焚書
歴史上、焚書は三度行われたと感じている。
初回は秦の始皇帝が行った焚書坑儒だと思う。
始皇帝の行った焚書は、暴虐な政治を批判する民衆に対する思想弾圧のために行われた。民衆に知識を与えないためだ。
二回目は毛沢東が行った簡体字の普及だ。民衆に知識を与えると共産主義の崩壊に繋がるために、始皇帝に習って焚書を行おうとしたが、物理的に不可能だった。
そこで、民衆に書籍を読めなくするために、考え出されたのが、簡体字だ。
中国は簡体字を使用することによって民衆が歴史や古典を学ぶことができないようにした。ソフト的な焚書だ。今の中国人は漢字が読めない。
韓国については、両班と呼ばれる支配階級が漢字を使っていたが、民衆はもともと文字を読めなかったのでここでは考えないことにする。
最近はハングル文字を利用しているようだが、漢字は読めない。
漢字が読めないので歴史や古典が全く理解できないでいる。
三回目の焚書は戦後日本でGHQ が行なった特定書籍の没収・廃棄だ。
これによって、現在の日本の学校における歴史授業が訳のわからない、意味の通らないものになっている。
そこで、最近では篤志による、没収・廃棄された書籍の復刻運動が行われている。
何が戦勝国にとって不都合だったのだろう。
本年11月発行の完全復刻された辻善之助著『皇室と日本精神』を入手した。
読み進めるうちに、理解できた。 GHQ は皇室の伝統を日本国民に知らせたくなかったのだ。世界最古の歴史を持つ国を抹消したかったのだ。
ただこの GHQ の行なった施策は違った意味で日本に学術的な貢献することになる。識字率の高い日本人は本当の歴史を探し始めたのだ。
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