見出し画像

第22回「働き方改革よりも、はるかに古い働き方が、新しい~なんのこっちゃね」

 今年は、ひじきの生育が遅く、4月に入ってから、ようやく漁が解禁された。大潮の日には、竹編みの背負子を背負った女性たちが、磯に繰り出し、寒風の中、腰を折って採取作業する。

 岩場に生えているひじきは、海水を含んでいるため、一本一本が膨らみ、黄土色をしている。漁業権を持たない人が採ったら見咎められるが、アワビやサザエと違って、そのままでは商品にならないひじきは、密漁の対象にはなりにくい。

 ひじきが背負子いっぱいになると、家に帰る。家では夫や倅が待っている。女衆が漁をしている間に、男衆は薪を割り、ドラム缶ストーブに火をおこし、大鍋に水をたっぷり入れて、グラグラするまで湯を沸かし、そこに採ってきたひじきを入れて煮込むのだ。

 集落に、薪臭い匂いが漂い、煙が見えたら、ひじき漁が始まったことがわかる。

 ひじきには、ヒ素が多く含まれているので、この作業をしなければならない。そして天日で乾燥させる(写真)のだが、それでもまだヒ素は残る。よほど毎日大量に食べなければ、健康には問題ないと、日本の厚生労働省は見解を出しているが、実はイギリスでは、食べてはいけない食材になっている。

 料理をする時、乾燥ひじきを戻して、さらに茹でこぼせば、九割のヒ素は溶け出すようなので、気になる人は、この様に調理したほうがいいかもしれない。そうして、これほど水で洗い流しても、カルシウムや鉄分、食物繊維はしっかり残るそうである。

 桜の咲く季節になると、下田の海に近い家の庭には、ひじきを干す光景を見かける。天日で干すと、ひじきは例のとおりに真っ黒な姿に変貌するわけである。

 同じくらいの時期に、枠のある四角いザルに入れられ天日干しされるのが、高級食材のハンバノリだ。「ハバノリ」とも呼ばれているが、海苔と昆布の中間のような味わいで、上物になるとA4サイズ一枚で1,000円以上もする。火で炙って、ご飯にかけたり、味噌汁に入れたりして食べる。

 川では、川海苔の採取もあって、これは下田の隣町松崎町で盛んだ。グリーンの色が鮮やかで、川底から発育した海苔を棒で掬って取る。いつだったか、川海苔を採っていた時、冬眠中のうなぎを素手でつかんだこともある。

 そして4月も後半になれば、今度はワカメ漁である。こちらは船に乗って、鎌で刈っていくのだが、浜辺から眺めていると、取りそこねたわかめが波と一緒に打ち上げられて、ご相伴に預かることもある。干してもいいが、生のわかめはやはりそのまま、湯にくぐらせるのがいい。ポン酢で食べてもいいし、汁物にしても、硬めの歯ざわりがうまい。なにより湯に入れると、ひじきとは違い、鮮やかに緑に変色するので、ハッとする。

 さらに太い茎の部分の芽カブは、湯がいて細かく刻む。納豆なような粘り気が出て、醤油と混ぜてご飯にかけてかっこむ。口の中は春春春春である。

 一方、山では、たけのこ狩りが始まる。狩ってすぐのたけのこは、何も入れずに湯がくだけでいい。まだアクが出ないのだ。穂先の部分を薄切りにして、ワサビ醤油でいただく。もちろんたけのこご飯や、わかめと一緒に煮た若竹煮も欠かせない。

 川沿いには、つくしが顔を出し、セリが伸びだす。つくしの卵とじは、年に一度だけの定番料理だ。セリはうどんにたっぷり入れていただく。タラの芽は天ぷらに。フキは湯がいして薄皮を爪で引っ掛けて引く。これが快感である。すると指にはアクが付き、気がつくと黒ずんでいる。

 田んぼにはピンクのレンゲが咲き乱れ、しばらく花を楽しむと、田んぼには水がひかれて田植えが始まる。畑仕事も忙しい。

 海では天草漁が始まる。天草は寒天の材料となる。下田で取れた天草は、寒冷地の山梨に運ばれるそうである。だからその昔から、伊豆国と甲斐国の間には人の行き来があった。

 夏ともなれば、アワビやサザエなど貝類の解禁である。知り合いの大工はこんな事を言っていた。

「クソ暑い夏に、大工なんか、していられるかい。夏は海で素潜りだ」

 女衆は民宿が大忙しとなり、自分で経営していなくても、働き口はいくらでもある。去年も来ていたリゾートバイトの若者たちも、ニセコや志賀高原など冬のリゾート地から舞い戻る。海水浴場では、地区のおっさんたちが海水浴場管理のバイトに精を出す。

 秋の到来は、伊勢海老漁の解禁で知る。早生のみかんが市場に出始め、翌年の夏前まで、様々な品種の柑橘類が、次々にフルーツ屋の店先に並ぶ。冬になれば、猪や鹿の猟もある。

 働き方改革を言う前に、ここ下田では、まだ色濃く、昔ながらの季節労働である。ダブルワークやトリプルワークは当たり前。賃金の安さも原因の一つだが、一つの仕事で一年、一生を過ごさないのだ。

 様々なかたちで働くことには、喜びがあり、豊かさがあり、多様な人付き合いや、自然とのふれあいがある。

 僕は下田に越してきて、古いはずの季節労働に新しさを感じた。

 先進国の都会は、豊かさの象徴になったが、反面、人の暮らしはのっぺら棒になってしまったような気さえする。

 これからは、きっといままで以上に、別の働き方、生き方が求められてくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?