【エッセイ】「仕事」と「労働」—(3)「仕事」あるいは「為事(しごと)」とは何か
では、同じように、「仕事」という言葉を、「再・建築」して行く。まずは辞書だ。
「しごと【仕事】〔「為シ事」の意〕からだや頭を使って、働く・(しなければならない事をする)こと。」
ふむ。…。
まず、「仕事」が「為シ事」の意である、という文章に、注目してみる。
以上は、「平成の三島由紀夫」こと、平野啓一郎さんの著書からの引用だった。正直な話、この引用が、私のほんとうに語りたかったことのすべてだ。ゆえに、最初からこの文章を、コピー・アンド・ペーストしておけばよかったものを、たらたらとここまでカイてしまったわけなのだが、先ほども述べた通り、言葉の「再・建築」が、私の本来の目的であったのだから、まあ、いいか、とも思えて来る。
何が言いたかったのかと申せば、「仕事」というのは「為事」であり、「為事」というのは、人間が生きる「ために」「しなければならない事」であるということだ。
平野氏は、「為事」というのは、人間が生きる「うえで」「為る事」と書いておられたが、ここでは、便宜上、辞書での「仕事」と「為事」をイコールで結ぶために、「しなければならないこと」と、敢えてカイてみた。
人間というのは、実に興味深い動物である。意味も無く、訳も無く、色々なことを「為る」。つまりは平野氏の言う「為事」は、それこそ無限に存在するのだ。しかしながら、その中で、人間が生きるために「しなければならないこと」とは、一体何だろう?
「為事」とは、一体なんだろう?