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故郷はもうないのか

4月6日。僕は羽田空港から飛行機で小松空港に移動した。小松空港から金沢駅に移動すると、自分より一足先に戻っていた兄が車で迎えに来てくれた。僕を見るなり、兄は僕の全身に消毒スプレーを吹きかけた。家に帰ると、風呂場に直行させられすぐに風呂に入り、僕の着ていたものはその間に全て洗濯された。まるで小学生からばい菌扱いするようないじめを受けている気分だった。しかも家族から。昨今の情勢を考えればしょうがないとはわかっていても、やはりやられていい気分のものではなかった。そして4月7日。東京をはじめとする7都府県で緊急事態宣言発令された。緊急事態宣言の発令は数週間前から言われていたが、結果的には緊急事態宣言が出される前に何とか東京を脱出できた形になった。

そこからは隔離生活の始まりだ。基本的には自分の部屋で過ごす日々。朝起きて体温をはかり自室で朝食を食べる。その時はまだ授業は始まっていなかったのでそこまですることもない。読書をしたり筋トレしたり、ゼミ生とzoomで話したりし日中を過ごした。日が沈み出歩いている人が少なくなってきたであろう頃に、ようやく外に出ることができ誰もいない山道をランニングをする。その後は例のごとく自分の部屋で一人寂しく夕食をとる。僕の家は両親と兄と妹の5人家族。普段は父・兄・僕の3人が東京で生活しているため広い家に母と妹の2人しかいない。しかしこの期間は年末年始とお盆以外揃うことのない我が家族が珍しく全員揃っていた。にもかかわらず、食事を含む一日のほぼ全ての時間を自分の部屋で過ごす日々。せっかく実家にいるのに一人暮らししているときと全く変わらない生活だった。

そしてコロナウイルスの潜伏期間といわれる二週間が経過した日。それまで特に体調に問題もなかったためようやく家族とは普通に過ごす日々が訪れた。上京するまで実家では自分の部屋よりリビングで過ごすことが多かった僕にとって、ようやく実家での普通の日常を感じられた。ちょうど同じ頃にはオンライン授業やリモートでのインターンが始まり、パソコンと向き合う時間が劇的に増えた。最初はかなりしんどかったが、個人的には慣れればそれほどきついものでもなかった。空いた時間には兄と近場にドライブに行ったりするなど適度にリフレッシュもできていた。こういう生活もたまには悪くない、そう思っていた。

そんな生活を2,3か月送った6月の上旬ごろ、東京に戻ってやらなければならないことができたため東京に戻ることにした。ちょうどそのころは人口に対する感染者数が全国トップクラスだった金沢もそして東京も、比較的感染者数が落ち着き始めていたためそれほど心配はせずに帰りの飛行機に乗ることができた。しかし、羽田空港から電車で最寄り駅へ移動し到着した瞬間、衝撃を受けた。想像以上に普段通り出歩く人が多かったのだ。その日は休日ということもあっただろうが、飲食店にもそれなりに人は入っているしショッピングモールでは店舗によって入場規制をかけているところもあるほど混雑していた。それを見た瞬間、正直なところ「そんなものなのか」と感じた。「withコロナ」を意識した生活が始まっているともいえるかもしれないが、東京の人々の様子を見る限りそこまでコロナウイルスを怖がっているようには感じられなかった。この光景を見るまで、東京に戻ってからの生活のイメージは実家での「おうち時間」と同じようなものになるのかと思っていた。しかしこの光景を見てからは、マスクなどの予防をしつつもある程度は外に出た生活もできるなと感じた。さすがに新宿や池袋のような場所は避けるが、実際にこれまで密にならないところには普通に行くしアルバイトやインターンで出勤することも普通にある。授業やイベントがオンラインであること以外は、コロナ前の生活と大きくは変わらないというのが正直なところだ。

そして今、感染者数がまた急増し巷では緊急事態宣言の再発令を求める声もある。誰もが恐れ警戒していたはずの第二波がこんなにもすぐにくるとは誰が予想できただろうか。しかも感染者数だけを見れば4月頃よりも感染が広がっている。そんな中でもうすぐお盆を迎える。普通なら多くの人が地元に帰省する時期だ。しかし、この状況では帰省を避けるべきというのが多くの人が思うところだろう。それについては僕も全く異論はない。周りの友達も、親から「帰ってくるな」といわれている人がほとんどだ。家には帰らずホテルに泊まるという、何のために帰るんだと突っ込みたくなるような友達もいる。ところが、どうしても外せない用事が入ってしまったために僕は一週間だけ帰らなければいけなくなってしまった。自分の親は「帰ってくるな」とは言ってこないのが唯一の救いだが、正直かなり複雑である。いつも帰省するとなったら真っ先に地元の友達に連絡し、一緒にご飯に行く約束をするが、今回地元の友達には帰省することを一切言っていない。というよりもこの状況でのこのこと帰ってくるなんて口が裂けても言えない。思い返せば4月に帰ったときも、同じような境遇だった高校の友達数人以外、特に同じ地域に住んでいる小中学校時代の友達には帰っていることを一切言ってなかった。意識的にそうしていたわけではないが、自然にそうなっていたのは僕の心の中にも思うところがあったからだろう。兄とドライブで出かけていたというのも、人と接触しないように外に出ていたといううよりは、知り合いに見つからないように外に出ていたと表現したほうが正しいかもしれない。誰にも見つからぬため逃げ隠れするように、ひっそりと暮らしていた。それを悪くない生活だと思えていたのは、本当に快適だったということではなく今までにない事態に少しワクワクしていただけなのだろう。振り返ってみたら指名手配犯のような生活だ。そんな生活をもう一度送らなければいけないと思うと、正直帰りたくない。今は石川にいるより、東京にいるほうが圧倒的に気楽だ。そう思う日がくるなんて想像もしなかったが、実際にそう思っているわけで本当に不思議なものだ。

僕にとっての故郷は、どんな時でもどんな自分でも受け入れてくれる場所だった。しかし今、東京に住んでいる僕を100%受け入れてくれる故郷はない。僕が帰っていると知られたら、僕だけでなく家族も地域の人から避けられるかもしれない。もしかしたらそんなのは僕の被害妄想で、帰ったら案外みんな受け入れてくれるかも可能性もある。でもそうされても、僕がみんなのことを信じられないと思う。コロナウイルスは分断を生むという言葉をよく耳にする。それは社会的格差だとか経済的格差だとかそういう話だと僕は思っていた。でもそんなスケールの大きな話ではない気がする。本当は近かったはずの人が、多くの時間を共に過ごしたはずの人が、どんどん遠くに離れていく。大好きな人であるほど、傷つけたくない人であるほど、その人との溝は深くなっていく。冷たいことを言えば、知らない誰かと分断されても痛くも痒くもない。もしかすると、6月に東京に戻ってきてそれまでの生活と大きくは変わらないと感じていたのも、お盆は帰省せず東京にいるほうが気楽だと思っているのも、「東京の知らない人たちなら別に傷つけてもいい」そう思っていたからなのかもしれない。逆に言えば(東京の感染者数とか関係なく)僕が実家に帰ったときにそのことを友達に言えず、周りからの目を恐れていたのは、もちろんそれが怖かったのもあっただろうが、それよりも大好きな人たちだからこそ傷つけたくないと思っていたからな気がする。自分の存在自体が、故郷の人たちを怖がらせることになる。そうなってしまった時、お互いに信じあえなくなる。それなら、自分の存在を消したほうが、自分も地域の人たちも守ることになる。自分が興味ない人の前では普通に暮らせて、自分が大好きな人たちの前ではコソコソと暮らさなければならない。皮肉としか言いようがない。

僕にとっても、おそらく他の地方出身の人にとっても、故郷とはただの物理的な場所ではなく、帰省とはただ実家がある場所に移動することではない。家族や親戚、友人と会ったり、思い出の場所に訪れたり、その全てをひっくるめて故郷に帰省するということである。コロナウイルスの影響を感じてからずっと、「withコロナ」を意識して過ごしていた。しかし、「withコロナ」では本当の意味での帰省などない。「afterコロナ」を待つしかないのか。しかし、100%コロナウイルスの脅威が取り除かれることなんて一体いつの日のことだろうか。石川が、僕の故郷に戻る日はくるのだろうか。それとも、僕の故郷はもうないのか。

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