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バブさんへのお返事①

若い頃の私に、文章を書く(というか思考を深める)きっかけをくださった方が、もう一人いる。元新聞記者の、Tさんという方だった。

大学2年の春休み…当時私は国際協力、貧困や環境問題に興味があり、ゼミでそういった議論をする度に違和感を持ち、「事件は現場で起きてるんだよ!」と血気盛んに海外に出ようとしていた。しかしその割には無知で無謀で、やりたい事は漠然としていた。

「まずは全く訪れた事のない地域に行って、実際の生活に触れたい…アフリカとか。それも観光ではなく、かといって現地の人に"何かしてあげる"的な上から目線ではなく、"一緒に何かしよう"的な横並びの活動。う〜ん、何か無いかな〜?」

と、日々NGO団体のボランティア募集、ワークキャンプやスタディツアーなどを検索しまくっていた。ある日偶然、東アフリカのタンザニアで環境問題に取り組むNGOを見つけた。約3週間、キリマンジャロ山の麓で現地の村人達と植林をするワークキャンプ。

「・・・これだーーー!!」

当時まだ20歳手前で未成年は親の承諾が必要、そして渡航費用も高額なのにも関わらず、運命的な出会いを感じて?「親の説得とお金は…後で何とかしよう…」と私はその日のうちに申込を決めてしまった。(若いって素晴らしい)

ワークキャンプには日本全国から27名、主に大学生が多かったけれども、年齢も職業も様々な仲間が集まった。

その中の一人が、Tさんだった。大手新聞社の経済部の元記者。引退されて、当時すでに70代と高齢だった。脳梗塞を発症した事もあり、片手には麻痺が残っていた。にも関わらず、若い私達に交ざりアフリカまで行って植林するというその気力体力…私は感銘を受けた、というか驚愕した。お酒と煙草と冗談も好きな方だった。同時にその人間らしさにも、なんだか惹かれた。

タンザニアの人々は、尊敬と親しみを込めて、彼を「Babu」と呼んだ。Babuは現地のスワヒリ語で、"おじいさん"という意味。共同生活の中で次第に私達も名字の「Tさん」ではなく、「バブさん」と呼ぶようになった。

植林サイトは宿泊地から山道を歩き進んだ所にあり、まずは薮を切払い、草を取り、土を掘り耕し、小さな苗木はやっとそれから植えられる。重機なんて無いから、一つ一つが鎌や鍬での気の遠くなるような手作業。そして更に、木々が大きく育ち、いつか森となるにも、何年何十年とかかる…。

ご高齢なので、バブさんの作業は当然なかなか進まない。昼間は疲れると休んで煙草を吸い、夜は私達若いメンバーと近くの酒場にお酒を飲みに行った。世界情勢について真面目に話したかと思いきや、時々下ネタなんかも挟んでくる。お説教もせず偉ぶる所が無くて、私はこういう人間味ある方が好きだった。

キリマンジャロの麓の村での数週間が過ぎ、最終日になり、共に植林をしてきた村人達は私達のためにお別れ会を催してくれた。作業自体はpole pole (ポレポレ=スワヒリ語で、"ゆっくりゆっくり")だったけど、バブさんは村でとても愛されていた。村長が別れ際いつまでも、バブさんの手を握り、肩を抱いていた。

帰国後も私達メンバーは何度か集まった。一年が経ち、大学3年の春休み。就活を始めた私に、バブさんがある時、アドバイスがてら手紙をくれた事があった。

ーここまでの前置きが長過ぎて申し訳ないのだけど、そこから私達のやり取りが始まった。(続く)



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