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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」58



第十二章  落日



三、
 
「宮さま、遠乗りにでも参りませぬか」
武光は懐良親王を誘い出した。
馬を攻めて、海へでも出れば親王の気鬱晴らしに少しは役に立つのではないかと気遣った。懐良は気乗りのせぬ風を見せたが、あまりに武光が食い下がるので、やむなく承知した。
武光は颯天にまたがり、懐良は愛馬の白馬にまたがって征西府政庁を出た。
従うのは親王親衛隊士一〇数名。
春先の風は冷たいが、陽は照り付けて、次第に汗ばんだ。
「表へ出るのはよか気持ちでござりまっしょう」
武光は馬上から盛んに懐良に言葉をかけたが、懐良は返事さえしない。
武光は懐良が自分に対して扉を閉めてしまっており、なすすべがないと感じた。
博多の賑わいを避け、人気のない海岸を目指した。
海岸へ出て海を眺めながらしばらく走ったが、懐良が美しい海の光景に心を動かされる風はなく、背後からくる親衛隊の疲れを思って武光は休憩を提案した。
すでに陽は西の空に傾いており、少し風があって、海には波がある。
用意した弁当を一緒に食べようとしたが、懐良は武光を置き去りにして歩み去った。
武光は追えなかった。ほかの相手なら強引に肩を掴んで腰を下ろさせ、笑い飛ばして一緒に弁当を使うところだ。だが、武光は懐良に弱かった。
しょんぼりと取り残されていた。
護衛は親衛隊士たちに任せ、自分は離れた岩場に腰を下ろし、一人弁当を使った。
懐良は今では武光の弱みとなっていた。
懐良に振り回されることで、堂々とも強引とも、征西府の指揮をとれていない。
親王を御せないとして、武政ら若手の信頼も失いかけている。
だが、どうしようもなかった。
懐良に拒絶されては手も足も出ない。自分でも情けないと思うが、腹に力が入らない。
弁当を使う箸もとどこおりがちとなった。
その時、騒ぎが起きた。
親衛隊士たちが慌てた様子で何かがなり合いながら駆けまわっている。
武光は腰を上げてそちらに行き、なんごつか、と問うた。
「それが、親王さまのお姿が」
「何⁉」
親王が、来るな、と言いながら立ち去ったが、用足しであろうと思い、見送ったという。
ところがいつまでたっても帰ってこないので、皆で探し回ったが、見つからないと。
武光は慌てた。
「馬鹿め、何としてでもお見つけせよ、おいも行く!」
親衛隊士たちを四方に走らせ、武光は颯天にまたがった。
颯天を駆けさせ、懐良の姿を探し回った。
太陽がかなり下がってきており、海の色が暗くなってきている。
何か不穏なものを感じて武光は焦った。
松林の中へ駆け入り探してのち、再び海際へ出てきた。
懐良の姿はどこにもない。
と、海に突き出した岩場の上に光るものを見た。
颯天を降りて岩に駆け上がった武光は、そこに脱ぎそろえられた履物と、添えておかれた見事な佩刀があるのを確認した。懐良のものだった。
武光は慌てて見回した。陸や波打ち際に親王の姿はない。
では海か⁉と見まわした。
海には波が立っていて、視認が難しい。
近くに親衛隊士はおらず、自分一人で見つけるしかない。
焦りが募った。親王の気鬱を想い、まさかと懸念した。
万が一にも馬鹿な真似はしてはいまいが、と思ったが、胸が動悸する。
喘いで息が苦しくなり、こぶしを握り締めていた。
突然、波間に浮かんでいる帯が見えた。
懐良のものであるかどうかは確信が持てなかったが、もはや猶予はならないと感じた。
武光は烏帽子を脱ぎ、刀をほどいてから着衣を脱ぎ、褌一つになった。
数歩を駆けてジャンプし、海に飛び込んだ。
子供のころから緑川で悪ガキ仲間たちと散々泳いで遊んで、泳法には自信があった。
むろん我流だが、泳ぐ速さと泳続距離には自信があった。
武光は帯に向かってどんどん泳いでいった。
帯に手がかかり、目視したが、確信が持てない。
いずれにせよ、これが懐良のものなら近くにいるはずだと思い、見まわして探した。
だが、波の間に人の姿はない。
武光は大きく息を吸い、体を折って水を掻き、潜った。
全身をばねに使って水中を進み、懐良を探した。
水中はすでにかなり暗く、視界が利かない。
武光は泳ぎ回った。だが見つからず、浮かび上がって息を継いで再び潜った。
何度目かの水中で、前方に人影を認めた。
泳ぎよっていくとそれはまさしく懐良だった。
武光は大きく水を掻き、近づいた。
懐良は無反応であおむけに体を伸ばし、静かに漂っていた。
武光はその身体に手をかけ、抱き寄せて離さぬようにして上へ向かって水を掻いた。
武光は懐良を片腕に確保して水上へ顔を出し、大きく息をした。
懐良は意識不明の状態と見えた。
武光は陸を確認した。波打ち際に颯天が見えた!向こうだ!
颯天が前足で波を掻き、いなないてこちらへ泳ぎ寄れと急き立てる。
武光は懐良を確保したまま片手で水を掻き、陸へ向かった。
波がその邪魔をして武光は何度も水を飲んだ。
進めているのかどうかの確認ができず、武光は焦った。
親衛隊士が駆けつけてくれていないかと素早く視線を走らせたが、海岸に人影は見当たらない。自分でやりきる以外にない、と思った。
水を掻いても掻いても陸は近づかず、疲労感がせりあがってくる。
何度も手を放しそうになって、そのたび懐良を掴みなおした。
懐良が自分の腕から滑り落ちて離れて行ってしまう!
それが恐怖となって武光をおびえさせた。
やはりこの人ははかない、と思った。
意識も薄れかけて、武光は親王の思い出を映像として眼前に見ていた。
始めて会った宇都の津でのかたくなな表情。武光にしごかれ、むきになって馬にまたがろうとした姿。八方が岳のカニのはさみ岩近くで抱き合って凍死の危機をやり過ごした夜。
いくさ場で無茶な突撃をしていく親王の青ざめた顔。
そして笑顔。えも言われず品よく、肌は透き通って美しい。
失いたくない、そう思った時、武光に最後の力がよみがえった。
武光はさらに水を掻いて、ようやく足のつく深さにまで到達していた。
必死に歩いて親王を引っ張り、それから腕にかき抱いて砂浜へ歩きあがった。
颯天が喜んで周囲を駆けまわった。
そこで力尽きて膝から頽(くずお)れ、親王の身体が砂浜に転がった。
その脇へ武光も倒れこんだ。
すでに陽は海の向こうへ沈みかけており、辺りは夕景となって薄暗い。
武光が荒い息をして肺に空気を送り込む。その空気は冷たかった。
颯天が鼻ずらを寄せてきても、しばらくは動けなかったが、必死に体を起こした。
懐良の脈を診た。脈もなく、呼吸もしていない。
武光は人工呼吸を施そうとした。現代のような知識があるわけではなかったが、川でおぼれた小僧どもを何度も救って我流の蘇生法を試み、何人も救ってきている。
胸を押して水を吐き出させようとし、口から息を吹き込んだ。
懐良の身体は冷え切っていて、唇は青ざめて死の色を思わせた。
武光は焦り、おびえて必死に懐良の唇に自分の唇を合わせた。
あのバラ色に色づいた美しい唇を取り戻したかった。
生き返れ、死ぬな!心に叫びながら呼気を吹き込んだ。
そして胸を叩き、鼓動をよみがえらせようとした。
逝ったのか⁉永遠に自分の手元から去ってしまったのか!
武光が怯え、胸が張り裂けそうになったその瞬間、懐良の腕が武光を突きのけていた。
武光が尻もちをつき、懐良は起き上がり、体を折って水を吐いた。
「宮様…」
「武光、むさくるしい」
武光はしばし呆然となって尻もちをついたまま見つめた。
懐良は水を吐き終わるとぐったりと長く寝そべって荒い息をした。
助かった、と安心して武光は呆けたように懐良を見つめた。
そして怒りがこみ上げ、立膝になって怒鳴りつけていた。
「何というこつをなさるっとか!征西将軍ともあろうお方が入水(じゅすい)して命を絶たれようなどと!おのが責務をお考えくだされ、お立場を思われよ!あなたのために菊池をはじめとする各部族は集結しおるのですぞ!」
懐良が力なく笑った。
「…誰が入水自殺をしたのか、私は泳ぎたかっただけじゃ」
「え?」
「疲れたので水の中で休んでおった、そこへお前が現れていきなり組み付いてきたので驚いて水を飲んだ、お前が私を溺れさせたのだ」
「え、…ええ?」
武光は困ってしまって言葉を失い、身体を縮めた。
懐良は太陽が消えて朱の名残りを見せている彼方の空を見やりながらぽつんと言った。
「…上がってはこなかったかもしれぬがな」
「は?」
「…疲れたのでな、…再び陸に戻って征西将軍の務めを果たすのはけだるい、気鬱じゃ、…そう感じていた気がする、…あのままいつまでも水に抱かれていたかった、…そのまま別な世界へ行けるなら、それはそれで構わぬと…」
武光に再び憤りが込み上げた。
「やはり、あなたは!そいがいかんとじゃ!あなたは、あなたという人は!」
無責任だとなじりたかった。共に抱いた目的のために二人で歩いてきた。武光にはそんな思いがあった。途中で自分だけ投げ出すのは裏切りだ。なぜおいを信じない、必ず皇統統一を果たすのに。二人でその結果を掴めるはずなのに!
自分の想いをうまく言葉にできない武光に、懐良が言った。
「…もう疲れたよ、…武光、…お前に出会えて、私は虚無の想いを逃れた、…自分の望みそのものとして皇統統一の夢を抱きなおした、…だがな、この道には果てしがない、…征西府、…九州王朝、…どこまで夢を作り直し、追えばよいのか」
「おやめくだされ!そいは違い申す!あなたは、あなたこそが我らの夢なのでござりまする、あなたこそがおいたつの!」
その言葉を遮るように懐良が叫んだ。
「お前がそう仕向けたのではないか!」
「え?」
「…お前が私を担ぎ上げて運んできたのだ、…ここまで、…もう、勘弁してくれ、武光」
親王の眼から涙が流れ出している。
その涙に消え残りの陽光が残照として光を宿し、武光はこんな際なのに、その美しさに見ほれた。そしてそんな自分を恥じて顔をゆがめた。
「…疲れたよ、…武光、…もうよかろう、…私を解放してくれ、…私をそっと見放してくれ、…頼む、…武光よ」
懐良の胸に改めて絶望感がせりあがってきたようだ。
親王が黙り込み、武光は打ちのめされていた。
自分の力が足りないばかりに、懐良は絶望している。
武光に生涯初めての深い悲しみが込み上げた。懐良の哀しみが武光の心を掻きむしってさいなんだ。今、武光は懐良との夢を失おうとしていた。
おおおお、と武光は吠えた。
悔しくて、悲しくて、同時に怒りがあった。
手が砂を掴んでさらに粉々に砕き散らそうとするかのように、激しく握りしめた。
そしてその指の間から砂が漏れ出して落ちた。
颯天が静かに波打ち際に立ち、波の音が続いている。
夕焼けの名残りが消え、闇が二人を包み込んでいく。




《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 



 

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