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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」41


第九章 大保原の決戦


 
一、


黄金塚城


 
秋色の木立の間を武光が腰をかがめて進む。
矢を弓につがえ、息を殺して木陰に潜み、再び前進する。
武光の前方、山の斜面に猪の親子がいる。
猪は臆病だが、それだけに追い詰められたと感じると狂ったように突進してくる。
技が長けて落ち付いた勇者より、腕のない臆病なたわけものが時として危険なのは、彼らには恐怖だけであと先がないからだ。疑心があって、信がない。
だから猪に向かうにはより細心の注意がいる。
谷を挟んだ十分な距離を置いて、武光は木陰から猪を狙う。
猪はえさを求めて地面をつつきながら動き回っており、木陰を出たり入ったりして狙いにくい。武光はタイミングをじっと待つ。
そんな武光を弓矢が狙っている。
そっと背後から迫りながら、武光の後ろ背を狙って弓が絞られていく。
狙っているのは赤星武貫(あかぼしたけつら)だ。今なら射殺(いころ)せる。
武光の背に向かい、武貫がさらに弓を絞る。
既に武光の生死は赤星武貫の手中だ。
発射寸前、武光がくるりと振り返っておどけた顔を見せた。
あっかんべーと表情を作って胸をはだけて見せている。
赤星武貫はあっけにとられ、弓を下ろす。
武光のふざけ顔を前にして、赤星武貫が突っ立ち動かない。
やがて、どちらからともなく、笑いだしていた。
おかしくてたまらぬという風に二人が腹を抱えて爆笑する。
少し離れて鹿を狙っていた城隆顕(じょうたけあき)が狩りを中断して笑い声の方を見返った。赤星武貫が武光を狙ったのは悪ふざけだった。
相手次第では真実暗殺を狙ったのかと激怒して殺し合いが始まったかもしれない。
武光と赤星武貫の間にはそれ相応の緊張関係もある。
まかり間違えば取り返しのつかない悪ふざけとしか言いようがない。
だが、赤星武貫には自信があった。武光は冗談を見違えないと。
武光にも十分な自信があった。同行してきている男たちを見間違えてはいないという点に。緊張関係がありながらも、芽生えた絆はしっかりと自分たちを結び付けている。
無防備な自分をさらけ出せる間柄となっている、と。

掛幕城


市成城


 
大保原(おおほばる)のいくさは菊池家第十五代菊池武光にとって最大のいくさとなったが、その前年の秋たまたま、武光は城隆顕、赤星武貫と三人で狩りに出た。
初夏の田植え時期と秋の刈り入れ前後は百姓衆を借り出せないので、どこの部将もいくさを休む。菊池もいくさの農閑期(百姓衆は忙しい)にあてていた。
それで毎年菊池で骨休めをしたりして過ごすのだが、その年は農産物に対して獣害がひどく、山間部の農民を哀れんだ武光が言い出して、腕慣らしも兼ねた獣狩りに城隆顕と赤星武貫を誘ったのだった。武光の親衛隊士が警護のために遠巻きに従った。
颯天は急斜面でも平気で武光を運んだ。
まず掛幕城(かけまくじょう)界隈から出発してゆるゆる狩りをしながら、市成城(いちなりじょう)付近を流し回り、五社尾城(ごしゃのおじょう)辺りから元居城(もとおりじょう)と経めぐって、最後は黄金塚城(こがねづかじょう)のテリトリーへ数日かけて旅するというコースを設定した。すべてが阿蘇の原生林の野生王国地帯だ。
獣たちの王国に、少しだけ人間が入り込んで人工的な営みがなされている。
重臣たちは一族挙げての警護部隊を用意すべしと言ってきかなかったが、武光は断固拒否した。そもそも菊池総体の警護は、緊迫した情勢の折から、各城ごとに受け持ち区域に対して厳重な配備をしていたので、そうたやすく他領からの侵入者はあり得ない。
その上に狩りをする武光たちの警護体制まで言い渡されては各城主も迷惑至極につき隠密の行動、として一切自分たちに関りはならぬと武光が言明した。

元居城


五社尾城



武光たちには久しぶりの骨休めとなった。
原生林は荒々しくたくましく、男たちの冒険心をくすぐった。
狩りは弓比べの様相を呈し、誰が一番見事な獲物を上げられるかが競われた。
九州には当時から熊がいないので、猪か日本鹿が獲物だった。
猿も悪質な奴は狩りの対象にしたが、これは食えない。
三人は森に入り、猟師の真似をして獲物を追跡し、矢を射た。
夜は交替の当番で獲物をさばき、鍋を煮たり干し肉を齧って酒盛りをした。
火を囲んで肉を食らい、酒を回し飲みしてくだらない話で笑い合った。
聞いているものは颯天たち愛馬だけだった。
武光と赤星武貫は手を付けた女との交情について持論を主張して口論し、城隆顕は冷笑して取り合わなかった。やがて酔いが回り、皆がまどろみながら木の間がくれに見えている星を見上げた。泣きたくなるような壮大な夜空だった。
みなが胸を打たれて見つめ、言葉を失った。
その夜空を見上げて長く黙っていると、現実感が失われて、城隆顕が突然言い出した。
何の脈略もなく、突然、ポツンと口をついて出た言葉だった。
「…いつか京へ攻め上って、皇統統一を果たした時、親王さまは天皇になられるのじゃろうか?…菊池は幕府を開いて全国に号令するのじゃろうか?」
頭の後ろに腕を組んで寝そべっていた武光が笑った。
「なんじゃい、急に」
といなそうとした。だが、静かに答えていた。
「…皇室には相続順位があろうよ、…牧の宮様が帝になれる目は、…どうかのう?」
赤星武貫が突然起き上がって真顔になって言う。
「牧の宮様がどうあれ、棟梁が幕府を開府するというなら、おいは嬉しかぞ」
武光と城隆顕は赤星武貫の素朴な感情に苦笑した。
武光は星空を見上げたまま言う。
「おいは幕府を開府するなぞ、そげな柄ではないわい、…後の世代の誰かなら、やれるかもしれぬが」
「いや、棟梁、…ぬしならやれる、…ぬしの下でなら、おいたつは力をふるえる、自分でも分かっておろう」
と、城隆顕が妙に冷静な目で武光を見やった。
どうやら城隆顕の内部にそんなビジョンが結ばれていて、切実な野心が育ちつつあるようだった。だが、武光はじっと星を見上げている。
赤星武貫が赤い顔をして武光に迫った。
「認める、…棟梁、ぬしをな、…おいたつを京へ連れて行ってくりょ、…九州辺りでは暴れたりぬ、おいは国中の北朝の侍を相手に一騎打ちを挑んでいくばいた」
「馬鹿め、いくさするばかりでは国は収まらぬ、棟梁にはまつりごとをしていただくのじゃ、武光の棟梁ならできる、国の一切を仕切るまつりごとがの」
やがて武光が苦笑した。
「…不思議じゃな、こげな夜がいつかあったような気がする、…ここにおる我ら、もしや前世から結ばれておったのか、…そげな気がするわい」
武光は満天の星空を見上げてただそういった。
武光にも城隆顕が言うようなビジョンが見えない訳ではなかった。
能力があり、生命力が異常に旺盛な男であってみれば、機会を得れば誰でも己の力に応じた望みを持つだろう。武光にも常人以上の野心が生まれる素地はある。
自分にはどうやら国を治め、国を栄えさせる才がありそうだとの見極めはついている。
だが、その才を自分のために用いて野心を膨らませる、という以前に、今の武光にはなさねばならぬことがあった。まず懐良親王の意向を優先させてやりたい気持ちがあった。懐良が望むものは皇統統一。そのためには東征が必要だろう。
海を渡り中央へ攻め登る。そのためには九州の武士団をすべて率いなければならぬ。
そのためには敵対勢力を全滅せしめなければならない。
敵対勢力とはまず眼前の少弐だ。武光はともかく少弐を倒したかった。
少弐に率いられた九州の北朝軍を制する、それを果たさなければ、武光にも親王様にもその先はない。武光には博多の恨みもある。そして―、
「…幽霊退治よ」
そのつぶやきは城隆顕にも赤星武貫にも聞こえなかった。
武光が倒したいのは博多の夜の、炎を背にした悪魔、少弐貞経の幽霊だった。
それからでなければ親王と自分に明日はない。
 
狩りは続けられてたっぷりの獲物が得られ、武光たちは行き会った人里の村の者たちに分け与えた。村のものは喜んでもてなしてくれ、泊めてくれた。
村では貴人たちを招くことができたと喜び、後家や娘をあてがってくれ、武光たちは羽目を外して遊んだ。女たちにとっては貴人と関われたということで箔が付き、その後の男選びで人気を得られた。男たちは絆に結ばれており、心から笑い合えた数日だった。
そうやってその年の秋は暮れた。
 
高崎山城攻め最中の武光の陣中に情報がもたらされた。
一三五九年、正平一四年三月のこと、武光はすでに三十一歳になっている。
筑紫坊によれば、先ごろから御船など、菊池周辺を脅かしていた大友、少弐が地元にこもって軍勢を呼集しているという。
「少弐頼尚(しょうによりひさ)は密かに北朝側に寝返り、南朝攻撃、すなわち菊池征西府攻撃の準備を始めておるもようです」
「動いたか、少弐頼尚」
武光は驚きはしない。やっとその時が来たのか、と思っただけだった。
武光が武澄、城隆顕、赤星武貫を集めて軍議を開いた。
筑紫坊が北朝に参陣すべく、本州から幾多の種族が九州入りしてきつつある情報を掴んでいた。九州内部からも筑後新左衛門、朝井但馬、窪能登太郎、山井三郎、高田筑前、渋谷播摩の守を始め、そうそうたる武将たちがそれぞれの地元から密かに軍勢移動の準備を始めている事態が報告された。薩摩の牛糞刑部大輔や松田弾正など、あらゆる武将たちが怪しく動いていると。
「そげな武将たちまで、少弐は一体なんごつして?」
赤星武貫が怪訝に首をひねるが、武光が言う。
「決戦よ」
「え?」
「われら菊池と雌雄を決する気なのじゃ、少弐頼尚はのう」
赤星武貫はそれを聞いて激怒する。
「あやつにそげなこつ考える資格があるとか⁉少弐頼尚の熊野牛王宝印の起請文はなんじゃったのか!?土下座したあ奴が!許せぬ、武士の風上にも置けぬ卑怯者!」
荒れて床几を蹴倒した。
だが、武光は笑っている。
「おいは待っておったのよ、むしろ遅すぎたくらいじゃ」
南朝軍の勢力はまだ北朝勢に比べて小さいものの、気迫は十分と見た武光は、相手方が思う以上の最終決戦を仕掛けよう、それで大勢を決することができる、と思う。
「急ぎ菊池へ引き返すぞ!」
 
武光は菊池軍を小国越えで菊池へ向かわせ、待ち伏せた阿蘇惟村(あそこれむら)の軍勢を正面突破で打ち破り、菊池に戻った。惟時(これとき)はすでに亡く、阿蘇大宮司家(あそだいぐうじけ)を率いているのは惟村だった。
惟村は惟時の意思を受け、北朝側に理があるとみてあくまで菊池に敵対する姿勢だ。
惟澄(これすみ)がそれと合流していないことが武光のせめてもの慰めだったが、この先はどう動くのか。惟澄は阿蘇家で孤立しているが、かといって明確に南朝方に立つとの意思表示はしていない。なまじ南朝の内部事情にも通じた惟澄だけに、万が一敵に回られたら、征西府は致命傷を受けるかもしれない。武光はその点を懸念した。
様々な難問を抱えつつも、久しぶりの菊池本城御殿内広間において、武光は皆と軍議する。
「おいには少弐頼尚(しょうによりひさ)の考えが分かるばい、少弐頼尚は大友氏時と図り、菊池軍を肥後より豊後に誘い出し、その間大友軍によって菊池の本拠をつかせる、我らが混乱に陥ったところへ豊後から侵攻して一気にせん滅を図る、というあたりかのう」
高瀬武尚、菊池武義、城隆顕や赤星武貫たち幹部がずらりと居並ぶ。
五条頼元や中院義定ほか都の公卿たちも列席している。
菊池武澄は既に病没して鬼籍に入っている。
もはやそれを振り返るものはない。生きてあがくものに去った人は遠い。
上段の座の牧の宮や控えた頼元、中院義定(なかのいんよしさだ)も武光の考えに耳を傾けている。
「敵は決戦のつもりであるとの棟梁のお考えじゃ」
武澄に代わって軍監を勤める武義が皆に武光の睨みを伝えた。
続いて城隆顕が、敵側に集結しつつある武将たちの動きを伝えた。
太宰一族、朝井但馬、筑後新左衛門、窪能登太郎、山井三郎、饗庭左衛門、相馬小太郎、木幡左近、西川兵庫の助、草壁六郎、など、本州から来たそうそうたる武将の名も上がり、南朝側に与していたはずのものまでが少弐の呼びかけに揺らいでいるとも。一座の皆に緊張が走る。少弐となれば執念の表情となって武光が言う。
「少弐は恐れておる、我らの勢いをな、…今叩かねば二度と勝機を掴めぬ、と、奴は思っておろう」
「では、あえて機を外し、こちらの勢力拡大の後、敵に当たるべきではござるまいか?」
武義が問うたが、武光は首を振った。
「いや、…今南朝側に与するものも、見ておるのは勢いじゃ、北朝勢が気を発して攻勢を仕掛けてきたとき、我らがかわせば気を削がれたとみて、北朝側に寝返るものが出てきかねぬ、そうなれば勢いが奴らに移りかねまい、勢いは味方につけるものよ」
乱世をサバイバルする武士団の棟梁には機を見る能力が不可欠だ。
勝負所を見誤れば一切の運が離れていくこともある。
武光は今が勝負時だとみた。
「菊池のすべてを賭けるばいた、…親王さまにはいかがお考えか」
武光が懐良に問う。懐良はじっと武光に目を据えて動じず、言う。
「機は熟した、九州を取るとすれば今をおいて他にあるまい、武光、諸将に呼集をかけよ」
懐良のまなざしはかつてと違い、力強かった。
迷いなくまっすぐ戦いの道を見据えている。
そう言われて武光はにやりと笑って頭を下げた。
懐良も物事の潮を読む目が備わってきていると感じ、頼もしく思った。
足並みに乱れを生じさせることなく動ける、それが重要な点だったが、今の菊池はクリアできている。武光は他の将士を一人一人見やっていった。
それを皆の眼差しが見返していた。今はもう誰もが武光の采配を信じている。
城隆顕、赤星武貫、菊池武義、高瀬武尚、みなが武光の指し示す方向を見ている。
「総員、いくさ支度にかかれ、武尚、武義、南朝方につく諸氏に合力の連絡をせい、五条頼元様、これまで蓄えた全資金を倉より出して頂く、戦費にあて申す」
五条頼元がうなずき、全員がはっと最敬礼をした。


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
 
〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。
 
〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。

〇五条頼氏
頼元の息子。
 
〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。
 
〇池尻胤房、坊門資世
侍従たち。

〇菊池武隆
武光の兄。慈春尼の息子で、第一五代を狙う。
 
〇菊池武尚(きくちたけひさ)
武光の兄弟。高瀬家を起こし、武光を助ける。
 
〇菊池武義
武光の兄弟。
 
 

 
 




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