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弱い私だけど応援する気持ちは強い

とにかく書いてみる。
これから週末には必ず書くと決めたから書いてみる。
けど、何を書くか決めずに始めてしまった笑
来週も同じ思いをしそうだけど、決めたことはやろう。

さて、何を話そうか?

私は2012年にカナダから帰国して来年で10年になる。
もう10年経っちゃった!
何してたんだろう私?
って思うくらい何かをしてきたって言える自信がないのが私だ。

帰国前の私は、
「子供たちに、英語を使えると広がる楽しさや喜びを伝えたい!」
「英語の楽しさを伝えて未来の希望を増やす働きをしたい!」
そう思っていた。

帰国後、
こども英会話の講師として働きながらいろいろ学ばせてもらった。
私が担当した教室の生徒約80人。
そのほかヘルプで入った教室は数知れず。
ざっと数えると、約1000人くらいの子どもを見てきた。
こどもとのレッスンも、保護者の方との関係も、他の先生方とも、
とても素敵な環境で働かせてもらっていた。
大変なこととか理不尽って思うこともあったけどね。
でも、こども英会話で3年過ぎた頃、充実していた仕事だったけど、
体調を崩し始めたことがきっかけで、辞めることを考えた。
独立して楽しく英語を教えていこう!
英語コーチになろう!
と思って契約更新せずに辞めたのは良かったけれど、、、

こども英会話の講師を辞めてから自分の力のなさを知った。

知り合いのおかげで繋がった方々に英語コーチとして教えてはいたけれど、
それだけでは、なかなか一人で生活することは難しく
塾の講師 兼 事務として働きながら細々と英語コーチの活動をしていた。
一度、英語講師向けの経営塾に入ろうかと説明会にも行ったけど、
支払える額のお金がなかったのと、何か違う気がしてやめた。
(今思うと、その時の決断は間違ってなかった!)

そして、去年。コロナが広がる少し前。
介護施設を経営している知り合いに誘われて、介護のバイトへ。
ずっと人に教える仕事と向き合ってきた。
それなりに
関わる人への未来が少しでも素敵になるようにって願っていた。
でも、わたしは向いてないのかな?
と思うことも出てきていて、違う職種に逃げてみた。

でもやっぱり違ったみたい笑
人と関わって支えることに変わりないなって思ったんだけど、
おじいちゃん、おばあちゃんと関わることで笑顔になることもあったけど、
励ましてもらうこともあったけど、
なんか違うと思ってしまった。

その”何かが違う”という思いは
私の心の中で風船が膨らむ様にどんどん大きくなって、
最後に弾けた時に気づいた。

「私は未来を作る仕事がしたいんだ!」って。

子どもでも、大人でも、
何か新しいスキルを身につけていくことは未来の可能性を広げること。
新たなスキルを身につけていくことは、楽なことばかりではない。
でも、
何か楽しみを見出しながら身につけていく能力が人にはある。
私はそう信じている。

だから、そのとっても楽しみな大きな未来を創る人たちを
英語というものを通して私は応援したい。

日本の学校では必ず人間関係に悩んでいた私。
だけど、英語を話す国に希望を見出し英語を好きになって、
カナダに留学させてもらえて見えた世界には様々な人がいて、
様々な価値観があることに気づいて、
社会不適合者だと思った自分を違う角度から見ることができる様になって、
今もたまに自分嫌いになるけど、
私はわたしのままが良いと思えるようになった。

最近はまた自殺者が増えているというニュースをよく耳にする。
日本だけでしか生きることができない人生だったら
今の私は絶対にいなくて、死んでいたと思います。
とは言わないけど、
もしかしたら20歳あたりから引き籠りしていたんじゃないかなって、
そう思う。

私になにができるって訳でもないかも知れないけど、
英語を少しでも身につけられたら、

日本だけじゃなく世界に選択肢がある希望がある

そのことを知っている人を増やしていきたいな。
暗闇の中にいても、光があれば希望になる。

うん。

英語を通して希望を持つサポートをしていきたいな。

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