見出し画像

森と雨 2

「むいちゃんに言ってやろう。ラインで写メ撮って送ってやろう」
 むいちゃんというのがそのかわいい彼女の名前だ。かわいいんだけど、ゲンゴなんかを好きになるくらいなんだから、当然変わっている。私は自分の部屋にゲンゴと二人きりでいて、キャミソールと部屋着のリラコしか履いていない。こんな状態の写メを送ったら、むいちゃんなんて思うかな。
スマホを探そうと、ベッドに寝そべったまま鞄を引っ張りよせようとしたら、隣に腰掛けていたゲンゴが言った。なんだか心配そうな声で話す。
「お前な。大丈夫なのか」
「何がよ」
「あのな。俺とお前のこんな写真送っても、むいが変な誤解するはずがないだろう。お前だってむいのそういうところくらいわかってんだろ。何くだらない事考えてんだ」
「へえ。むいって呼んでるんだ。らぶらぶだねえ」
 私は無視して、もう一度ベッドに寝転がって天井を見えあげた。さっきゲンゴが読んでくれた、昔の歌を思い出す。
「それよりも、さっきの、和歌? さっぱり意味が分からない」
「お前が読めっていったんだろうが。しかもなんで軽の兄妹の説話なんだよ。チョイスがさっぱりわからねえな」
「むかあし子どものころに読んだ漫画に描いてあったの。哀しいきょうだいの物語って」
 ゲンゴだったら、こういう昔のお話に詳しいだろうかと思って、呼びつけたら、本当に古い本を持ってのこのこやってきたのだった。こいつの方にだって充分問題はあると思う。でも、ゲンゴを一人で家に呼んだとしても、きっと何も心配しないだろうなむいちゃんは、と確かに私も思っている。
「確かに軽の兄妹は古事記の説話の中でも一大恋愛譚という位置づけだな」
「どんな意味だったの」
 私はさっき読んでくれたページをのぞき込むために、腹這いになってゲンゴに近づいた。きっと胸の谷間が見えるに違いない。なのにゲンゴは何も反応しない。ああ、想い合っていていいことです。と私はちょっと呆れた、この友人たちと、自分自身について。
「山の高い所に田を作ったので、水を引くために樋を土の下に埋めた。私の心もおなじことだ。埋めるようにかくして、こっそりと問わなくてはならない私の妻、人に聞かれないようにこっそりと泣いているその人に、今夜こそは心安らかに触れることができた」
「えろいね。もう一つのほうは?」
 せかすと、ゲンゴはもう一つの和歌の方も現代語に訳してくれた。というか訳は書いてあるんだけどそれをかみ砕いて教えてくれる。
「こっちのはな。笹の葉にあられが打つように人が騒いでも気にしない。こうして寝てしまったからには人の心が私から離れてしまってもかまわない。コモを刈ったときのように辺りがすっかり乱れてしまっても、こうして寝てしまったからには、なんだと言うんだ。そんなような意味だ。だからな」
 ゲンゴは私を見た。私はころんと仰向けになったので、ゲンゴが私を見下ろして、私がゲンゴを見上げている。私は部屋着で、ゲンゴは何を考えているのだか。そして私の心はどこをさまよっているのだか。
「森の中」
 つい口をついて出てしまった。
「なんだよ」
「なんでもない。あんたこそ何よ」
「俺もむいもお前を心配しているんだ。さっさとレアンとより戻しちまえよ。見ろ、あいつの涙ぐましい努力を。今一体何人の女ともめていると思っている」
「そんなのあいつの勝手じゃない。私はまだ信用したわけじゃないの」
 レアン、大広礼安、私が一回生の時に短い間付き合っていた男は、チャラ男だ。それも半端ないチャラ男だった。ナンパの殿堂なんてあだながついているほどに。私と付き合っている間にも何人かの女の子と付き合ったり出かけたりしていたので、当然すぐ別れた。なんで私一人じゃいやだったの。と聞いてみた、一応、振る側の礼儀として聞いてやったのだ。
「八十年生きるだろ? その間、会えない人の方が多いじゃないか。俺は雨にだってその他の誰にだって、会えたことが嬉しくて仕方ないんだよ。みんな好きになりたいんだよ」
 と、言われて背中を蹴って部屋から追い出したのだった。私は思う。こんな男と付き合っても仕方がない。
 でもレアンは言ったのだ。すべての女と別れる。一度死んだつもりになって、違う人間に生まれ変わる。
「だからもう一度俺だけの雨になってくれませんか」
 とばかばかしいことを言った。何が俺だけの雨ですか。女をとっかえひっかえしているのはあいつの方だっていうのに。私は、絶対に真に受けたりしないようにしよう、と思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?