【エッセイ】周恩来との再会
著者:王敏(法政大学名誉教授、当財団参与)
周恩来は青春期の1917年秋から1919年春にかけて、「中国の奮起のために学ぶ」という雄志を抱き日本に留学しました。
1918年2月25日の日記に、周恩来は留学の目的を書き留めました。「進化の軌道に従って、大同に最も近いことを成すべし」と。
「大同」とは儒学のバイブルとされる『礼記』に典拠する言葉です。現代中国語の「中国の夢」の古代版です。孔子に提唱された平等、幸福のモデルである大同の実現を目指して、康有為と梁啓超、孫文と魯迅、近代の有志がみな日本を大同実現のための活動拠点にしました。
1919年4月5日、周恩来は大同への探求に惹かれ嵐山を逍遥しました。古都の近代化を目の当たりにしたのです。夜の京都のきらめきを見下ろしました。その感動を「数十の電光」(「雨後嵐山」)と詠みました。近代化する日本の古都と停滞する中国の古都を比較して、中国社会に欠けるものが見えた一瞬があったのです。「一点の光明」(「雨中嵐山」)を突き止めたと描写しました。
嵐山で悟ったことがあまりにも大きかったか、1954年11月11日、周恩来は日本の学術・文化代表団と会談した際、「真の『共存共栄』の種をわれわれの間に見出さなければならない。私はその種があると思う」と語りました(『50年代の周恩来』遼寧省人民出版社、2017年)。
1972年、「種子」が実らせたように、日中共同声明の発表並びに、国交正常化はついに実現されることに至りました。嵐山で見えた「光」が両国の国民の心を温かく和らげてくれました。
1979年、日中平和友好条約締結記念として、関西地域の友好団体が嵐山の麓に「雨中嵐山記念詩碑」を立てました。また2022年には日中国交回復50周年を記念して、周恩来平和研究所が嵐山の頂上に「雨後嵐山記念詩碑」を建立しました。二つの詩碑は渡月橋上流の保津川(渡月橋からは桂川)を挟み対座して大同の理想と実践を呼びかけ続けています。
2023年、周恩来生誕125周年・日中平和友好条約締結45周年記念の節目に、周恩来平和研究所は周恩来のご親族を招き、日本における周恩来記念活動を開催しました。
今年・2024年は、周恩来生誕126周年になります。「和平共存五原則」ご提唱の70周年記念でもあります。4月の清明節に際して、周恩来のご親族・周秉徳女史と沈清先生より書面挨拶、孔子第79代目の嫡長孫孔垂長ご夫妻を嵐山で迎えることができました。日中両国の人々が、嵐山に残る若き周恩来の足跡をたどり、井戸を掘った先人に感謝を捧げて「大同」・世界平和を誓いました。