【随想】太宰治『散華』
現代は誰も彼も自己愛を肥大させ、ひたすらに自己演出に努め、自分の肯定ばかりに躍起になり、勝者の居ない世界で虚栄の華やかさを較べ合っている。他を認め、他を思い、他に身を捧げることが馬鹿の所業とされてしまったこの時代にもはや幸福は存在しない。幸福とは決して己一人で成し得るものではない。その死の間際にあって思うのは薄っぺらな見栄と虚飾の日々。それが不幸だと、気付かずに死んでいける者はまだ救われている。
どうして、いつから世界はこうなってしまったのだろう。虚しい。空しい。あまりに無意味だ。あまりに何も無い。足りないものは何だろう。何が足りないのだろう。宗教か。哲学か。芸術か。知恵か。愛か。戦争か。犠牲か。飢餓か。それとも全て満たされていて、満たされているのが却ってよくないのか。自分の頭で考えないとか、操られていることに無自覚だとか、主体性がどうの受け身の姿勢がどうのとか、そんなの下らない。そんなことは言って聞かせてどうにかなるものではないし、そもそも、それが良い悪いという話でもない。そうではなく、死生観、きっと死生観が足りない。生と死を切り離してしまったことが最大の問題だ。死が、遠い国やフィクションの中にだけ存在する架空のものになってしまったのだ。誰も自分が死ぬという事実に実感を持っていない。死が遠すぎる。ニヤニヤ笑って簡単に人を殺すことが、快感にさえなってしまった。それがヒーローになってしまった。笑えるか。人が人を殺す時に笑えるか。現代は安易だ。極めて思慮が浅い。簡単なものしか評価されない。単純な荒唐無稽ばかりが金に換わる。どうかしている。みんな実際どうかしている。
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