、管理人のおじさんのデスクの周りに、積まれていた。ダンボールに部屋番号が書かれている。私のダンボールには「1430 日本」。私の箱だけ、国籍表示。知らずに通り過ぎようものなら、追いかけて来る。そして、たまにヤクルトをくれる。焼き芋ももらった。

電話で飲食店の予約をすると、名前を聞かれる。しっかり名前は伝えたつもり。しかし、行ってみると、予約名は「日本人」。店員さんに「私、先週、日本に行ってきました〜」などと言われ、会話が始まる。そのうち、名前を聞かれても「日本人です」と答えるようになる。

また、試しにやってみたハングル書道では、どうこねくり回して見たって、駄作なのに「努力賞」をもらった。表彰式にも参加。もう明らかに、エコ贔屓。無理やり作った外国人特別賞。

こういうことが、たびたび起こる。
「私だけ」「特別に」もらうサービス。顔を覚えてもらうこと。そこから始まる、たわいのない会話。私のために作られた外国人特別賞。この「特別扱い」は、一度味わうとやめられない。止まらない。病みつきになる。心地良い。

私は特別に可愛がられる経験をしたことがない。存在感がない。薄い。しかし、世の中には、特別に人様の寵愛を受ける人たちがいる。わかる。だって、愛嬌があるんだもの。気が利くんだもの。輝いているんだもの。でも、うらやましくて仕方なかった。ちょっと妬んだりもした。彼・彼女たちと、自分を比べて、ますます落ち込み、ますます引っ込んだ。

そんな私みたいな人間にとって、小さな「特別扱い」の積み重ねは、大きな自信につながる。そして、人との付き合いが少しずつ楽になる。

カナダの精神科医、エリック・バーンは言った。「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」と。

でも、自分を変えるのって、そう簡単じゃない。じゃあ、周りの他人が総入れ替えするような場所に、まったく違う他人がいる場所に、自分が入って行ったら?

少しは、変わることもある。
変わらざるを得ないこともある。
他人が変われば、自分も変わる。
そして未来も、ちょっと変わる。

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