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そうだ 蘇、作ろう。

 疫病が流行り色々なものが品薄になる中、牛乳が余るという話があるそうな。私もどういうわけでそういう話になったのか正確に把握しているわけではないが、感染を防ぐための学校休校で給食用の牛乳が余るとかなんとか、そういう流れのようだ。
 そんな話を受けてインターネット上で牛乳を大量に使う料理のレシピが出回り始め、その中でも特に「蘇」が大流行らしい。蘇とは古代日本で作られていた乳製品で、手っ取り早く言えば乳を煮詰めたものらしい。もしくはそれになんらかの処理がなされたものらしいが、伝わっている製法はとてもざっくりしていて詳細な製法が分からないため、ネット上でもてはやされている蘇とは乳を固形になるまで煮詰めたものと考えてよさそうだ。

 疫病で人混みを避けることが推奨されているので特にやることも無い。上皇様もいらっしゃる時代だし平安貴族の気持ちを体験してみるのも一興だろう。
 そんなわけで自分も流行に乗ってみようと思い立ったわけだが、実は昔作ったことがあるんだよね。その時は蘇として作ったというよりインドの激甘スイーツ「グラーブジャムーン」を作る過程でできただけだったけど。乱暴に言えばグラーブジャムーンは蘇を油で揚げてシロップに漬け込んだお菓子。煮詰めて濃縮された乳に油と砂糖のハーモニーが奏でるカロリーの暴力。
 というわけで今回は蘇を作り楽しみつつ、グラーブジャムーンも作ってしまおうという計画だ。

乳を煮ろ!

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 まずは牛乳を鍋で加熱。とりあえず1パック、1リットルの牛乳を使う。テフロン加工された鍋を使うと乳がこびり付かなくて作りやすい。始めは強火で一気に加熱した方が時間短縮できるが平安時代に思いを馳せるならのんびりと弱火でいこう。そもそも平安時代に自在に火加減を調節できる術があったか知らないけど。


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 1時間ほど煮ると量も減ってくる。何となく濃くなってきているのが分かる。この変化が出てくるまでは本当にただひたすら牛乳をゆっくりとかき混ぜるだけの人となる。これを楽しいと感じられれば蘇職人の才能がある。私はある。


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 さらに煮続けると粘度が増してきて、かき混ぜたときに鍋の底が見えるようになる。だんだんとホットケーキ生地のようになってくる。焦げ付かないように弱火を維持しつつ丁寧にかき混ぜる。この辺りになると乳の変化も加速していく。


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 2時間ほど経つとこんな具合で完全に焼き菓子の素材的な様相になる。焦げ付かないよう丹念にかき混ぜる。平安の当時これを作る人はテフロン加工も無い鍋にもかかわらず熟練の技で焦げ付かせずきめ細やかな蘇を作っていたのだろうなあ。もしくは焦げても気にしなかったのかも。この辺りになればちょっと目を離すとすぐに焦げ付きそうになるので注意。


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 表面から水分も飛びまとまってきた。ここまでくるとかき混ぜるというより転がすといった具合。


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 完全に固体になれば火を止める。冷まして冷蔵庫で一晩寝かせれば完成。出来上がってしまえば最初の牛乳から随分と目減りしているのが分かる。最初は全然変化がなかった牛乳が指数関数のグラフのように変化を加速させる様は見ていて飽きない。私には蘇職人の才能があるので。


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 完成品がこちら。今回は白っぽい色になったが以前作った時はもう少しキャラメルっぽい色になった。恐らく加熱の仕方によって色が変わると思われる。
 味は牛乳やヨーグルトやチーズといった乳製品を全て内包したような味。ほのかに甘みを感じるので砂糖が今ほど手軽に手に入らなかった時代だと十分スイーツとして通用するのではないかと。現代でも京都のお洒落な和カフェで出されれば雰囲気に飲まれてスイーツと認識してしまうだろう。
 しかし砂糖に溢れた現代を生きる我々には甘さが足りない。我々が求めているものはカロリー、すなわちパワーだ。力こそパワー、そう感じるのならば次のステップに進もう。


油と砂糖で最強

 蘇に小麦粉を加えて均等に混ざったら丸める。

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 これをこうして

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こうじゃ!

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 油で揚げてシロップに漬け込む。シロップといっても小細工は一切無い。水に砂糖を溶かしただけの砂糖水だ。ただし砂糖はケチらない。後は待つだけ。
 甘いはうまい。そして甘ければ贅沢。そんなシンプルな発想のインド料理。1リットルの乳を煮詰めるのに2時間かかるし、そこから揚げるしシロップに漬け込むしと、結構手間と時間がかかるから実際相当に贅沢な料理だよ。


歴史の流れは乳の流れ

 そんなこんなで今回は牛乳をひたすら煮詰める体験をしたが中々どうして悪くなかった。濃厚な乳の香りに包まれながら徐々に変化していく鍋の中の乳は、変わらないようで刻々と変化していくまさに歴史そのもの。百年千年単位で俯瞰すれば目まぐるしく動いているのかもしれないが、その時その時を生きる当事者からすれば毎日の繰り返しの日常の連続だったのだろう。そんなことを考えながら乳をかき混ぜる時間のなんと贅沢なことか。これは平安貴族にも匹敵する贅沢ではなかろうか。
 まさか平安貴族も令和という未知の時代で蘇が流行しているとは夢にも思わなかっただろう。そしてそれを歴史に名前も残らないような平民が作っていることも。まあネットの流行スピードはマッハなので来週には忘れ去られているかもしれないけどね、蘇。

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