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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)・敗れざる者」18


第三章   征西政府の旗揚げ


三、

親王一行が着到されて少し菊池に慣れた頃合い、菊池に春が来ようとしている。
花々が咲き始めた菊池の外れの山道を、鞍岳の麓を回り込んで阿蘇外輪山に抜け北上するコースを辿り、今一人の雲水が旅立とうとしていた。
僧として寂しく菊池を去る菊池武士(きくちたけひと)だった。
ただ一人、大智禅師以外、見送るものもない旅立ちだった。
菊池の大勢は武光の元に運営が始まり、征西府が置かれ、皆が心から武光に心酔しているわけではなかったが、武断派の武光に今逆らう勇気のあるものはおらず、追われる先代をいたわるものなどない。まして菊池を混乱の中に放置して去ろうという前代未聞の負け犬に優しさで報いるものはなかった。
「…よろしいか、ゆめ自分は敗れたなぞと思い召さるな、…ただ行く道が違っているだけのこと、精一杯歩き、精一杯お座りなさい、…その先に何が見えるか」
肩を並べて歩きながら、大智がせめてもの慰めを言う。
「…何か見いだせましょうか?…分かりませぬ、今は只苦しい、…苦しいのです」
顔を歪める武士に、大智がどう諭そうかと思ったその時、道脇から不意に姿を現した者がある。武光だった。
「十郎」
何のために姿を現したのか、勝ち誇って勝利を実感するためか、と武士は思ったが、仏教に傾いた武士はあえて穏やかな面差しを向けた。
「後は頼んだ、武光殿」 
武光はかけるべき言葉の文句を思いつかないためか、困ったような顔をしかめながら、ぶっきらぼうに頷いた。
武光は二人に肩を並べて黙って歩いた。
大智も武士も、武光の真意を測りかねた。
やがて峠の上に差し掛かり、武士が二人に向きなった。
「もう十分です、ありがとう、お達者で」
頭を下げて一人武士が歩み去っていく。
大智と武光はいつまでも見送った。
武光は自分の中の感傷を無理にしまい込んで目に厳しい光を取り戻した。
武光が突然小さく言い放った。
「聖護寺に先はありませんぞ」
大智禅師は驚いた。いい関係が作れれば、武光を通してこの先も菊池の人々の精神的指導を続けようと思っていたのだが、いきなりのこの挨拶とは。
ふと嫌な予感が兆した。
この男は菊池をどうしようとしているのか、私してその富を握り、無謀ないくさで領地拡大を狙うのではないか、菊池の民人を悲惨な運命に導いていくのではないか、
厳しい顔で武士を見送って、突然くるりと踵を返した武光。
大智を置き去りにしてさっさと来た道を帰っていった。
大智には不得要領だった。
その一言を言うために、武光はここまで出向いたのか?

「起請文(きしょうもん)をよこせと?」
御殿広間に寄合内談衆の面々が押しかけてきている。
本家から菊池武澄が来ており、赤星武貫と、今日は城隆顕(じょうたかあき)も同道してきている。武光は何やら大きな紙に描かれた地図らしきものを点検していたが、顔を上げた。
古老が膝詰め談判に及ぼうとする。
「武重公の時から頂いており申す、菊池運営のための互いの取り決めでござる」
要は武重や武士の起請文に倣い、寄合衆の意見に従えという要求だった。
「菊池では棟梁の独断専行は許されもうさぬでの」
皆が切羽詰まって武光を睨みつけている。
だが、武光はにべもなくはねつけた。
「必要なか、それより、ご一同、これを見られよ」
あまりにも軽くいなされて、老人たちが激怒しかけたが、武光が言う。
「本城を隈府守山(わいふもりやま)に移転し、御殿を築いて征西府の政庁となす、その前面に新市街を建設し、広く惣構えを構える」
武澄と城隆顕の目が光り、地図に吸い寄せられた。
武光が見ていたのは筑紫坊に作成させた守山から隈府にかけての巨大な地図だ。
武光自身が墨を入れて構想を書き込んだものだった。
武光が続ける。
「内に市街と田畑を備え、兵糧や暮らしの糧をまかない、外敵に攻められても一切防ぎきる、迫間川の切明より菊池川の菊の池まで堀を割りとおし、背後の山岳地以外の三方を水の手で囲い敵の侵入を阻止する」
城隆顕は地図を見つめ、武光の構想が並みならぬ新しい発想であることを感じ取った。
武光が目を上げ、城隆顕に向き合った。
「これより菊池は総員の力を持ってこの事業に取り掛かる、御一同の中から作事奉行や資材調達の担当、人夫の割り振り役その他を人選し、早々に始めたか、誰に何を担当させるか、ご意見を伺おう」
だが、殆どの老人たちには武光の言うことが理解できていない。
「いきなり何を!?」
「勝手なことを申されるな!」
「本城移転などと、途方もなか」
「そげな重大事を独断で決めてよかと思わるるか!」
「では聞こう、菊の城は合志一族に簡単に落とされた、今征西将軍懐良親王をお迎えして征西府を開くにあたり、その政庁をどこに置く?また、そこに相応しい守りをどう固めるか、お考えやいかに、いや、万一の場合、責任が取れ申すか?どなたが責任を取られる?」
そう言って武光にじろりと見まわされて、誰もがたじろいだ。
そんな老人たちを鼻で笑って武光は地図に目を落とした。
「まず、現隈府守山の砦は詰めの城となし、その麓に構えつつあるこの館を菊池本城となす。征西府政庁とするのじゃ」
守山は標高一二〇メートル、比高八〇メートルで、平山城と言えたが、山城が戦いに有利であるというのは楠木正成が立証して見せ、日本中の武士団で気の利いたものは守勢に立ってのいくさには山城を使う、という流行に乗り始めていた。
楠木正成の千早城や上下の赤坂城は修験道の聖域を城として使い、尾根を伝って縦横に駆けて敵に対して上の位置取りをし、石を落とし矢を射て、時には糞尿や熱湯を落としかけて敵を苦しめるという、いわばゲリラ戦を基地防衛線に活用したような戦い方だった。
すなわち少数で攻め寄せる大軍を迎え撃って防衛戦を戦うなら尾根上に砦を展開すべきというセオリーが誕生し、それはそのまま山城の有益性に武士たちを目覚めさせることになったのだった。戦国時代の後半で領地経営の基地として山城は不向きであるとされるまで、防衛の要としての山城は日本中に流行するのだが、菊池本城の山城利用は当時としては最先端を行くものだった。その流行りの先端で、武光は詰めの城と居館をセットにした菊池本城を構想していたのだ。
「詰めの城では今、曲輪(くるわ)の削平と杭をめぐらす作業、見晴らしを良くするための樹木伐採作業が繰り広げられておるが、竪堀を巡らせ、逆茂木(さかもぎ)を配置する」
のちの戦国時代に比べれば素朴な城塞の巨大なものに過ぎないが、この新たな菊池本城の場合、麓の居館とセットになっていることがみそである。つまり、武光の脳裏には領地経営の政庁をも本城の機能として取り込むことが既に計画されていたのである。


2、菊池本城 守護の館小


城隆顕はじっと武光の地図を見つめている。
だが、頭の固い古老たちには理解ができない。
「菊の城をないがしろにするとは!」
「いかに棟梁といえど、本城は菊の城、それが三〇〇年の伝統じゃ」
「そもそも城には詰める兵が必要、巨大な城にこもる兵があるのか!」
「本家の負担を考えたことがおありか!」
武光はこともなげに言う。
「資金は本家、分家庶子家で石高に応じて分担し、廻船業や卸売業、金融業、材木商などの長者たちから借財もしよう、各寺社、神社からも供出させる、守備兵は城一族や赤星ほか、配下の領主たちから兵を交替で動員する」
「途方もなかこつ、今の菊池にそげなゆとりはなか」
赤星武貫が反論しようとしたが、武光が遮った。
「ゆとりのある一族なぞ九州中におらぬわ、やるのかやらぬのか!?」
赤星武貫が言葉に窮し、武光は全員をねめつけた。
「菊池は生き残るのか、滅びてよいのか、お手前方はどう考えるのか」
単純素朴な頭の主である赤星武貫は正直にその問いに対して答えは一つしか出てこない。
「おいは庶子家の分裂など一切認めぬ、一所懸命、菊池の為に総員が合力する、よかな」
断固たる意志そのものとなって武光は座っている。
「親王様の征西府には相応しい構えが必要である!それを不服というなら反逆罪を持って処断する、これが親王の綸旨を頂いたわし武光の意向じゃ」
この時に至り、寄合内談衆の一同は全く異質な棟梁が登場してしまったことを痛感させられた。だが、それは既得権益を一切奪われかねない大革命であり、受け入れるわけにはいかない大異変であった。皆が平伏はしたものの、座に敵意と憎悪が満ちた。
武澄がじっと武光を見つめた。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇菊池武士(きくちたけひと)
菊池第一四代棟梁。武光の兄。落ち目の菊池を支えきれず仏門に逃避する。

〇大智禅師(だいちぜんじ)
曹洞宗永平道元禅師六代の直嗣である高僧。武重に招かれ聖護寺開山として菊池一族の尊崇を集めたが、菊池を掌握しようとする武光の為に追われるようにして菊池を去る。

〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。知的な武将。

〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。

〇菊池武澄
武光の兄。初めは武光の一五代に疑念を示すが、やがて腹心の武将として一身を捧げる。







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