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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」60


第十二章    落日


五、
 

今川了俊は九州入りの計画を前にして自らは安芸から動かず、最初の駒を動かした。
大友の配下でありながら南朝勢の勢いを警戒した国東半島に領地を持つ田原氏能(うじよし)から現地の情勢を聞き取り、準備を万端にしたうえで、計画通り、その田原氏能を案内に立て息子の義範を国東半島から九州入りさせた。浦部衆という水軍によって軍勢を海上輸送した。
都甲三郎四郎、木村頼直らの武将が従った。
そしてまず、国東郷に南朝方の平賀新左エ門を田原氏能を従えた今川義範が攻め破った。
それを迎え撃つべく派遣された菊池武政は豊後高崎城に入った今川義範を攻めた。
それが建徳二年、七月二十六日のことだった。
やがてその攻防戦は悪夢の泥仕合となっていく。
 
豊後高崎山城は豊後守護であった大友氏の詰めの城である。
大友親世(ちかよ)が守っている。
海から屹立する標高六二八メートルの高崎山の山頂に築かれており、難攻不落の堅城だ。
大友氏のおひざ元府内には大友氏館や上原館があったが、元から城のあったこの場所に手を入れ、大友氏の詰めの城となしたものだ。この城は菊池一族には鬼門ともいうべき城だった。大友氏はかつて武光たち南朝軍に攻められて対抗するため、高崎山城を大改装している。城に通じる道は狭く、岩と崖、密林と急傾斜が敵を寄せ付けず、一八条もの竪堀が設けられた。
南朝菊池はこの城に過去三度挑み、三度とも攻略に失敗している。
九州征西府が豊後を鬼門として手をつかねてきたのはひとえにこの城の防衛力の前に侵攻を阻まれてきたからと言って過言ではない。太宰府進出後も菊池武盛をこの城での攻防戦に失っている。武光にとっては十三年間喉につかえた異物である。
大友親世が守るその高崎山城へ今川義範は入った。
そこへ伊倉の宮良成親王を奉じた菊池武政が攻め寄せたのだった。
まず府内を攻め落とし、次いで高崎山を攻囲した。
今川義範からすればこれは時間稼ぎだった。父の今川了俊がじっくりと諸侯をねじ伏せ、九州侵攻への準備を進める間、征西府の実力を測ることも任務として課せられている。
通常籠城戦は相手に攻め立てられて立てこもるという受け身の戦いとなる。
問題は後詰、支援の軍勢があるかないかである。籠城しても支援の勢力がなければ兵糧攻めも含め、次第に軍事力は先細りとなり、結局は打ち破られてしまう。
だが、支援の当てがある場合、籠城は時間稼ぎであり、攻め寄せたほうの疲れを待って背後から寄せ手が攻めれば攻城軍は一気に総崩れとなる。
今川義範の高崎城籠城戦は後者の典型的な場合だった。
今川義範が待っているのは今川了俊が率いるであろう膨大な北朝南下軍である。
時が経てばたつほどその勢力は膨れ上がり、一方、良成親王と武政の軍は兵糧に乏しくなり、不利となっていく。初め、武政は今川義範の籠城軍が本州西国での勢力拡大を待っていることに気づかなかった。今川了俊のしたたかさを十分認識できていなかったためだ。
義範と大友親世は決着をつける戦いをする気はなかった。
ひたすら持久戦に持ち込み、徐々に武政らの南朝を弱らせていくための戦い方をしていた。そのため、百度のいくさをしたが、のらりくらりと決戦を避けている。
今川了俊は海さえ超えず、安芸の沼田におり、その様子を高見の見物していた。
やがて持久戦で補給が欠けがちになった菊池武政は長引くと城を落とせないと焦った。
夏だったものが秋となって冬が迫り、そこでついに無理な攻撃を仕掛ける決断をしてしまった。武政には何としてでも高崎城を落としたい必然があった。
武光にどうしても落とせなかった城だからだった。
今や武政にとって、武光越えの道はこの城を落とすことしかない。
秋が深まり、高崎山城のふもと、かつて武光が本陣を置いた城の久保の本陣で、武政は首脳陣に全軍の突入を命じている。
「このままでは兵糧に限りが出てくる、兵共の疲れも限界じゃ、幼き良成親王をいつまでも陣中に置くこともおいたわしい、また、ぐずぐずしおれば敵にどのような援軍が現れぬとも限らん、おいな一か八かの賭けに出たか、…未明をもって全軍にての突撃を敢行するばいた、総員死すとも城を落とす、よかか、総員死すともじゃ、全軍にその覚悟をいたせと伝えよ、突撃準備にかかれ」
この武政の命をもって、南朝軍は翌未明、高崎山城に総攻撃をかけた。
最大のいくさ場は銭瓶峠(ぜにがめとうげ)となることを武政は想定していた。
時の声を上げて攻め寄せれば、相手も城から打って出てくる。
その攻防戦で敵を押し上げ、城へ追い込み、そのまま攻め落とす、という流れを組み立てていた。だが、現実にはそうはならず、高崎山の斜面を進軍するに連れて銭瓶峠はいよいよ静まり返り、武政は初めて異常を感じた。
「相手は何か企んじょるぞ、気を付けよ、油断するな!」
だが、広く展開して全山にとりついた南朝軍に小回りはきかない。
警戒しつつ迫りゆく中では横の意思疎通もままならなかった。
今川義範はそれを待っていたのだった。
密かに呼び寄せておいた了俊の弟で、了俊の養子になっていた今川頼奏(よりやす、のちに改め、仲秋)の軍勢に側面を突かせようともくろんでいた。
頼秦こと仲秋はこれに先立ち、肥前の松浦に上陸、松浦党など中小豪族どもを味方に引き入れ、太宰府に向けて進撃していたが、義範からの連絡を受けるやその動きを中断して大宰府を迂回し、豊後に入って来たのだった。中秋軍は密偵を菊池鬼面党以上にうまく活用して義範と連携し、夜のうちに温見峠を越えて今市、今畑を越えて堂尻川東岸に進行してきていた。それが今ようやく、銭瓶峠まで進んだ南朝軍背後に姿を現したのだ。
いきなり時の声が上がった。
大量の鏑矢(かぶらや)が飛び、その唸りが空にとどろいた。
「なに!?」
「背後から敵じゃ!」
中秋の軍勢が銭瓶峠へ攻め寄せ、背後を突かれた征西府軍は狼狽した。
次々に襲い掛かられ、南朝兵士は混乱し、足並みを乱した。
この時初めて城から敵勢が討って出てきた。
挟み撃ちとなった。
「しもうた!」
「はめられたばい!」
これまでの百度の小競り合いはすべてこの時のために仕組まれたものだった、と武政も気が付いた。焦れて総員で当たってくる時を待ち、中秋の軍と示し合わせていた義範だったのだ。それをどこまで今川了俊が差配していたのか。
ともあれ、南朝軍の兵士がどんどん打ち取られていく。
武政は敵の術中にはまり、全滅必至となった。
焦った武政は討ち死にを覚悟、突撃を図る。
「何としてでも城へ討ち入れ!城にてもつけず全滅などしては菊池の面目が立たぬわ、せめて城へ討ち入って死のう、進め!退くな、進めやあ!」
喚き回って馬の腹を蹴り、太刀を振るい、前進しようとする武政だった。
が、行く手に膨大な数の敵が現れた。背後にもだ。
進軍を阻まれ、進むも引くもままならなくなった。
味方は打たれ放題討たれてしまい、なすすべがない。
武政の旗本も攻め立てられて次々に討ち死にしていき、武政自身戦死寸前となる。
「おのれ、今川義範、くそ、おいな、ぎゃんところで死するか、おいは、おいは!」
武政は自分の失態を悟り、死を覚悟したが、この時ふと自分の根本問題に気づいた。
この土壇場で、不思議なくらい思考がすとんとまっすぐ抜けていった。
そもそも自分は違う生き様をすべきであった。だがプレッシャーに負けて分を超えた野心を持った。そのために今自分は死ぬのだ、と。
大保原以来、親父に逆らいどおしだった。
空回りしていた。何もかも悪い方向へ来させてしまった。誰のせいでもない。
それは激しい後悔を伴う自嘲にも似た感慨で、情けない思いで泣きたいほどだった。
死ぬしかない、討ち死にすることで許されたい。
この時、副将武安の怒鳴り声が武政の気持ちを現実にひき戻した。
「武政さま、本陣までお戻りくだされ、良成親王さまを太宰府まで生きてお届けいたす責務がござりますぞ!こげなとこで討ち死には許されまっせんばい!」
武政ははっと我に返り、あらためて気付いた。自分の劣等感や虚勢、意地などを超えた大事な何か。雑念を超えた責務。良成親王のもとへ駆けつけねばならぬ。
自分たちが敗北すれば、敵は勢いに乗って南朝軍本陣へ攻め寄せるだろう。
そうなれば幼い良成親王は敵の手に堕ちる。下手をすれば首が落とされる。征西府軍は敗北する。菊池も明日を失う。
それを防げるものは!
武安がたずなを引いて馬を回し、その尻をぶっ叩いた。
武政の馬が斜面を駆け下る。
武政は夢中で叫んでいた。
「続け!おいと共に駆けられる将は続け!討ち死にはならん!良成親王様をお守りするのじゃ、共に参れ!」
谷を駆け下り、小川を飛び越えて、敵に襲いかかられながら、武政は馬を駆った。
武安ほか数名の騎馬武者が従ってきた。馬が必死に坂道を駆け下る。
武政と数名の騎馬武者が本陣へ駆け戻っていく。
やがてなだらかな麓まで下りてきたとき、前方に敵軍勢が立ちはだかっている場面に出くわした。たずなを引き、馬を止める以外にない武政だった。
他の騎馬武者が気づいた。背後にも敵軍が攻め寄せている。
囲まれた!
武政の血が逆流した。
もはや良成新王をお守りすることもできまい。自分の武運は尽きた。
潔く斬り死にするまで!
なにもなせなかった、あまりにも無力だった、空回りしただけの人生だった、意味のない人生だったかもしれぬ、生まれてきた甲斐はあったのか、自分には生まれる価値があったのか⁉あらゆる思いが一瞬で脳裏を駆け巡った。
次の瞬間、武政は馬の腹を蹴っている。
太刀を振りかぶり、敵軍に向かって駆けていた。
武安や他の南朝騎馬武者もそれに続いた。皆が同じ思いだったかもしれない。
敵のただなかに飛び込み、武政は太刀を振るった。
血がしぶき、肉が飛び、絶叫が発せられ、命が消えていく。
武政自身手傷を負っていく。血まみれとなる。
打突を受けた。落馬した。
跳ね起きたが討ちかかられて、必死に受けた。
だが相手の太刀の勢いに吹っ飛ばされた。起き上がろうとしてもたついた。
敵兵が大きく眼前に迫り、武政は死を覚悟した。
その時救援軍が駆けつけてきた。
敵軍の脇手からすさまじい勢いで突っ込んできた一群があった。
敵軍が崩れたって動揺が走っている。
先頭を駆けてくるのは陽光を受けて青く輝く騎士だった。
あの無敵の装甲鎧を身に着けた武光だ。
「武政!」
それは武光と弥兵衛たちの精鋭部隊で、決死の突撃をかけてきたものだった。
「親父様!?」
颯天が敵の壁をぶち破る。
武光が体で颯天を操り、弓を連射して敵を射倒した。
次の瞬間、颯天は大きくジャンプした!
今しも武政に切りかかろうとしていた相手の騎馬武者に、颯天が前足から体当たりを食らわせた。相手は馬もろともに打倒されて地面に転がった。
青い騎士は颯天のたずなを引き、武政に駆け寄り、手を差し出した。
「武政!」
武光は武政を颯天の後部に引き上げ、笑った。
「未熟者めが、まだまだじゃわい」
「親父様、何でここに⁉」
「お前の気性なら、そろそろ焦れて無茶しよるころ合いかと思うておったつばい、次世代の棟梁を死なせる訳にいかぬでのう、しがみつけ、落ちるなよ」
武光が颯天の腹を蹴り颯天は脱出にかかる。
大鎧を着用した二人の武士を乗せれば普通の馬ならがくりと速度が落ちる。
だが、颯天は全身の筋肉をフルに使いきって駆けた。
武安やわずかの騎馬武者が続いた。
その背後に敵の騎馬武者がおいすがる。
そこへ割って入ったのは弥兵衛だった。
「追わせはせぬわい、おいが相手じゃ、こんかあ!」
弥兵衛が槍を振るい、二人、三人と馬から叩き落していく。
武光の背後で武政が弥兵衛を見返った。
弥兵衛は武光たちの背後を守って荒れ狂う。
槍を奪い取られると、太刀を抜いて斬りたてた。
武光の颯天を追おうとする敵の騎馬武者に気が付き、その相手に打突をかけた。
相手の顔面に太刀を叩きこみ、即死させて制した。
弥兵衛は駆け去る武光と颯天を見送り、その安全を確認する。
その弥兵衛に馬で駆け寄りすり抜けざまに薙刀(なぎなた)を払った相手がある。
弥兵衛は太刀を握った腕を落とされ、馬から落ちかけたが、かろうじて踏みこたえた。
たずなを引き、全身で馬に意思を伝え、辺りを跳ねまわった。
敵の騎馬武者たちがひるんだが、やがて槍を投げ、太刀で斬り寄せてきた。
二人までは跳ねのけたが、三人目に切り付けられ、落馬した。
その頭を駆け抜けざまの馬に蹴りつけられ、弥兵衛は倒れた。
辛うじて立ち上がりはしたが、その喉首に伸びてきた槍が突き刺さった。
即死だった。
その間、颯天は武光と武政を乗せて走り続けている。
武光の背中に向かったまま、武政は茫然としがみついていた。
ガタガタと震えた。
「…無残な敗戦じゃ、おいの責任ばい、…討ち死にすべきであった」
「棟梁が自分の感情で自分の生き死にを決めてよかものではなか」
と武光が背越しに叫んだ。
「武士には死すべき時と場があるばい、そうでなか時に死ねば犬死ちゅうだけでなく、自軍の勢いを削いでしまうわい、…棟梁の命は自分のものであって自分のものではなかぞ、見よ」
武光が颯天を飛ばしながら、顎で示した。
その視線の先では親衛隊士たちが楯変わりとなり、武光たちの行く手を守って次々に討たれていく。そうやって時間を稼ぎ、武光たちの安全を図っている。
「…!」
「…奴らは奴らの責務を果たす、ぬしはぬしの責務を果たせ」
武政は茫然と死んでいく親衛隊士たちのあがきを見やっている。
「…おいな、器ではなか」
「では誰が器なのか」
武政は虚を突かれた。
「…荷が重ければおろすがよか、…じゃがのう、…おいも同じばい、…器であろうがあるまいが、ぎゃんこつの誰に分かろうか、何の意味があるか、…人には天の定めた役割がある、その役割を背負うて走りきるだけばいた、そいでよかつじゃ」
もう返す言葉はなかった。
武政は初めて武光の言葉を素直に聞けている。
父の背にしがみつく武政が男泣きに泣く。
親子を乗せ、颯天は駆け続けた。
 


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇菊池武政
武光の息子。武光の後を受けて菊池の指導者となる。
 
〇弥兵衛
武光の家来
 
〇菊池武安
征西府幹部。

〇今川了俊
北朝側から征西府攻略の切り札として派遣されたラスボス、最後の切り札。貴族かぶれの文人でありながら人を操るすべにたけた鎮西探題。
 
〇今川義範
今川了俊の息子の武将。
 
〇今川頼奏(中秋)
今川了俊の弟の武将。
 
 

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