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シュレディンガーはたぶん猫。[第11話]

第11話

 
 「初日の、口の中弄られたやつ。あれは、正直……悪くなかった。驚きはしたけどな」
「え?」

 急に何だよ、と訊き返すと、いやに真剣な目つきで片山が俺を見つめていた。なので、その視線の強さに少しドキッとしてしまう。

「飴。くれただろ」

 飴、とは。
 俺はその時の記憶を意識的に思い出してみる。

「あ、ああ、そういえば。たしか、オレンジのやつ……」

 そうだ。「唾液があるのなら、何か食うのかな」と考えて実験した。たまたま勉強机の上にあった飴を食わせてみた。

「三沢とラーメン屋に向かって歩いていたら、異様に呼吸がしにくくて苦しくなった。それで公園のトイレに行って、手洗い場で口の中すすいだり、鏡で口の中覗き込んだり、色々やってみてた」

 それはきっと、俺が厚みが出る勢いで包帯をぐるぐる巻いていたせいで苦しくなったんだろう。確かに、片山にしてみれば、急に口を塞がれたのと同様の苦しさだったに違いない。

「それから、すぐに三沢が消えちまった。走り回って探したり、絡んできたことがある奴をとっ捕まえて話聞いたり、仲間に連絡したり。でも三沢は全然見つからなかった。続きは明日の朝だって思ってヘトヘトになって帰ったら、今度は口ん中、しつこく弄り倒された。なんか奥まで硬いもん突っ込まれてむせまくったし」

 俺はあさっての方を見る。それはあれだ、ちょうど手が滑ってスプーンを奥まで突っ込むことになった、あの瞬間のことに違いない……よな。

「まるで見えない奴がいるみたいだとか、幽霊に襲われたみたいだとか、頭おかしくなったのかもしんねぇって思ったけど、最後、オレンジの味がした。それで、正直、混乱が少し落ち着いた。頭切り替えて寝て、朝になったらまた三沢を探す、って思って寝た。そしたら、また好き勝手されて起こされるだろ?なんかバカみてぇに弄られるし、触り方も変にエロいし、勃つしで……」
「わ、悪かったって」

 まさか勃たせるまで行ってたとは思わず、さすがに俺はしどろもどろになる。それに一度拗ねたような表情を返してから、片山はひとつ、吐息をついた。

「俺にとっては、三沢のことも口のことも、全部一緒くたに起こってるように感じた。実は同じ奴が犯人かも、って。だから、もしかしたらこの口を弄ってくるやつが本当の犯人じゃねぇのか?って思って、噛んだ」

 なるほど……。確かに俺が片山の立場だったとしても、虫によるミサワ消失事件と、誰かが口を弄ってくる事件、両方を同一犯の犯行と感じるのかもしれない。二種類のオカルトが時間差で襲ってきてた、なんていう事実には辿り着けていなかった可能性がある。

 たまたま、あの場にシュレが出てきてくれたから、そのおかげで俺たちは全部を理解することができたのだ。

「幽霊とか幻とか妄想とか妖怪なら気にせず思いっきり噛んでもいいだろうし、もしリアルな人間がしたことなら、それはそれで噛み傷付けて探して、見つけたら締め上げて吐かせたらいいって思った」

 そういう理由で、俺は半殺しの憂き目に遭った、ということらしかった。俺もちょうどテンパっていたが、片山の方も状況の打開のために必死だった、ということなんだろう。

「飴くれるような奴が最低の犯人じゃなくて、よかった。今はそう思ってる」

 どこかホッとした顔で片山が笑う。まるで「すごくいいものをくれた人」みたいな扱い方だったから、こっちはかえってひどくこそばゆいような気分になってしまった。

「大したもんじゃねぇだろ……。滅茶苦茶安い奴だぞ、あれ」

 二十個入り一袋数百円の飴玉、たったひとつでそこまで大きく言われてしまうと、こっちとしては困ってしまう。

「言っただろ。俺みたいな奴に自分から、しかもタダで何か分けようとしてくれる奴なんていなかったって」

 俺は喧嘩の日、薬屋前でのアイスを食いながらの会話を思い起こす。そういえばそんなことを言っていたな、と。

「一方的に奪ってくる奴。対価を要求してくる奴。俺の周りにそれ以外の奴はいなかった。こっちから何かを要求する前に、俺に無償でものをくれようとする奴なんて、お前だけだ」

 どうやら、飴を食わせた瞬間に「餌付けみたいだな」と感じたその感覚は、間違っていなかったらしい。そしてこの餌付けは、俺が想定していたところよりももっとずっと深い意味で、無駄に成功してしまっていたようだ。

 加えて、アイスまで半分分けている。おかげで、もはや片山の中で、何かが決定的なものになってしまったらしい。

 ――やべえな。これは。完全に懐かれてしまったっぽい。

 あんまりニコニコと好意百二十パーセントくらいの勢いで笑いかけてくるので、俺はあえて視線を外した。

 片山の貞操観念は男女年齢関係なしクソ底辺なのだ。ここまでオープンに「お前が相手でも全然良いんだが?」みたいな視線を送って来られると、さすがに俺も、本格的に自分の身に危機感を覚えてしまうのだった。
 


 そして、また数日が経った。

 例の変異はというと、相変わらず、ちょくちょく俺たちを驚かせて悩ませている。

 今日の午前の英語の授業中、座っている俺の左膝に片山の右耳がニョキッと生えてきたので、思わずズボンの布地の上からその耳たぶを手探りで強めに引っ張ってしまい、休み時間に駆け付けた片山から倍の強さで俺の両耳を引っ張られる憂き目に遭った。モゾモゾしてたからつい気になっただけだろ、両耳四倍返しは正直やりすぎだと思う。

 全身に出るし何が出るかも分からないから、朝・晩、片山の家でふたりして全裸になって目視で確認。変異があったら消すという、不本意な日々が始まってしまった。

 今日も下校後に片山の家に寄って、放課後までに生じた変異を点検・対消滅させること、約十分ほど。さながら人間ツイスターである。

「やっぱ、女の子がいい……」

 これが連日のことになってしまったので、俺の文句も、さすがに止まらなくなる。

 ツイスターゲームなんてもんは、そもそも女の子とやっている時に、たまたまきわどい感じになるのが楽しいものなのだと、俺は信じていたのに……なんで男だよ……。

 それにコイツ、俺に触ったり触られたりするの、妙に楽しそうなんだよな……。それだけ好かれてる、ってことか。いやべつに、だからって、何か極端に変なことをされるわけじゃないんだけど、気持ち的に、なんかさぁ……。

「我慢しろ」

 容赦なく切り捨てられ、仕方なく一通り作業を進める毎日が続く。また次の日も、その次の日も。

 こうして自然と連れ立って登下校する事態になっているのも、思わずぶつぶつとこぼしたくなる原因のひとつだ。連れ立ってる様子を他の奴に見られてザワザワされる、なんてのは、可愛い女の子と歩いている時がよかったよなぁ……。

 俺はここ最近、こっそり影で「猛獣使い」などと呼ばれているらしい。何でか、クラスが違うのに、二組の奴や教師にまで片山への伝言を頼まれもする。片山が妙に懐いているふうだから、だそうだ。

 一緒にいる時間数は確実に増えているので、まぁ、客観的に見ると、トモダチなんだろうな……。今じゃ教科書の貸し借りなんかもするしな。

 ずいぶんとなし崩し的ではあるが、いつの間にか「片山と一番仲が良さそうな人」になってしまった。

 まぁ、片山自身のことは、ちょっと行く末が心配な奴ではあるので、何も知らなかった時に比べると比較的トモダチをやれそうだと、今は思っているが。……ギリギリだけどな。

 ……で、俺たちはそんな感じに日々を送っているわけだが。

 シュレはというと、虫の捕獲と同時進行で帰還のための準備を着々と進めているようだ。既に仲間、「ご主人」たる母集団に向かって救難信号を発しているらしい。気が付いてくれたら回収してくれるはずだ、と言うので、母集団への帰還については、現状、俺たちがやるべきことは何もないようだ。

 むしろ救難信号が届いた後の、帰る際にどう算段を付けるか。そこに俺たちの協力がいると要求された。迎えが来た際の相手の誘導とか、シュレたちが持つアーカイブでは足りていないこの星の正確な位置、座標など……要するに地球や日本、地域一帯の地図とか、そういう情報が必要だという。

 そして、「箱」。

『前に言っていた「箱」のことなんだがな。この国にいい感じの候補地がいくつかあるようだ』

 ある雨の日、とても嬉しそうにシュレが言ってきた。

 既に季節は梅雨時である。シトシトと降る雨の音を聞きながら「ついに片山の自宅にダラダラ何時間も入り浸るところまで来てしまったのか……」とアンニュイな気分で片山の自宅のアパートの窓から外を見ていた俺だが、いやに明るいトーンで語られて、そちらに視線を移した。

 目の前に示された俺のスマホの画面。「日本国内の加速器関連施設」と題名がついたリストがそこにあった。

『素粒子の研究をしている場所なら、我が素粒子体を安定させられる「箱」もきっとその辺りにあるはずだろう?迎えが来る前にそこで調整すれば、乱れた体調も整えられ、母集団との合流もスムーズに進むだろうしな。お前たちにやらかしたような、人間への接触事故を、無駄に引き起こさずに済む』

 シュレの素粒子が与える影響で、現在、俺たちの肉体は大いにおかしくなっているわけだが。俺たち人間の素粒子が混ざったシュレの方も、素粒子体の内部構造にそれなりの影響があるようだ。母集団に俺たちの影響が極端に波及しないように、合流前にしっかり「箱」に籠って一度体調?を整えておく必要があるという。

『というわけで吾輩、今度順番に忍び込んで、どこが一番居心地がいいものか、内見しに行ってみようと思う』
「内見って、お前な……。家探してるみたいな言い方すんな」

 シュレにとって、「箱」はとても安心できる場らしい。奴はことあるごとにずっと「主人の箱に帰りたい」と言っている。

 この場合の「箱」は俺たちが想像する一般的な箱とは微妙に概念が違っているようで、むしろシュレが例の虫を閉じ込めるあの虫かご的な立方体のような、そういう安定的に密閉された機能の「箱」が望ましいらしい。シュレほどの大きさの素粒子体を安定的に保持できる機能があるもの、などと言っていた。

 が、それが具体的にどんなものなのか、果たして俺たちでも気軽に用意できるものなのか、俺と片山の足りない脳みそに理解できるわけがなかった。

 というわけで、そこはシュレ自身に調べてもらうしかない。

 なので、学校のパソコン室を教えたし、たまに俺のスマホも貸し与えている。俺ら自体がそんな高次元な情報を与えることはできないわけだが、そういう膨大な情報がある場所はどこなのかと言えば、俺ら程度でもとっくに知っている。インターネットだ。シュレはそうやって、さっきの「加速器のリスト」のような様々なデータを入手しているのだった。

 授業中など、俺たちが学校にいる時間帯にしれっとパソコン室を訪れて、例のポルターガイスト的なあのやり方でもろもろ検索しまくっているらしい。そうして、何も知らない罪なき他の生徒たちを、日々無駄に怯えさせているようだ。

 誰も前に座っていないはずのパソコンなのに、何でかひとりでに電源が入る。教師が確認しても決して故障はしていないし、クラスの人数に合わせて数十台あるパソコンだが、起動する機体もランダムだ。

 しかし毎度、画面は超大手検索サイトへ。かたかたと押されるキーボードの音が無人の室内に響き渡り、心なしか部屋の温度が下がっていき……黒猫の姿を見たとか、不吉な黒い霧が立ち込めていたとか、時にはラップ音が響いたり、教室全体が光っていたりとか……。

 学校の怪談「パソコン室の黒い幽霊」、爆誕である。

 校内中、みんながキャアキャアと盛り上がっているようだが、話として「夏らしく怖いよね」ってだけで特に何かしら害があるわけでもないので、俺と片山としてはこのまま放置の構えだ。

 シュレ本人はというと、日々新鮮な地球情報を大量に漁れてホクホクしているようだが。単純なやつだ。



[つづく]

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