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風早ハ兎文一茶両吟/門前やの巻

     17

 敷居見通す百畳の奥
月花に損こハらせる小サ刀    兎文

初ウ十一句、花の定座に、こぼした月を重ねた希代の句。

     〇

月 「月の句は、名残の裏を除く各折の表・裏に一つずつ(歌仙では三つ)作る。初表五句目、初裏八句目、二の折表十一句目を定座とするが、動かしてもさしつかえない。「月」は秋季に扱うが、他季に取合せて詠んでもよい。」

花に 「各折の裏に一つずつ(歌仙では計二つ)作る。初裏十一句目、二の折裏五句目を定座とし、これも動かしてさしつかえないが、後者は挙句前に当るから定座を守ることが多い。「花」は春季に扱うが、他季や雑にも正花(賞美の花)と見なされることばはある。例ー帰り花(冬)、花嫁(雑)。」また、「月・花一所の句 「花」が季となる。」いづれも栞『歌仙の手引き』から。

損こハらせる 「損なう」の語に「はらせる」の語を連ね、やや端折った用例。

小サ刀 腰にさした小刀。

     〇

 しきゐ みとうすひやくじやうのおく

つき/
はなに/ そこはらせる
            ちさ かたな

前句を松の廊下に見たて、主君浅野内匠頭、その臣大石蔵助の面影を投影させながら、兎文は<月・花一所の句>を詠んでいました。

     〇

辞世に

風さそうはなよりもなおわれはまた春の名残りをいかにせん  長矩

あら楽し思ひは晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし   良雄

長矩終焉の地は東京都港区新橋四丁目31(陸奥一関田村家上屋敷)、良雄は東京都港区芝5-20-20(細川家下屋敷)。

     〇

藤圭子がうたう昭和時代の歌謡曲

勅使下向の春弥生 いかに果さん勤めなん 身は饗応の大役そ 頼むは吉良と思えども 可の振舞の心なき
 各々方各々方 お出合いそうらえ 浅野殿刃傷にござるぞ
積る遺恨を堪忍の 二字に耐えたる長矩も 武士には武士の意気地あり 刃に及ぶ刃傷の 血涙悲し松の廊下
 おはなし下され梶川殿 五万三千石所領も捨て 家来も捨てての刃傷でござる 武士の情をご存あらば その手はなして今一太刀 討たせて下され梶川殿
花の命もさながらに 赤穂三代五十年 浅野の家もこれまでか 君君ならずとも臣は臣 許せよ吾をこの無念

藤間哲郎作詞 桜田誠一作曲 「刃傷松の廊下」

     〇

本懐を遂げた赤穂浪士たちは、その身柄を細川(肥後熊本)、水野(三河岡崎)、松平(伊予松山)、毛利(長門長府)の四家に預けられ、ややあって(四十日)、幕命により各々の屋敷で切腹したと語り継がれています。

10.10.2023.Masafumi.

(追記、栞「歌仙の手引き」は、歌仙をよくした安東次男、大岡信、丸谷才一らの本に必ず添えられていたものです。いくつか版があるようですが、引用したのは一番初めのものです)

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