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シュレディンガーはたぶん猫。[第9話]

第9話

 
第二章
「童貞、初めての昆虫観察と男女の生態の観察をするの巻」
 
 
 騒動から一夜明けた、本日。放課後、俺たちは誰もいない二組の教室の片隅で、作戦会議のようなものを開いている。

 会議の始まりは、人間が地球のことをシュレに訊かれて分かることを答えたり、こっちからも宇宙のことを軽く訊いたり、という、少しユルめの形式から始まった。俺も片山もそんなに頭がいい人間ではないし、シュレも説明できない&地球の言語には翻訳できない単語や概念があるとかで、お互い答えられなかったり分からなかったりもしたが。

 あと、話し始めから数分後のタイミングで突然、例の変異が起こってしまい、片山の頬から俺の右手の指が三本ほどぐにょぐにょぐにょ~っと生えてきたりした。なので、しばし突然の対消滅作業に追われることになってしまった。心臓に悪い。

 そんな感じで場が温まった後。俺はついに、シュレに申し出ることにした。昆虫観察について、本格的に頼みたくて。

「なぁ、シュレ。お前、今後は他にも虫が繁殖してないか確かめる予定、つってたよな?」

 昨日、別れ際にシュレが言っていたことを、俺は確認する。

『そうだが……急にどうした?ミヤモト』
「俺さ。それに同行したい。そんで、あの虫の観察をしたいと思うんだけど、いいか?」

 突然話題が変わったからか、シュレから大きく疑問の気配が伝わってくる。それを悟りつつも、俺は強く要求した。

「だっ、駄目だ!!」

 しかしシュレがそれに何か答える前に、横から「断固禁止だ!!」と言わんばかりの強い声が飛んできた。片山だ。

「何だよ、片山。俺はシュレに訊いてんだろ。何でお前が答えてんだよ」
「だって……危ないだろうが……」

 俺の文句に、片山はゴネた声になる。

「虫のことはしっかり調べておきたい。そりゃ危険だろうけど、片山にだって、必要なことだって分かるだろ」
「分かる、けどっ……」

 片山の中では、先日のあの人ひとり消えた事件が、かなり強いトラウマになってしまったらしい。もし俺までもが消えたら、と想像してしまったのだろう。少し大げさと思うが。

「離れて見て観察するだけだぞ。そもそも、虫のことしっかり分かってないと、俺たちも今後の対応手伝えねぇだろ」

 シュレの母集団への帰還を助ける代わりに、人間に有害な宇宙産の虫を発見したら、確実に全部シュレに捕獲して処理してもらう。昨日、そういう約束を、俺たちふたりと一匹?は交わしたのだ。アイスを食べている間に。

「それは、そうかもしんねぇけどよ……」

 ブツブツと文句を口ごもる片山。どうやら「心配だから調べた方がいいのかも」という認識自体は、ないこともないらしい。なので、俺はこのままの勢いで説得することに決めた。

「シュレがいる時にしか虫を追わない。それなら全然危なくないだろ」

 片山はまだ不安そうだが、それでも力で強引に押し切ろうと、意識的に口調を強くする。

 実のところ、初めての「昆虫?観察チャンス」を逃がしたくない一心だった。地球の虫は俺のしつこさにもたないかもしれないが、宇宙産の虫であれば、少しは何とかなるかもしれない――その強過ぎる欲望が、俺を突き動かす。

「だ、だったら、シュレ。俺にもあの虫の捕まえ方とか、殺し方を教えろ。そしたら安全だろが」

 このままでは俺を説得できないと理解したようで、安心安全を求めた片山は、シュレの方に助けを求める。

『捕まえ方か殺し方、か。人間には厳しいと思うが?』

 申し入れに、シュレは難色を示す。確かに、あんなに素早く、ものの二秒足らずで相手を分解するという虫相手に、ただの人間ができることは少ないに違いない。
 が、そこでシュレはあることに気が付いたようだった。

『……いや。そうか、吾輩が混じっているのなら、あるいは』
「何かあるのかよ、方法が!」

 思わず前のめりになる片山。しかし、シュレはどうにもその案には気が進まなそうだ。

『先日、吾輩の不注意で、たまたまコンビニ前を歩いていたお前たちを避けようとせずにすり抜けてしまった。そのせいで吾輩とカタヤマとミヤモトの素粒子構成が変に混ざってしまった。そのために現在、お前たち人間には、予測不能な変異が出てしまっている。それはもう理解しているな?そしてお前たちはこの変異を消したいと考えている。そうだな?』

 改めて、というようにシュレは確認してくる。念を押すような口調で。

「うん」
「ああ、そうだな」

 俺たちも、「もうそれは分かってるし、異形も完全に消したい」と大きく頷く。何しろついさっきも、あまりにも前振り無しの突然の変異過ぎて、びびってテンパってしまった。本当、他に誰も教室にいなくて助かったぜ……。

 シュレも「そうだ、さっきも体験したことだから、分かっているだろう?」とばかりに頷いてみせる。

『ただ。逆に、お前たちに混じる吾輩の素粒子量を、意識的に増大させるとするなら。吾輩の虫を捕獲し消す能力が、お前たちにも多少は使えるようになる、かもしれん』

 そうして、思いもよらなかった情報を俺たちに公開した。

「俺たちにも、使える……?」

 あの虫を捕まえる瞬間のシュレを、昨日俺たちは確かにこの目で見たはずだが、人間の目にはあまりにも動きが素早過ぎて「一体どう捕まえたのか」は、全然分からなかった。

 もしもっとたくさん「混じる」なら、人間の俺たちにもあれに近い動きが可能になる、とでもいうのか。

『かもしれん、だ。確実性は担保できない。その上、変異はずっと大きく重く進むぞ。今までの比ではない勢いで、急速に異形化が進む可能性がある』

 が、当然、メリットだけではないらしい。デメリットがある。それも、かなり重めの。

 ほんの十数分前、またしても初日同様の大騒ぎをしてしまったわけで、「あれより大きな変異こそが代償だ」と言われると、どうしたものか困ってしまう。

『変異を消したかったからこそ、吾輩と約束をしたんだろう?なのに、逆に増やすのか?お前たちにも、さすがにそこまで、人間を辞める覚悟まではなかろうて』

 だーよーなー。あんまりにもデメリットがでかすぎて、ちょっとなぁ。無理だわー。などと、俺も考える。

 だが、片山は違った。ひどく真面目な表情でシュレの顔部分を見返して答えた。

「俺なら。俺なら、人間なんて簡単に辞められる」
「おい、片山」
「もし宮本に三沢と同じことが起こるなら、また何もできない方が、よっぽどきつい……」

 いつの間にか、片山は俺の制服の裾を、皺になる勢いで握りしめていた。あまりにも強く握り過ぎて震えている、その指に気付いてしまった。

「……おい、落ち着けって」

 片山のくせに泣くのかよってくらいに表情を歪めていたので、そんな意外な姿に俺もすっかり正気を戻された。

 やばい。こんなでかくて喧嘩も強い奴なのに、それをここまで思い詰めさせてしまったとは。コイツの中にも「弱い部分」が、実はあるのだ。そうだ、弱い者には優しくだ……。

「悪かった。お前のトラウマ、考えてなかった」

 どうやら自覚しているよりずっと強く、俺の心はあの虫に囚われ過ぎていたらしい。俺は反省した。

「さすがに変異は保留、な。もう少し落ち着いて慎重に考えようや、こういうことは」

 宥めるように、そのガチガチに力が込められた片山の肩を叩いてやる。何度かそうしてやると、ようやく少しずつ、じわりと脱力していった。

「そう、だな……」

 こくりと、頭がただ一度わずかに揺れただけの、小さな頷きが返って来る。納得させられたようで、俺もホッとした。

 片山の脳内に「慎重」という文字はないらしい、と俺は知った。つくづく危険な奴だと思う。一度覚悟を決めると、アクセルを踏むことに全くためらいがないようだ。

 つまり、ブレーキは俺の役割か。そもそも、アクセルを「絶対に踏まない方がいい」人間だとも自覚しているが。

 決して自分の本性を忘れてはいけない……。
 隣の男がいつかの蝉のようになるのを、見たくはない。

 気を付けろ。いつも俺の「執着」は、暴力そのものなのだから。どんな時でも忘れるな。

 自分はともかく、せめて他人は巻き込むな。




[つづく]

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