パノラマパナマタウンからドラムの夢希が脱退します。

パノラマパナマタウンからドラムの夢希が脱退します。

6年前、大学のキャンパスの隅っこで、堪えきれない程のニヤニヤを浮かべた夢希に「バンドやろうや」って誘われて、パノラマパナマタウンは始まった。
そこから6年経った渋谷のカフェで、夢希から「脱退しようと思ってる」と切り出されるまで。

この中には、どんな文章でも語り尽くせないものが詰まっている。


物事を前に進める力を持ってる奴だ。

結成から半年経っての西日本ツアー、夢希は広島福岡のライブハウスに片っ端からバンドをブッキングした。
ツアーをやろうと言い出したのも彼だったし、広島と福岡が選出された理由は夢希と俺の地元だったからだ。
青春18切符で、鈍行に乗り、エフェクターボードを網棚に乗せ、無茶苦茶な旅をした。
結局、広島のライブハウスは全部断られ(プランが甘かった)、山口県岩国にてライブをすることになったけど、それでも、夢希に連れられ4人で広島を観光した。
広島にて、宮島を歩き回った時、お好み焼き屋に入った時、故郷を紹介する時の彼はとても誇らしげだった。

他のメンバーが気づかない間に、
事務所のオーディションにバンドを応募していた。
「MASH a&r」なんて事務所、当時は知らなかったんだけど、夢希に何度も説明されたのを覚えている。
最初は「へぇ」と思っていたくらいだったが、オーディション通過したとの連絡が来る度に、メンバーは「夢希ありがとう!」と口を揃えた。

事務所に入る直前、バンド主催のフェスをやろうと言い出したのも彼だ。
結成して、2年も経ってなかったけど、
2015年、太陽と虎とスタークラブの2会場で無茶苦茶なフェスをやった。
夢希の勢いに押され、俺らは2つのライブハウスの往来を「フェス」と言い張った。
チケットは1000円。会場は寿司詰め、満員御礼。沢山の仲間ができた。
そうして生まれた「パナフェス」も、もう4回開催している。

暫く経ち、上京して4人で一軒家に暮らし始めた頃。
ある日、夢希は台所に何やら得体の知れない機械を持ってきた。
フライヤーといい、どんなものでも揚げられるのだと言う。
当時、本当に金が無かった俺たちは、夢希のフライヤーで色んなものを揚げた。
味はサイテーだったが、「フライヤー」はエジソン以来の大発明だと思った。

夢希がいなかったら、存在しないものは沢山ある。このバンドそのものもそうだ。
彼は、考えられないほど、道に詳しかった。(一度行った街なら全てのマップが頭に入っていた)
けれど、それはバンドを進める上でもそうで、新しいことを始めようと彼が言い、
残りの3人が戸惑いの中にある時、ずっと輝きながら前を見据えていた。
思えば、6年間、夢希の目は輝き続けていた。


夢希が嫌になった時も、正直沢山ある。

俺らが入ってた軽音楽部は、とても厳しくて、
自分たちがライブをする機材を自分たちで設営するのだが、
夢希は全然真面目に取り組まずに、皆が働いてる中、
部活の機材を乗せるための車に乗り込んで移動したりしていた。
注意されても、その度に破茶滅茶なことを言って開き直ってたけど、
言い返す夢希にも、何故か説得力があった。

スタジオよりも先に、バイトや個人の予定を次から次へと入れるので、
バンドの予定がなかなか組めず、迷惑した。
スターバックスでコーヒーを作ることがそんなに大事かと怒ったこともある。

ライブ準備そっちのけで寝ているのに、忘れ物をしたとリハ直前で言い出した
代官山UNITワンマン。
ライブ終わりに「夢希さすがにさぁ」と、怒りが爆発する。
打ち上げで、乾杯そっちのけで4人で話していたので、
周りのスタッフからは「解散するんじゃないかと思った」と後から言われた。

たまに、夢希が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のビフに見える瞬間があった。
もしくは、クッパの子分の「コクッパ」
ある時期の夢希は「コクッパ」に本当に似ていると、バンドの中で話題になった。


どうしようもなく腹が立ったことは何度もあったけど、
そうした態度と共に、メンバーに対して、常に素直でいい奴だった。
物凄く腹が立つことはあっても、その怒りがずっと続くことはなく、
次に音を合わせる時には忘れていることもあった。

夢希に腹立つことってのは、反面、夢希が羨ましいことでもあった。
自分が見てるビジョンに対して、勝手気ままに行動して、
多少何かが欠落していようとも、気にせず前に進む彼の姿ってのは、
時に、羨ましく映った。
それは、7年間の彼との付き合いで気づいた本心だ。

俺ならば、その手前で逡巡するようなことでも、夢希ならば臆せず飛び込む。
時に怠惰で、ルーズだし、時に周りのことが何も見えなくなるけど、
時になりふり構わず前に進む。
そこが、彼のかけがえのない魅力だ。


話を戻す。

LIQUIDROOM終わりの、渋谷のカフェ。
夢希から辞めようと思ってるって話を受けた。
正直な話、その前からズレを感じることが沢山あり、驚きはしなかったけど、
それにしても突然すぎるし、なぜこのタイミングなんだと、腹が立った。

理由は「音楽とは別のものに目を向けたくなったから」だと言う。
夢希のことだから、本当にやりたいことなんだろう。
感情とは裏腹に、タイミングも、理由も、とても夢希らしいと思った。

結局俺たちは、夢希が脱退して、バンドを3人で続けていく道を選んだ。
お互いの人生を考えると、素直にこれが一番いい道だと思えたからだ。

「やりたいことやろうぜ」ってずっと歌ってきたし、
自分たちにも言い聞かせてきた。
けれど、いざやりたいことやろうと進んでいく仲間の背中を見るのは、
正直とても寂しい。
もはや、怒りなのか悲しみなのかよく分からない、
味わったことのない喪失感がある。発表した今でもある。

受け入れるのに時間がかかる、ファンの人も勿論いると思う。
どれだけの時間をかけても、納得できないことも当然あると思う。
ただ、俺たちは、これからのパノラマパナマタウンが最高だと思えるように、
精一杯やるだけだ。
何だ、3人でも超カッコいいじゃんって思ってもらえるように、やるだけだ。
道を選ぶってのはそういうことだと思ってる。

やりたいことをやり続けるのには、色んな対価があること、
正直、俺は何にも分かっちゃいなかった。
声が出なくなって、メンバーが一人抜けても、
パノラマパナマタウンは続いていきます。

曲を作り、ライブをし、前に進んでいく。
3人で、復帰に向けた精一杯の準備をする。
これからもどうか、よろしくお願いします。



ふと、ライブ中後ろを振り返った時、がむしゃらにドラムを叩いている彼の姿が好きだった。
夢希、語り尽くせない思い出と共に、今までありがとう。


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