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金太郎飴的日々を見つめて

生活というのは、おしなべて淡々と過ぎていくものだ。ドラマのように、3人の元夫から好意を寄せられたり、能楽師の人間国宝である親の跡を突然継ぐことになったりはしない。ふと気づけば、昨日と今日の区別がつかない金太郎飴のような日々が続いている。

だけど、例えば連休明けに苦手な歯医者の予約をうっかり入れてしまっていたり、エンドレスに届くTwitterのスパムを無の表情で報告&ブロックしていたり、よくよく見れば、金太郎飴の断面の表情も少しずつ違うはずだ。

昨日と今日は似て非なるもの。それを証明するためにも日記を書いてみよう。ついでに、死の直前に見るといわれる走馬灯の内容にも若干なりとも影響するかもしれないではないか。より良い走馬灯を鑑賞するためにも、日々の記録を残しておくのはきっと効果的に違いない!!

………などと息巻いていたのに、書けない。書けないこと山の如し。3日でネタが尽きた。いざアウトプットしようとすると、昨日をトレース、右に同じ、以下同文、ブロックチェーンで改ざん防止されてるんかというくらいの同じ毎日しか出てこない。

いやまあちょっと言い過ぎだけど、やはり日々というのはそうドラマチックに変わり映えするものでもないのだよな。

だけど、変わり映えしない毎日こそ、いろんな視点から見てみようではないかと教えてくれたのが古賀及子さんの本(もといブログ)だ。以前から古賀さんの書く文章がとても好きでDPZの記事を読んでいるのはもちろん、同人誌もだいたい持っていて、新刊の「ちょっと踊ったりすぐにかけだす」ももちろん買った(サイン入り!)。

古賀さんとお子さん2人、親子3人の暮らしを描いた日記エッセイ。本当になんでもないような日々が綴られているのだけど、古賀さんの生活を見つめる豊かな視点に毎度まいど、新鮮に驚かされてしまう。いつだかの日記に、息子さんが「何も起こらない文章を書きたい」みたいなことを言っていて、古賀さんが「それが一番難しいよ」と返す箇所があったはずだが(うろ覚え)、それって、まさに、古賀さんの文章なのでは!? と強く思った。まっさらでてらいのない視点から暮らしの機微を掬うような。

古賀さんの本や文章を読むと、わたしの毎日だって見方によってはまんざらでもないのかもしれないと思える。子どもたちのことをいつもよりじっくり見つめたり、普段の道を遠回りして帰ったりしたくなる。変わり映えのない毎日だっていいじゃんね(日記は続かないけど)。

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