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絵のないnote

「眠る盃」

向田邦子さんのエッセイ集である。その本に掲載されているお話の一つ「字のない葉書」というタイトルを聞いて、あーなにか覚えがあるかも……という方も多少はいるのではないだろうか。

僕はこの「字のない葉書」を中学一年生の時に教科書で読んだ。この作品を最初に目にして今まで国語の授業で見た数々の作品の中でも妙に印象に残った。もともと真面目に授業を受けていたわけではないのでそういう作品はもっとあったのかもしれないが。

好きだったり楽しかったという方々には悪いけれど学校の、特に国語の授業はかったるいものだった。同じ文章をみんなでそろえて何回も読んだりこの時の作者はどのような……うんたらかんたらと下手なASMRよりよほど心地よく眠りにつけた。

だけどこの「字のない葉書」は違った。著者の父と妹の話で、父が疎開する字も書けないほどの幼い娘に自宅の宛名だけ書いた葉書を大量にもたせ、自分の状態をはがきの裏に〇か×書かせて毎日連絡させるという話だ。

何回読んでも飽きない、すごく短いのに。

教科書に載っている作品は最後に著者近影や掲載された本などの情報が載っている。この作品は向田邦子さんの作品で眠る盃というエッセイ集の一つであるとすぐわかった。

自分はどちらかというと本を読むほうではなかったのだが放課後、すぐに学校の図書館に向かうと向田邦子さんの本が2~3冊置いてあり、その中に……あった!「眠る盃」この本だけ手に取ってすぐに読み始めた。

どれも面白い、中にはよくわからないのもあったが全体的に面白い。だけど一つどうしても納得のいかない事があった。本のタイトルだった。

「眠る盃」というエッセイ集に中には「字のない葉書」をはじめ、かなり多くのエッセイが掲載されているのだが、この中に本のタイトルになっている「眠る盃」というエッセイがある。

このエッセイは正直なところとっちらかっているというか、あんまり他のエッセイと比べても印象に残らなかった。当時の僕には。やはりこのエッセイ集の中では教科書にも掲載されている「字のない葉書」が圧倒的に自分に刺さったので、なぜ本のタイトルを「字のない葉書」にしなかったのか気になって仕方がなかった。

「あ めちゃくちゃいい事を思いついた!作者に手紙を送って聞いてみよ」

そう思いつき、向田邦子さんへ手紙を出すにはどうしたらいいのかを調べるととんでもない事がわかった。向田邦子さんは僕が生まれる前からすでに事故で亡くなっていた。

「ええ~……マジかよ……」かなりガックリきたのを覚えている。向田邦子さんのエッセイの中にはたびたび父親の話が出てくるのだがどうにも自分の父親と被ったり、また犬の話も多くてちょうど犬を飼い始めた自分によく刺さる。そういう話も手紙に書いてみたかったのだ。

もう聞きたい相手がいなくて聞けないのなら、他の作品も読んでなんとか自分なりに解釈するしかない、と残りの本も借りてきて全部読んだ。だけどやっぱりよくわからない。僕の中では「字のない葉書」が相変わらず一番だった。著者はなんで作品のタイトルを「眠る盃」にしたのか。

結局しばらくすると僕も熱が冷めていき、わからないものをわからないまま……肝心なところでいいかげんなのだ自分は。


時が経ち、僕も大人になってKindleで漫画を探しているときにふっとこの眠る盃の事を思い出した。……あるかな、あった。「眠る盃」、購入して久しぶりに読んでみる事にした。

今読むとこのエッセイの「眠る盃」も面白い。著者の気持ちのいい、いい加減さが表現されている。全部読み終わったとき、1PずつめくるKindleだから気付いたのか、当時の僕が気づけなかったのかわからないが向田邦子さんがあとがきで本のタイトルにふれていた。

怠惰な上、もの書きとして食っていけている事自体も間違いのようで、眠る盃の内容などいろいろそういうのも含めて自分らしい題だとおっしゃっていた。畏れ多いが自分がタイトルに固執した割にはすぐにあきらめたいい加減さや、なんとなく正解なのかわからないままイラストを描いて生活している自分と被って狐につままれたようで……でもなんだか心地よかった。

中学生の時にこのあとがきに気づかなかったのはとても幸運だった。

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