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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」29


第六章    遭難


二、

菊池川河口最大主要港湾、高瀬湊(たかせみなと)は有明海からほど近い。
菊池川を下ってきた船が桟橋に横付けされる。
親王と五条頼元、中院義定(なかのいんよしさだ)たちを案内した武光と筑紫坊が降り立ってくる。もう一艘には太郎や伊右衛門、弥兵衛達護衛の旗本が乗っている。
高瀬は博多とは比べ物にならないが、それでも国際港の匂いがした。
唐人が行き交い、僧侶や商人が乗り降りする国際港の猥雑(わいざつ)さに満ちている。
有明海に開いた菊池川の河口は広大で、当時は今のように干拓されておらず、高瀬はその広い河口を少しばかり遡った地点にあり、水は海の塩水と淡水が半々に入り混じっている。
そこに忽然と巨大な湊が出現し、廻船が行き交い、時には外国航路の船も寄港した。
唐の言葉、時にはさらに得体のしれない国の言葉さえが乱れ飛んだ。

その港のほど近くに菊池の分家、高瀬館が新設されてある。
武光と親王、五条頼元、中院義定たちはその館に入った。
迎え入れたのは高瀬家を開いたばかりの菊池改め、高瀬武尚(たけひさ)だった。
「兄者、よういらせられました」
「武尚、港の支配、順調か?」
武光の命を受けて高瀬の港から交易の開発に乗り出した武尚だっだ。
これまで無法地帯だった高瀬の津を管理し、関銭(せきぜに)を取って代わりに海賊衆から寄せ船だと絡まれて積み荷を奪われる被害から彼らを守る、そんな役回りも果たし始めた。界隈の菊池の勢力は頭抜けており、抵抗勢力の排除はたやすかった。
菊池が本格的に管理に乗り出したことで海商は商売がしやすくなり、博多の宗長者も高瀬へ定期航路を開いていた。宗長者は菊池の深川へも船を回そうかと計画している最中だった。その宗長者が招かれており、武光一行は高瀬館の奥の間に対面した。
博多の豪商宗英顕(そうえいけん)と娘明美(あけみ・十七歳)や二、三の土豪らしきものが待っていた。
「本日は牧の宮様の無聊(ぶりょう)をお慰めするため、お忍びでご案内した、ついでのことに皆の衆にご紹介し、征西府ご支配への協力をお願いしとうてのう」
「牧の宮である、」
懐良が無表情に短く言う。
懐良は美夜受を御所から出し、正妻に迎えた重子の元に通い婚をしている。
懐良はまだ武光に怒っており、今日も頼元に言われてしぶしぶ付き合ってきていた。
とは知らず、宗長者も土豪たちも牧の宮に声をかけられて感激してひれ伏した。
「宗長者殿は博多でも一、二を争う豪商でござるよ」
武光が紹介し、宗長者が引き出物と称して豪華な反物や焼き物、毛皮製品などを差し出した。
「親王さまへの手土産にござりまする、これから菊池へも出入りをさせて頂きます、どうぞお見知りおきくだされませ」
慇懃(いんぎん)に言う博多の海商、宗長者は筑紫であろうが肥前であろうが肥後であろうが廻船を回して物資を仕入れ、それを輸送して本州各地に販売することで巨万の利を得ていた。鎌倉の御代程ではないにせよ、神社、寺院の権門貿易もまだ盛んだった。
時には密貿易で高麗や元にも船を出したが、その商いは莫大なもので、守護の菊池クラスでも遠く及ばない。
「と、お大臣様のような顔をしておられるが、元は荒くれの海賊衆でござるよ」
武光が笑い、頼元も海賊にはなじみが深く、その力は大いに有用、と持ち上げた。
海のない菊池の財力を補う狙いで、筑紫坊を博多にやり、長者どもの中からこの宗一族を選び出し、密かに交渉を重ねて来た武光なのだった。
宗氏など博多の商人たちの多くは北朝南朝に関わりなく利で動くため、大友、少弐ともつながっており、敵対勢力に転じる危険があった。
だが、商いの構想力を示すことで彼らを利で釣る、という自信が武光にはあって、彼らとの折衝を続けてきた。むろん危ない橋ではあったが、豪胆にも武光は意に介しなかった。
宗英顕は対馬の宗一族の分れで、若い時分は海賊衆の中に身を置き暴れ回ったものだが、やがて才覚を現し、博多港を根城にして廻船業を始めて成功し、今日に至ったという豪のものなのだ。そんな荒くれもののまっすぐな性根をとらえる自信があった。
宗長者は今回一人娘であるという明美を伴ってきている。その明美が屈託のない笑顔で懐良の前へ進み、お酌をした。
懐良は戸惑いながらも酌を受け、明美を見やった。
「わしには息子もおりますが、この明美が一番目端が利きましてな、実のところ」
英顕としては子供たちの中で一番才覚ありと見込んでいる明美に期待し、各港の現場や取引相手を見せて英才教育をしているつもりらしかった。
その明美はまだあどけない顔をしていたが。どうやら東南アジアあたりの女とのハーフらしく、エキゾチックな顔立ちがのびやかで、天衣無縫と見えた。
「親王さま、肌、白か」
その明美は都から来た百面の貴公子、懐良親王に興味津々で、悪びれることもなく頭の先から足先までをじろじろと観察した。
懐良は美夜受の前例もあり、周囲の者に女を世話されるのは屈辱だとの思いで不快感を見せた。だが、そんな表情まで、明美は面白がって、くくくと笑う。
酒肴が進んで座が和んできたころ合いに、武光が本題を切り出した。
「皆に相談がある、福健より琉球を経ての南島路を最大限に生かしたか」
倭寇(わこう)をプロデュースすると言い出した武光だった。
控えている土豪を海賊軍団の長、小代(しょうだい)氏として改めて紹介し、合力して貰いたいという。有明海からこの河口にかけて、小代氏は海賊衆として名を成している。
宗長者の商いの護衛や敵勢力駆除には小代氏の力が必要になる。
宗長者がにやりと笑って何やら商売の試算帳を取り出して見せた。
「武光様から面白かご提案をいただき、ざっと試算してみ申したが、いかい、大けなもうけが見込め申すで、身共としても乗り気になってまいった次第、それはこうでござる」
宗家が大型船を提供、小代氏が海賊行為の実行を担い、菊池氏が出資分の分け前を取り、残りは宗家が国内にさばき利を得る。一回の商いで今で言えば数十億円の儲けが出るプロジェクトだった。それを菊池氏と宗家で山分けするわけだ。
武光が、さらに通常の交易ルートをも宗家の力で開発したい、と補足した。
菊池の山間部から海までは六〇キロの距離があり、よその川に比べて高低差があまりなく、急流がない。その為に早くから船運が開け、流域に多大な恩恵をもたらした。
菊池一族は船でこの川を遡上して深川に住み着いたと言われている。
武光もそこに目を付けていた。
高瀬を経由して深川まで国際便を就航させることが計画された。
延寿刀鍛冶による軍需物資の増産と輸出、木材と農産物の輸出、外国製品の輸入販売。
表の貿易と裏での海賊行為、両方で征西府の軍資金を作り、菊池を都として整備することを狙った。無論、裏で海賊行為をする海の一族に規制を掛けようなどという気はない。むしろ、今後何度でも資金を出して海賊行為をもプロデュース、上がりをもたらせという。菊池の棟梁に就任して以来、考え詰めてきたことだった。
「いくさには金がかかる、民にも支えてもらわねばならぬ、それには商いの利を菊池に誘引せんけりゃならぬでのう」
かねて筑紫坊を相手にあれこれ学んだことが今、形を見せていた。
武光の言葉に、頼元はじめ、一同のものたちは圧倒されつつも期待を抱いていった。
危ぶまれていた資金の問題は、これがうまくいけば解決するだろう。
しつこく武光政権に抵抗し続けている慈春尼や寄り合い内談衆ももはや黙る以外になかろう。頼元も義定も、今や武光の手腕に大きく期待し始めている。
頼元たちを安心させるために、武光はわざわざ今日の会合を企画したのだった。
座は未来への期待で熱気を帯びて盛り上がっていった。
それに関せず、明美は妖しい目で親王を見つめている。


14、菊池川の船運小


菊池川を遡上(そじょう)する船の中は、川風が心地よかった。
上流へ向かう場合は曳子という人夫たちが川べりを綱を引いて遡上する。
背後からは護衛の船が従ってくる。船頭は風を見て帆で補いながら船を操った。
屋形が張られた下には陶磁器や虎の皮や貴重な書物、禁制品の銅銭、繊維品など、異国の珍しい産物などなどが山積みされている。のんびりと川風を楽しみながら周囲の美しい景色を眺めながら菊池へ帰る一同が思い思いに座っている。武光は荷品の一つである龍泉窯(りゅうせんがま)産の青磁(せいじ)を軽く弄びながら川風を楽しんでいる。
船べりに腰を下ろした親王は思い詰めた表情で風になぶられている。
「武光殿、海賊とは、思い切ったことを考えられるな」
中院義定が感心した表情で話を向けた。
「都の方にはおいのやるコツは下卑ておるやもしれませぬな、目を瞑(つむ)ってくだされ」
この時代、日本と外国という区別は人々に希薄だ。ここから東国と大陸はイメージしても大差がつかない。他国と言えば今の外国ではなく、他人の領地でしかない。
大友や少弐の土地を攻めて略奪することに罪悪感がないように、高麗や元を攻めても罪悪とは思わない。攻め破られれば滅び、攻め破れば生き延びる、武士にも民衆にもそれだけのことだった。海賊行為まで企画して外へ打って出ようとする武光の意志を、一族の人々は支持しているのかと頼元が問う。頼元には征西府をこの男が維持できるのか、それだけが最大の関心事だった。武光が厳しい顔で答えた。
「ことを成し遂げるのは常に一人の決意でござるよ、烏合の衆では世は動かぬ、博多合戦で親父殿に真実やり遂げるつもりがあったかどうか、他んもんにも同じこつがいえるたい、菊池の誰にもその決意がなかったけん敗れたったい」
中院義定は武光の父への思慕と冷徹な観察眼、一族中での孤独、底知れぬ自尊心を感じる。
一方、頼元は親王と武光の境涯に共通点を感じている。
頼元は共に腰を下ろして平原を眺めやる二人の美しい若者を見やる。
美しくも線の細い懐良と、たくましくもさわやかな笑顔の武光。
二人とも、同じように不遇な目に合わされた父親の事情からことが始まっている。
兄弟間で誰からも頼りにも相手にもされず、孤独に育った。
この武光も芯は孤独な寄る辺なき魂の持ち主ではなかろうか。
だが武光と親王では大きく違うことがある。
武光は単純な男らしく、動きや考えにぶれがない。
父の非業の死を受け、菊池を頼むといわれたその言葉を芯に持ち、ひたすら菊池をまとめ、市街や砦を整備し、経済を整え、南朝支持に突っ走ろうとしている。この男の強引なまでの行動力、生命力はおのずと一つの目標に向かうだろう。
そこに待つものが破滅であれ、栄光であれ、武光は人を従えさせ、使い切る。
だが、親王にはその熱さがない。実のところ、頼元には懐良が分からなかった。
後醍醐帝に見いだされ、その恩義に感動し、帝のご遺志を報じ奉ることに疑いなく身を捧げる頼元には、亡き父の無念を晴らすことに燃えない親王の心が物足りないのだ。
自分の薫陶(くんとう)に何か問題があるのだろうか、指導者として力が足りないのか。
そんな悩みが川風に乗って込み上げてくる。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。

〇五条頼氏
頼元の息子。

〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。

〇宗明美(あそうあけみ)
対馬宗一族の別れで海商となり博多の豪商長者となった宗家の跡継ぎ。
奔放な性格で懐良親王と愛し合い、子供を産む。
表向きの海外貿易、裏面の海賊行為で武光に協力する。

〇宗英顕(そうえいけん)
明美の父の豪商。

〇菊池武尚(きくちたけひさ)
武光の兄弟。高瀬家を起こし、武光を助ける。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。

〇伊右衛門
武光(十郎)の家来

〇弥兵衛
武光(十郎)の家来








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