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被災者への説明会(第一回)

ひと月ほど前ですが5月18日に前・現所有者を相手取った損害賠償訴訟の第一回口頭弁論がありましたね。
自分自身、復興・復旧と原因追求のどちらに重きを置いているかと言えば復興・復旧です。
でも、あんなもの(盛り土)がなければこんなことにはならなかったし、原因究明と追求は絶対に必要です。
市と県、現所有者と元所有者、行政と所有者での責任の押し付け合いは正直うんざりだし怒りもこみ上げます。
その中で難波副知事は非を認めてくれました。もし難波副知事がいなかったら…と思うと感謝せずにはいられません。
責任の押し付け合いに注目が集まるがあまり、災害があって、そこに被災者がいる。ということが忘れられているように感じます。
被災者が業者に対して裁判を起こす。これがどれだけ苦しいことか…その苦しみの1%でも5%でも多くの人に知ってほしいと思います。知ってほしい、というか想像して欲しいです。私も瀬下会長や太田副会長の苦労の一端しか見ていないと思います。
私は「引きずってでも避難させればよかった」と以前の記事で書きました。

瀬下会長も「こんな事が二度と起きないように」と思っているはずです。
次に何を書こうか?と思っていて、生活再建の説明会があったな。と思い出したので記憶を辿って書いていこうと思います。
※今回、行政に対して批判をされている方々やご遺族に対して書いていますがその方たちを批判しているわけではありません。どうかご理解ください。

・やっと目に見える形で・・・


被災者への説明会は約1ヶ月経った辺りで開催されました。
場所は避難場所になっていた金城館の食堂。私と妻はそれぞれの実家に避難していたので、様々な情報を仕入れるのに苦労しました。
でもそれは避難所にいる方々も同様だったと聞きます。
「何かが開催される」「~の申込みがいつから始まる」そう言った情報が前日だったり、または知らぬ間に貼り出されていたり、と市側からの伝達が上手く機能していない。そう感じていました。
私はSNSや市のHPで、妻はママ友グループでそう言った情報を集めて行動していて、やっとオフィシャルな説明会が開かれるということで次のステップへ進めるな。と思っていました。

・荒れた説明会

説明会は市長の挨拶、そして各課の職員からの説明(支援物資や罹災証明等)があり、その後に質疑応答だったと思います。
妻と「冷蔵庫小さくない?」「家具とかの支援はないのか」(その後ロータリークラブ経由で某家具量販店からの支援あり)と話をしながら説明を聞いていました。
家族が全員助かっていること、別々の生活をしていることから私たちの思考は『生活再建』に振られていました。
だから質疑応答でご遺族の方の声や市長への批判を実際に耳にして、段々と気持ちが沈んでいきました。ほかの被災者の方の意見をそれまで聞くことがなかったので、生活再建しか考えていなかった私はなんて能天気だったのだろう。とショックを受けました。

・自分で抱えきれない気持ち

生活再建を目的に説明会を受けに行った私にとって、ご遺族の苦しみ、市長や行政への批判というマイナスの感情は時間を追うごとに段々と膨らんでいきました。
実家に帰り、一人になるといよいよ抱えきれなくなっていきます。
私は人に頼ることが苦手というか、頼み方が下手というか…自分でなんでも解決しようとしてしまいます。もちろん上手くいかないことも多くありますが…そんな私が耐え切れなくなって、友達に連絡して聞いてもらいました。

「いや~、あの言葉を聞いていると辛くてね。生活再建をするつもりで行ったのに、あの怒りと苦しみを聞くとしんどくてさ」
そう話すと友達はこう言いました。
「そりゃしょうがないよ。家も家族も失っているんだから、やり場のない怒りが自分たちに向かうっていうのは市の職員だって理解しているはずだよ」
「俺はお前が生きていてくれて本当に良かったと思っている。同じようにお前の家族が全員無事だったこともよかったと思う」
「だって奥さんと下の子がもし犠牲になっていたら、全然違う状態になっていた訳なんだから」
「お前は最悪の中の最良なんだよ。両方の気持ちが分かるからこそ辛いんだと思うよ」
彼に話をして正解だったと思います。
答えを求めていた訳ではないけれど、彼はしっかりと聞いて私の気持ちを汲み取って答えを出してくれたと感じました。

・まとめ


この説明会の時に人それぞれ抱えている悩みが違う、と感じました。
私は説明会の前に感じ取ったり、理解することが不足していたのだと思います。
遺族の方、家を失った方や帰れない方、警戒区域外(この時にはまだ警戒区域の適応はなし)の方、大きく分ければこの3通りですが、それぞれのマインドで問題点やとらえ方が違っているだろうし、生活環境がみな同じではありません。

一方で行政側がネガティブな声に合わせすぎたのではないかとも感じています。それが復興計画の遅れになっているのではないかと。
誤解しないで欲しいのは、決してご遺族や犠牲者、原因究明や責任追及をしている人達を置き去りにして復興を進めろ。ということではないです。
「責任がはっきりするまで復興なんて考えられない」という言葉を何度か耳にしました。気持ちはわかります。でも、今現在でも約200人が避難生活を送っています。
その200人が復興までいかなくても復旧、元の生活には早く戻りたいと思うのは当然だと思います。
上記の声に市が過敏に反応してしまっていたのではないか?「それでも被災者が早く戻れるように復興計画を進めないといけない」その割り切りが不足していたように感じます。
前に進めない方々を置き去りにすることはあってはならないですが、かと言ってその人達の為に前に進みたい人達が進めないこともあってはならないと思います。
全員が賛同することは難しい。多くの人が納得できる落としどころを見つけていかなきゃならないのが行政サービスの難しいところだと思います。

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