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「斜陽」太宰治~没落の美しさ~

 今回、太宰治の小説「斜陽」について書きたいと思います。この作品は、太宰治38歳の時、玉川上水に入水自殺する丁度一年前の、昭和22年6月に完成された、太宰治の集大成といえる作品です。ちなみに、翌年の昭和23年には「人間失格」を執筆しています。

 戦後すぐの、ある上流階級の母娘弟と画家の4人、それぞれの没落の生きざまを描いています。

※実際に書いてみようとなると何を書いていいかわからぬ、やる気の出ないレポートの如く、文字数を稼ぐための文のようになってしまいました。だいじなことは最後に全部書きました笑

〇私の「太宰治」のイメージ

 太宰治と言えば、実は作品をあまり読んだことがないのであまり詳しくはありません。太宰治が優れた作家で、現代でなお読まれる素晴らしい作品を生み出した事実は知っています。文豪中の文豪で、文学に命を懸けた作家だという印象を持っていました。

 一方、東京で学生していた時に荒れた生活をしていたらしいことや、数度の心中未遂事件、そして入水自殺薬物中毒。とてもハッピーな人生を送ったとは思えないという印象です。

 また、川端康成は芥川賞審査員の時太宰と彼の作品について、「私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった。」などど評しました。

 しかしながら、「文学に命を懸けた」印象から、悪い人なんだという気はしていません。むしろ、「名誉の戦死」に似たものを感じてしまいます。彼が自殺するほど何かに思い悩まなければ名作は生まれなかったのではなどと勝手に思っていました。

「文学に命を燃やした」とでも言いましょうか。そんなイメージです。

〇作者「太宰治」について

 この本を読むにあたって、太宰治の生い立ちについて少し調べてみました。これが、斜陽を読むに際して大切なことだったのではと今では思います。また、上記のような私が抱いていたイメージは生い立ちから来たものなのだと思いました。

 太宰治は明治42年に青森県津軽郡金木村で生まれました。生家の津島家は大地主、そこの六男坊として育ちました。父は家業に忙しく、叔母や伯母や子守によって育てられたそうです。これらが太宰治の生涯と文学に大きな影響を与えています。

・津軽半島生まれ

 津軽半島は昔から僻地と呼ばれ、雪深く、時折凶作にも見舞われる厳しい土地でした。しかしそれだけに、忍耐強さ、反骨心、バイタリティが育まれました。また、長い冬、炉端で語る津軽ごたくの身振り手振りを含んで相手に語り掛ける独特の話体や笑い、ユーモアは太宰治文学の大きな特徴となっているようです。

・大地主

 太宰の生家は大地主であり、特別扱いされたことから、他の人々とは違う境遇にあることには早くから気づき、貴族意識を持ったことと思います。しかし、津島家が農民に金を貸し、抵当とした土地を取り上げて大地主、大金持ちになったこと、彼の周囲の貧農や友人の家から搾取することで成り立っていることを知りました。悩みはじめ、大地主の子であることに後ろめたさを感じ始めました

・六男坊

 日本の家系制度により、長男はあととりとして重んじられるが、六男坊は居ても居なくてもいいという具合の存在だったため、太宰は父母の愛を知らず、先に書いたように子守などにむしろ親しみました。そのような環境が反逆意識を育み、長兄たちのようにまじめで礼儀正しく「偽善的」に生きることを拒否し、自分の信じる主観的真実の道を生きることを決意しました。

〇「斜陽」という言葉から

 「斜陽」そのものは好きです。西に傾く太陽が、見る人の顔を赤に染めるほどの美しい光を放ち、しかし細くなっていく様子。やがて暗闇になってしまいますが、その鮮やかな終焉といった具合の日没が、まるで全てをやりきったかのようなきっぱりと潔いものを感じさせるような気がします。

 本小説「斜陽」のかず子の一家のような貴族は、元々は燦燦と輝く太陽のように、何の不安もなく明るい生活を送っていたことでしょう。しかし、おごれるものも久しからず、お金は無くなり、没落していきます。

 かず子とお母さまは没落を受け入れます。

 かず子の家族は収入がありませんが、生活水準を落とすことなく貯金を切り崩して静かに暮らしています。いよいよ金が尽きたとき、お母さまはかず子に、嫁入り先を探すか、奉公に出るかどちらかにしなさいと言います。そこで、お母さまとこのまま暮らしたいかず子と、今後のかず子の生活を考えたお母さまは言い合いになります。

「貧乏になって、お金が無くなったら、私たちの着物を売ったらいいじゃないの。このお家も、売ってしまったら、いいじゃないの。私には、何だってできるわよ。この村の役場の女事務員にだって何にだってなれるわよ。役場で使って下さらなかったら、ヨイトマケにだってなれるわよ。貧乏なんて、なんでもない。……」
「私は、生れてはじめて、和田の叔父さまのお言いつけに、そむいた。……お母さまはね、いま、叔父さまに御返事のお手紙を書いたの。私の子どもたちの事は、私におまかせ下さい、と書いたの。かず子、着物を売りましょうよ。二人の着物をどんどん売って、思い切りむだ遣いをして、ぜいたくな暮しをしましょうよ。私はもう、あなたに、畑仕事などさせたくない。高いお野菜を買ったって、いいじゃないの。あんなに毎日の畑仕事、あなたには無理です。」

 お母さまは、このままぜいたくに暮らしていくことを覚悟し、没落を受け入れたように思います。直治にほんものの貴族と称されただけあります。

 その後、戦地に赴き、アヘン中毒だった直治が帰ってきます。しかし直治は東京で上原さんなどと毎日飲み歩き、不在がちです。画家を称する上原さんと毎晩のように飲み歩き、荒れた生活をします。

 かず子は、直治の借金がらみでもともと上原さんとは面識がありました。上原さんを「札つきの不良」と称し、かず子自らも「札つきの不良」になりたいと言います。上原さんの子を産みたいと宣い、再度あってもらえないかと執拗に手紙を送るなどします。

 そんな中、お母さまは肺病にかかって亡くなってしまいます。

 かず子は決意します。

「戦闘、開始。いつまでも、悲しみに沈んでもおられなかった。私には、是非とも、戦いをとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。ローザが新しい経済学にたよらなければ生きておられなかったように、私はいま、恋一つにすがらなければ、生きて行けないのだ。」

 こうして、かず子は直治が自宅にいる時を見計らって東京へ向かい、上原さんと再会します。上原さんとその仲間たちと酒を飲みます。

「死ぬ気で飲んでいるんだ。生きているのが、悲しくて仕様がないんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものでなくて、悲しいんだ。陰気くさい、嘆きのため息が四方の壁から聞こえている時、自分たちだけの幸福なんてある筈は無いじゃないか。自分の幸福も光栄も、生きているうちには決して無いとわかった時、ひとは、どんな気持ちになるものかね。努力。そんなものは、ただ、飢餓の野獣の餌食になるだけだ。みじめな人が多すぎるよ。キザかね。」 

 上原さんとその仲間たちは、生きている幸福を感ぜずとも、そのまま悲しみを感じながら生き続けています。明るい時代があったであろうかず子やお母さまとは違い、大きな暗さを持っているように感じます。そんな中で生きていく上原さんには、かず子とはまた違った強さがあるように思います。自殺などせず、このまま生き延びていくのでしょう。

 その頃、直治は遺書を残し自殺してしまいます。

「いったい、僕たちに罪があるのでしょうか。貴族に生れたのは、僕たちの罪でしょうか。ただ、その家に生れただけに、僕たちは、永遠に、たとえばユダの身内の者みたいに、恐縮し、謝罪し、はにかんで生きていなければならない。」

 直治は貴族であったことを罪のように感じ、上原さんたちと打ち解けようと、グレた態度を取ります。しかし、やはりそれはできず、できないと悟り、自殺してしまうのです。

 没落、貧乏になることを受け入れ、覚悟を決めるかず子、最後まで貴族のままでいるお母さま、暗さ漂う中生き続ける上原さん、自己に大きな苦悩を抱え、自殺してしまう直治。それぞれに「斜陽」の美しさを感じます。

〇終わりに 

 登場する彼らは、苦悩を抱きながらも、現状のすべてを受け入れながら、今を必死に生きてきたと感じます。このような各々の苦悩の中生き続けるには、大きな強さ、生きていく力が必要だと思います。ここに私は美しさを感じました。

 何故苦悩があることが美しく思えるのでしょうか。おそらく、私自身がさほど自分をみつめ、もがくような苦悩を感じたことがないからだと思います。自分について、生きていくことについて、人間関係について、社会について、見つめ、深く考えることを私はしたことがありません。

 恵まれた日本、普通の家庭に育った私は、生きていくことに疑問を抱いたことはありません。ぼけーっとして何も考えずとも、言われたままに学校に行き、宿題をやり、部活をやれば、言われたまま与えられた環境でできる努力をすれば、いつかは社会人として生きていくことができる環境にいたと思います。

 しかし、自分について、生きていくことについて考える作業は、自分の人生において、生きていく何か本質的なものにおいて、最も重要なことの一つなのではないかと考えるようになりました。

 そういう作業をしないと、誠につまらぬ、行き当たりばったり、自分が何のために生きてきたのかもわからずに、最後には「せっかくの人生なにもしていない」というような絶望の中で生涯を終えるのではないかという恐怖があります。斜陽でも何でもない、もとから存在していなかったような、いつどのように生きていたのか、自分のなかにも外にも軌跡がないに等しい、本当に恐ろしい状態になるのではないかと漠然と恐怖しています。

 特に悩みのない人生、漠然と生きている人生が怖いです。だからなおさら、彼らの苦悩しながら今を生きている強さが美しく見えるのだと思います。


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