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常に自分に問いかける、いぶし銀のファシリテーター 香取一昭さん

組織と個人の良い関係を創るために自然体で動かれ、社会全体が毎日ワールドカフェになることを目指していらっしゃる香取一昭さんにお話を伺いました。

香取一昭さんプロフィール
活動地域:地球
経歴:東京大学経済学部を卒業後、1967年に日本電信電話公社(現在のNTT)に入社。米国ウイスコンシン大学経営大学院でMBA取得。ニューヨーク事務所担当部長、NTT国際部担当部長、NTT仙台支店長、NTTラーニングシステムズ常務、NTTナビスペース社長、NTTメディアスコープ社長、NTT西日本常勤監査役を経る中で学習する組織の考え方に基づいた組織変革を推進。
現在の職業および活動:Mindechoe 代表  組織活性化コンサルタント 日本ファシリテーション協会フェロー IAFジャパン理事 日本ビジネスインテリジェンス協会副会長 日本マーケティグリサーチ協会トピックスセミナー分科会委員
座右の銘:私には教えることはできません。ですが学ぶことはできます。共に励みましょう。(吉田松陰)

対等な立場に立って、お互いに学び合う関係性が世の中に広がればいい


記者:今現在もバリバリの現役でご活躍の香取さん。どのような夢やビジョンをお持ちですか?

香取一昭さん(以下敬称略):夢はあまり考えていないんです。何かをみんなで考えていけば新しい企画が降りてくるんです。後はね、みんなが組織の中で幸せに暮らしていくこと。個人と組織のいい関係を作ることです。色んな会社で研修させてもらうと、みんな社内のコミュニケーションや上司と部下の関係性などで苦しそうなんです。その辺が生き易い社会になっていったらいいな、と思いますね。そのためにはやっぱりダイアログという考え方、その元にある安全な場が必要だと思いますね。「学習する組織」(*注1)みたいな考え方が広く受け入れられる社会になってくれたらいいな、って思いますよ。例えば、誰か一人が作ったビジョンを落とし込んで共有させる、ビジョン共有ではなくて、みんなで創り上げた共有ビジョンであるとか、共有パーパスや共有バリュー、共有ミッションが共有されていれば素晴らしい組織やコミュニティや社会ができると思うんですよね。
ある本で読んだのですが、吉田松陰のところに弟子入りしたい青年が訪ねて来ると「私には教えることはできません。ですが学ぶことはできます。共に励みましょう。ところであなたの志は何ですか?」と松陰が言ったそうです。お互いがどっちがえらいとかえらくないとかではなく、知ってるとか知らないとかでもなく、対等な立場に立って、そしてお互いに学び合う、そういう関係が世の中に広がればいいんじゃないかな。
(*注1)学習する組織・・著者ピーター・センゲ 自律的かつ柔軟に進化しつづける「学習する組織」のコンセプトと構築法を説いた本書は、世界100万部を超えるベストセラーとなり、90年代のビジネス界に一大ムーブメントを巻き起こした。

記者:本当にそういう組織や世の中を創っていきたいですね!香取さんはそれを具現化するために、どんな目標や計画を立てていらっしゃいますか?

香取:目標って「状態」のことでアウトプットとアウトカムなんです。例えば「弁護士になりたい」とか「100mを10秒以内で走りたい」とかいうような目標を立てないようにしようと思ってます。「大学に受かる」と目標を立てたとする。受かって目標を達成したら、また次の目標を立てないといけないでしょ。それが達成したらまた次を立てないといけない。それが続いていくと、死ぬ時に必ず目標を達成しない状態で死んでいかないといけない。そうではなくて「状態」を目指そうと思ってるんです。例えば毎日がワールドカフェの状態とか、毎日お酒を飲みながらワイワイみんなと楽しくしている状態とか、そういうのをゴールにすれば失望のうちに死んでいかなくてもいい(笑)。つまりは達成した状態で日々生きているって事ですし「ああ今日は素晴らしい一日だった」と思える事ですね。そうそう、以前、「この状態でいよう」と書いたものがあるんです。(と、スマホのメモを見せてくださいました)
【Dream】
・大きな命を繋いでいる自分。
・自分の役割、生かされている自分とは?=自分のID:「変な人」。他の人と違った変な生き方をすることで、何か社会のためにできるのではないかと思っている。
・漢方薬のようなファシリテーションの名工になって、周囲の人にインパクトを与えたい。
・常に新しいことをやり始めている「変な爺さん」になって、停まっていないで歩き続けようと訴え続けていたい。
・いつまでも「変な人」であり続けて、違う見方、生き方、考え方もあるんだよと訴え続けていたい。
・いつも面白いこと、楽しいこと、嬉しいこと、感動することに目を向けていたい。
・「もう十分に生きた」と思いながら日々を過ごしたい。
・ああ、今日は素晴らしい一日中だったと思えるようになりたい。
・毎日がワールド・カフェの生活を続けたい。

香取:毎日がワールドカフェって、別に毎日ワールドカフェやっているわけではないんですよ。昨日の対話、明日の対話、明後日の対話。ワールドカフェってのはテーブル4、5人の対話をつなぎ合わせて、それが全体で話したようになって、意識が変わってくる。アニータ・ブラウン(*注2)によるとフランス革命などのサロン運動などがそうだった。そうであるなら毎日、意識して暮らしていれば、毎日がワールドカフェになる。そして社会全体がワールドカフェになっていく。だからワールドカフェで生きていこう、と呼びかけていますね。そうするためにはただ漫然と参加してちゃダメなんだよね。昨日のアイデアと今日のアイデアをつなぎ合わせてみたり、「こんな話があったよ」とその場に出してみたり、そんな風に意識的に対話に参加したりとかね。
(*注2)アニータ・ブラウン・・1995年に米国で、デイビッド・アイザックスと共に、ワールドカフェというコミュニケーションの手法を開発・提唱


記者:目標が「状態」っていうのは良いですね。香取さんはそれらの目標に対して、どのような活動指針を持って活動をされてますか?

香取:68歳の時に実は心臓を患って手術したんです。手術する前からも「そもそも何のために生きているのか。」っていうのをずっと考えていたんだけど、手術後、プールの中で歩いている時に「ふっ」と気づいた。「問いが間違ってる!」と。生きてるんじゃなくって生かされてるんだ。じゃあ何のために生かされてるんだ?大きな命をつなぐために生かされてるんだ。みんなもそうなんだ。そうしたら周りの人がみんな神様に見えてきちゃった。色んな人が色んな役割をもらってるんだけどね。それなら自分の役割は何だ?自分は何のためにいるんだ?と問うた。今まで生かされた中にヒントがあると思って、最近は自分のことを「変な人」とアイデンティティを定めています(笑)。要するに他の人と違った視点を出す人でありたいという事なんですけどね。

記者:「変な人」として自然体ですべてを受け入れる香取さんの在り方を感じますね。香取さんがワークショップをする際に大事にされていることはなんですか?

香取漢方薬のようないぶし銀のファシリテーターですね(笑)。年を取れば取るほど良くなるものは何だろう?と考えた時に、いぶし銀を思いついたんです。ファシリテーションは職人技だろうと。だから職人になろうと考えました。ワークショップをする時に大事にしている事は50くらいあるんですよ。50あるうちの後の方は会場の下見を怠らないとか、誰よりも早く会場に行くとか、非常にプラクティカルなんだけどね。Facebookとtwitterで連載して好評だったんです。(と新たなスマホのメモを見せてくださる)

【いぶし銀のファシリテーター】
#1 ✳︎
いぶし銀のファシリテーターは
ダイヤモンドの派手さはないが、
積み重ねた人生とキャリアの
豊かな経験で磨きをかけた
渋い味わいで皆を魅了する

#2 ✳︎
いぶし銀のファシリテーターは
歳の数だけ失敗を重ね
参加者から 教えてもらった
学びと気づきで極めた技の
ファシリテーション職人だ

記者:読者の方に全部をご紹介したいですが、文字制限の関係で2つしか紹介できないのが本当に残念です。ちなみに香取さんがそのような夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

香取:入社した時、総裁になりたかったんです。そして入社後1か月経って、人事に言ったんです。「キャリア設定をしますから、『お前は総裁になるよ。そしてお前は課長でおしまい』とその人に合った将来を早く決めてください。」と。すると人事が「いいよ。」と言った後に「明日、君は交通事故に合わない保障があるか?」という問いかけをしてきたんです。組織にしてみれば、目減りが出るから競争させて一人にしぼればいいという考えですし、逆に個人は目減りされたらたまったもんじゃない。総資本と個別資本の利害の不一致ですね。そこで組織に寄与しながら、自分も楽しく暮らそう、と思って、組織と個人がうまくいくのをテーマにしてきました。その当時、データ通信の創世記でIT関係の立ち上げに携わって、すぐアメリカ留学することになり、帰ってきてから市場調査担当をして、そこから大阪近畿通信局経理主計課長になりました。日米貿易摩擦の時にはNYの駐在事務所に3年。帰ってきて国際部に5年いましたね。子会社のNTTラーニングシステムズで教育に携わってから、仙台にゼネラルマネージャーとして行きました。OCN開発はネットビジネスの走りで、それをやってからラーニングシステムズに戻った。
98年に株式会社ヒューマンバリューの高間さんという方に声をかけてもらって「学習する組織」の勉強会に参加しはじめました。eラーニング事業の立ち上げに関わるようになって「学習」って何だろう?ってところに関心がいったんですね。やっていくうちに「学習というのは変革のことだ!」と気が付いたんです。それで組織の変革に関心が向いていった。そうしたら運よくNTTメディアスコープの社長になったので「学習する組織」を基本コンセプトにして組織開発に取り組みました。
2003年に出来たばかりの日本ファシリテーション協会を知り、10月に入会したんですが翌年1月くらいに「学習する組織」のセッションを開催したら評判がよかったんです。そして繰り返し開催している時に「私、社長じゃないんですけど、組織を変えるにはどうしたらいいんでしょうか?」という質問を繰り返し受けていたんです。社長ではないけど組織をどうにかしなきゃいけないと思っている人は多いけど、どうしたらいいのかな?と思っているうちに大阪の監査役になりました。そこでポジションリーダーじゃない立場で組織変革にかかわるにはどうしたらいいのか?と自ら実践しました。4年間監査業務の一環として毎年十数回のワークショップをやり続けたんです。
「Tempered Radical」(*注3)を書いたデボラ・マイヤーソンとピーター・センゲからのメッセージは私にとって福音でした。ピーター・センゲが言うには政治的な変革と、適応的な変革っていうのがあって要するに人々の意識が変わることによって組織が変わってくると。こういうことを訴えてる訳です。大きな成功にあてにしないで、中でできることから小さな成功を積み重ねて変革を起こしていく。「あの時、ああいうことがあってこうなったんだよ。」というような穏やかな変化の方が実際には多いし、その方が長続きする。変革はどこからでも起こせるっていうメッセージに共鳴したんです。
(*注3)Tempered Radical・・著者デボラ・マイアーソン。「静かなる変革者」と和訳され出版になった。

記者:香取さんが組織開発に興味を持った背景には数々のドラマがあったんですね。その発見や出会いの背景には、何があったのですか?

香取:ワクワク楽しく元気よく(笑)。小さいころから、色んな違う刺激をもらったのが大きかったかもしれないな。育ったところは自然豊かな環境で、裏山でセミを取ったり、ザリガニを取ったり、ロケットを作って遊んだりしてました。そして親父の転勤で環境が変わってもどうにか生き延びた。そういうので発想が柔軟になったり、アイデアを生む想像力がついたのかもしれないですね。
そして人生の中で一番インパクトがあったのが、アメリカ留学でしょう。モノの見方や考え方が大きく変わったというのはありますね。例えば、お客さんのもてなし方が違うんだよね。日本だったらおいしい料理をだそうとして奥さんは台所に閉じこもりっぱなしで、料理を温かいうちに出すためにお客さんの顔見て作り始める訳だけど、アメリカのおもてなしの方法ってそれとは違っておしゃべりなの。店屋物を注文して、そういう形でもてなすんだよね。どっちがいいってわけではなく、違いを知った事で、観方が変わりましたね。

記者:どんな状況でも香取さんは柔軟に楽しんでいらっしゃってるように感じますね。

香取:そうやって今ここに集中することで新しい可能性に導かれてきたんでしょうね。

記者:人生そのものがまさにワールドカフェで、色んな事を学習して常に進化されてる香取さん。まさにいぶし銀のファシリテーターでいらっしゃいますね!!本日は貴重なお話を本当にありがとうございました!!

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【編集後記】
今回インタビューを担当した服部と古川です。少年のように好奇心旺盛で、どんなことにも囚われない柔らかい心を持ちながら、組織変革、社会変革へのミッションを継続して遂行し続ける香取さんの生きる姿勢にいろいろな事を学ばせていただいたインタビューとなりました。そしてインタビュー中に出てきた香取さんの連載シリーズ、「年を取ったシリーズ」や「今度うまれたらシリーズ」も見せていただき、本当に楽しいインタビューをさせていただきました!これからの香取さんのご活躍もとても楽しみです。貴重なお時間をありがとうございました!

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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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