みました

シン・エヴァンゲリヲン劇場版を見た。
ネタバレになるかもしれないので見てない方は読まないでね。

特に何か感想とか書こうと思っていなかったのだけど、友達が文章を書いていて僕も何か書いておこうかなと思ったので書いた。

でも、作品を分析したり批評したりする気は全然無くて、感想も文章化すると僕が劇場で感じたことが一般化されて、もったいないかとも思っていたのであまりする気はなかった。

のだけど、まあシン・エヴァを見て当時感想を書いた、と言う思い出があってもいいかと思ってちょろっとだけ書いてみた。別に大した文ではないです。

まだまだ話したいことは沢山あるけど、エヴァについては深く思い出そうとすればするほど消化してしまいそうなのでもったいないのであまりしていない。


以下感想
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シン・エヴァンゲリヲン劇場版は僕のために作られた映画だった。

いや、映画というより、僕が若者だった頃に知り合った大切な人に会いにいって、大切な話をして、最期の別れを告げてきたという方が近い。

走馬灯のようにみんなが頭の中に出てきて、昔の彼らと今の彼らがいて、昔の僕がいて、今の僕がいて、皆歳をとっていた。皆、声が一段階低くなっていた。彼らが存在すること自体が嬉しかった。そして、もう会えない。(みんな、たまにコンビニのグッズになったり缶コーヒーになったり、何かのコラボで街に現れていて、「またか」と思ったりしていたけどそれももう無い。あるかもしれないけど今までとは完全に意味が変わったんだ)

本当に寂しい。
これと同じことを思ったことがある。古畑の最終回だ。

「ラストダンスは私に」の曲に合わせて、古畑と松嶋菜々子がぎこちなく踊る。この最期のシーンで僕は古畑にもう会えないことが信じられなくて、何も考えたく無くなって、しばらく無になっていた。
かかっていた「ラストダンスは私に」は、僕が初めて古畑を見た回、桃井かおりが犯人の回で使われていた曲。桃井を出し抜くために古畑が歌ってテープに吹き込んだ曲だ。僕はこの回の古畑を見て、あまりの面白さに感動して、当時いじめられていて絶望していた日々から抜け出すことができた。さらっと一言で書いたが、本当にこれは僕の人生を変えた。
古畑はラストシーンと出会いのシーンが「ラストダンスは私に」によってつながっていた。僕のための最終回だと思った。この時の気持ちは忘れることができない。

シン・エヴァでみんなにお別れを告げた。最初は綾波。綾波と別れるシーンで悲しかったけど、なぜか救われた気持ちになった。この気持ちがなぜ起きたのかは分からない。映画を分析していけばなぜかが分かったりするんだろうけど別に分析したいとも思わない。綾波と別れて、僕はシンジ君と同じように落ち着いた気持ちになっていた。別れが悲しかったけど前を向くことができた。

そして、みんなに別れを告げていく。
ミサトさん。ピストルで撃たれた時、瞬間、ナディアのエレクトラを思い出した。あの頃僕は大学をサボってTSUTAYAでナディアのDVDを借りて一人で見ていたなぁ。

アスカ。昔好きだった人。昔好きだったことが言えてスッキリした。僕が実際に中学の時に好きだった人にはそれは言えていないけど。

最後に残ったのは真希波。最近できた友達。まだ思い出がないけど、これから作れる相手。前を向くことができた。20年くらいかけて中学を卒業して高校生になれた。もう随分なおっさんではあるけどようやく高校生になれた。高校生の時に彼女を作るチャンスがわずかにあったのだけど大失敗したことを思い出した。声は中学生の時とはもう違う。

トップをねらえ!の時はこうではなかった。僕はノリコの立場だったから、何十年も時間が経ったのは周りだけだった。でもエヴァではみんなが本当に20年の時を経てこの世界に帰ってきたんだ。

恋人がいること、家族がいること、いいことだなと思う。父親が口うるさく僕に言う。家族を作れと。父親は間違っていることばかり言うけど、正しいことしか言わない。

お別れは寂しいけど、人生はまだこれからだし、ある種始まったばかりとも言える。

さようなら、全てのエヴァンゲリオン。

誰かと別れて寂しいことがある度、ジョジョのこの言葉を思い出す。思い出すと前を向くことができるからだ。

愛して その人を得ることは最上である…
愛して その人を失うことは その次によい

ジョジョは吸血鬼の方が作者なので終わることはないと思うけど、終わって寂しい作品はあとはジョジョくらいかもしれないなと思った。

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