空気を重視する=言語化していない=自分の頭で考えない


考えさせられる記事を読んだので、感想や思ったことを書きます。

安宅和人さんのブログで最近更新されたエントリー。

情報科学者の安宅(あたか)さんは『シン・ニホン』や『イシューからはじめよ』などの著書でも有名です。

このブログ記事の内容はタイトルの通り、日本ではファクトやデータ、論理的なことより「空気」を重視する文化であるということ。

よく聞く話ではありますが、この記事ではまさにファクト(事実)として、コロナ禍でのマスクの付け方や子宮頸がんワクチンの接種率などのデータとともに、まさに「論理的に」紹介されています。

仕事で外国に行く機会の多い安宅さんによると、今でも国民の大半がマスクをつけて生活している国は日本くらいで、先日オランダから日本に帰ってきたときに人々の様子がまるで違う(オランダはもうマスクしてない)ことに愕然としたそうです。

記事は、「空気に飲み込まれたくない中学生、高校生のみなさんへ」というメッセージで締めくくられている。

長めな(4,000文字くらい)ブログですが、とても考えさせられるブログでした。

空気を重視する文化について

なぜ日本は(日本人は)それほどまでに空気を重視するのか?

ぼくには仮説があります。それは
「言語化するのが苦手な人が多いから」だと思うのです。

空気を読むとか、空気読めないとか、あうんの呼吸とか。
とかく大事にされがちな空気。

「空気」とは、言葉にはできない(しない)けど感じていること。

日本では「言語化するのはヤボ」くらいに思われている時代が長く
そういう「空気で察せよ文化」みたいなのが発展したように思います。

それがうまく機能した時代もあったのでしょう。戦時中とか高度経済成長期の工場労働とかは、「言わなくても通じる能力」があることは、意思疎通において、とても効率がよかったでしょう。

でも、今はそうではない。「言わなくても感じ取るスキル」の意味自体が薄れ、代わりに「言語化するのが苦手な人」というデメリットに変わってしまった。

若い世代では変わりつつあると思うけど、いまだに言語化しなくていい文化が根強い人たちが社会を占めているような気がします。

積極的に言語化していく人と、しない人。

そういう分野でも、この国で分断が起こらないことを望んでいます。

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