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日本のロックバンドの表現って。【Who am I (三宅正一さん対談) part.1】

俺がどういう人間か。
伝わってるようで、伝わってない部分も沢山あると思う。
・ただ、一人で話していても伝わりづらいことが沢山ある。
・どうせなら、自分の知らない部分も引き出してくれる人がいい。
ということで、今回から大好きなライターの一人でもある、三宅正一氏をホストに迎えて、進めていくことにした。2人の会話を盗み聞きしてる感じで楽しんでいってや。

・イントロデュース

三宅「岩渕くんの声明文は僕もさっき読ませてもらって、あれはあれでnoteに上がってると思うんで、あれを踏まえてって感じで話していきましょうか。」

岩渕「やっぱり僕も噛み砕いて書いたつもりなんですけど、ああいうことが、なかなか伝わんないというか、いまいち接点を模索してる感じで。どうやったら自分たちの音楽聴いてる人に伝わるのかなということを、僕も考えてる途中だから、こうやって話しながらガイドラインが作れたらいいと思います。でも、こうやって三宅さんと話すのも3,4回目くらいですもんね。」

三宅「取材も一回もしたことないんで。なのに話してるのがいいなって思うんですけど。あれ読んですごい真面目なんだなって思ったというか、結局長くなっちゃう人なんだなって思ったね(笑)」

岩渕「でもあれも、しかも一回めっちゃ長くなったのを削ったし、小難しくなりすぎたのを喋り言葉にしたりしてますからね。」

三宅「いやあでも丁寧だなと思って。いつもMCとかもこういう感じなの?」

岩渕「いやMCは全然違いますね。てか、真面目にやっちゃうのが嫌で。ライブだとずっとハイでいるってことをしたくて、あんま真面目になったり、冷静になる瞬間をあまり作りたくないんですよね。だから、あんま決めてかずに、準備はするけど直前はあんまり決めてかずにいくみたいな。真面目に不真面目をやるってのテーマにライブやってますね。」

三宅「でも、岩渕くんがこのnoteを使おうと思ったのは、自分のバックグラウンドや、好きな音楽とか映画とか、自分が何に刺激を受けて、日々どんなことを考えているかってことが、いまいち伝わりづらいってとこから始まってると思うんすけど。やっぱ、なかなかそういうのを伝えるのは難しいなっていう印象なんすかね?」

岩渕「そうっすね。時々自分の好きなものとか発信しても、なかなかそれがじゃあ何でいいのかってこととか、何で自分がそういうことを聴いてるのか、見てるのかってことが、やっぱ伝わってないなって思う。ある程度自分のパーソナルなとこを分かった上で、自分らの音楽聴いたら捉え方も変わると思うし、そこが勿体無いなって思ってるところがあって。自分のことってあんまり話してなかったなと思うんすよね。」

三宅「じゃあ、何考えてるかっていうコアな部分までは、表明できてなかったって感じがするってことか。」

・向井秀徳さんという存在

三宅「でも、岩渕くん自身も、1リスナーとして、そういうアティチュードとかイデオロギーみたいなものを発信している人の方が惹かれるみたいなとこもあるんすか?」

岩渕「僕、向井秀徳さんに憧れて音楽始めたんすけど、向井さんも育ってきたバックボーンがあるから、あの歌詞が映えてくるというか。佐賀から福岡に出てきて、でも福岡の中でも寂れた界隈に住んでて、みたいなところを知ってるからすごいグッとくるとこもあるなと思ってて。なんか僕向井さんを、西野カナさんを聴いてる人がこういう感じで、西野カナさんを聴いてんじゃないかなって感じで聴いてんすよね。」

三宅「全然わかんないんだけど(笑) もうちょい咀嚼するとどういう感じなの?」

岩渕「例えば、『どっか寂れた地方都市でポテトサラダ食べたい』って歌詞聴いてキュンとするんすよね。あ、そう!私の思ってること言ってくれてる!みたいな(笑) 代弁してくれてるし、ちょっと些細な歌詞でもすげえあるあるって思うんすよね。僕向井さんすげえ人だと思うし、憧れてるけど、変な人だと思わないんすよ。」

三宅「うんうん!わかるわかる。むしろちょーまともっていうかね。誰よりもまともなんじゃないかっていう。」

・日本のギターロックの表現について

三宅「俺最近ずっとそうだ。こないだもインタビューでこの話したんだけど。日本のギターロックで歌われてることとか歌詞の内容とかメッセージ性みたいなものって、この20年くらいほとんど変わってないというか、すごい大掴みに言うと、みんな同じこと歌ってんなって思うんすよ。要は「生きろ」ってことというか。人生の苦しみとか苦悩みたいなことをタフに全部受け入れて生きなさい的な。でもそれって、育まれた文化だから全然いいと思うんすけど、そうなってくるとどういう人がどういう風に歌ってるかの方が重要になってくるなって思ってて。で、結局本質的には(ロックバンドも)、ラッパーにどんどん近くなってくると思うんすよ。言ってることは変わんないけど、セルフボーストみたいに、自分がどういう人間かってことに重きがあるんじゃないかって思うんすよ。」

岩渕「それすっげー分かりますわ。ていうか、一個確立されちゃった柱があるから、もうその手法しか残ってないっていうか。昔は、自分がこうやって苦節頑張ってきたから、みんなはめげずに頑張ってくださいっていう苦しみの果てに出てきた表現だったと思うけど、今はそれが苦しみの部分全部カットして、手法だけが残っているイメージはありますね。

三宅「でもそれって需要があるから残る表現だと思うんすよね。特に中高生みたいな若いリスナーがジャストにグッとくる歌詞とかってそういうもんなんだと思うし、そこに需要があるからそういうギターロック文体がずっと残ってきてると思うんだけど。だから、差別化するのってすげえ大変だろうなって側から見てたらすげえ思う。」

岩渕「だから、僕が日本語ラップ聴くのも、歌ってる人がなぜそこにいて、自分たちがどういう生まれで、ってことから全て出発してる表現だからってのがあるんすよね。ラップって、自分が生まれてその表現にいくところまでに一本幹があるじゃないすか。」

三宅「 まず、(ラップって)結構地元の話から始まるもんね。それこそ、BAD HOPだったら川崎から始まって、KOHHさんだったら王子の団地の話から始まるとか。」

岩渕「ここにいて、ここがしょうもないから出てきたんだよっていう話から始まるじゃないですか。」

三宅「確かにね。バンドって地元みたいなものあんまりフィーチャーしないよね。でも向井さんとかめっちゃ感じるもんね。あとくるりとかもすごい京都の感じ感じるじゃないですか。やっぱ、そういう人たちある世代までいたと思うんすよ。」

岩渕「くるりって、京都の大学生ってアイデンティティがすごい出てるから、どんだけ捻くれてても、京都の大学生の感じがするんですよねー。それが絶対的なバックボーンとしてある感じがいいなと思ってて。」

三宅「ヒップホップで言うところのhoodってやつね。土着性というか地元感みたいなもの。岩渕くんもじゃあそういうことが、自分たちの音楽や表明してることで出せたらいいなって思ってるってことね。」


とまあ、今回はここまで。なぜ向井秀徳さんを、ヒップホップを好きなのかって話から、日本のロックバンドの表現について。正一さんの、「日本のロックバンドは大掴みに言うとずっと同じことを歌ってる」ってのは、まさに俺も思ってた問題提起でした。なんで、こんなにもみんな同じ服着て、みんな同じようなこと歌っちゃってるんだろうってことは、自戒も含めよく思うわけです。Base Ball Bear小出さんが始めたプロジェクト、マテリアルクラブの「00文法」まさしくそう言うこと歌ってて、とても染みるので是非聴いてみて。正一さんの念頭にもこれがあったと思うんだけど。

じゃあ、俺はどこから来て、パノラマパナマタウンはどこから来たのか。何レペゼンなのかってことを、次回から語っていきたいと思います。どこにも話してない、子どもの頃の話や、表現をすることになった経緯を語ってるのでお楽しみに。

最後に、今回のタイトルにもしているSnoop Doggの「Who Am I (What's My Name)?」という大好きな曲を貼っておきます。まさに、正一さんが途中で言ってるセルフボーストの手法が使われてる曲です。ひたすら俺がヤバいってあの手この手で言い続ける曲。サビで自分の名前しか言わない曲なんて、確かに日本のロックバンドじゃなかなかないと思うけど、それがただただかっこいいんです。


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