小説:地元スペシャル #最終話
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小説:地元スペシャル #最終話

岩波ハル

花火はひっきりなしに打ち上がり、薄明かりを残したネイビーブルーの天空でピカピカと明滅している。

僕は出店を見つけると、渋滞の中で止まってばかりいる車から降りて、出来たてのポップコーンを買ってきた。D坊さんと僕は騒がしい通りの人々を眺めながら温かいポップコーンをほうばった。

それから僕はほんの少しだけ目を瞑った。
次に目を開けた時、車は夜の国道を快適な速度で走っていた。D坊さんはタバコを吸いながら物思いに耽っている。声をかけようとしたがやめた。僕はとても疲れていたのだ。牽引される車のためか、それとも昼間の波のせいだろうか、ふわふわとした感覚がいつまでも体に残っている。
僕は薄目を開けて窓の外を眺めていた。薄暗い郊外の風景は、徐々に都会的な風景へと変化していく。いつの間にか、車は明治通りを走っていた。

僕はだるい体を起こして、D坊さんに声をかけた。

「なんで明治通りなんて走っているんだ? どこに向かっているの?」

「もうすぐ神宮前じゃないか?」と、D坊さんが答える。

「大佐の奴め! 奴は原宿を目指している!」
僕は大佐を乗せて走っている前の車を見て、舌打ちをした。

大佐は原宿(原宿と呼ばれる土地及び文化)を深く愛していた。地元スペシャルの多くの者も原宿を愛してはいたが、大佐の愛は殊の外、激しいものだった。
時代の力にあがらうことは誰であれ難しい。僕達も御多分に漏れず、十代の中頃になると勇んで都会へと出かけ始めた。流行のファッション、先鋭的な音楽、粋な不良少年達。そんなものにウキウキしながら会いに行く。若い僕達の衝動を満たす神秘的な景色は夕暮れの街の中に広がっていた。
僕達は羨望し、真似をし、満足したのだ。馬鹿馬鹿しいものを愛したり、何の役にも立たないものを後生大事に仕舞いこんだりする。でも、それらの事をいちいち責め立てたりしてはいけない。そのような〈罪の無い執着〉というものは誰しもが持っているのだから。例えば、大抵の赤子はいつでもぬいぐるみを一つ手にしているだろう。ぬいぐるみは手垢で汚れていて首は今にももげそうだ。誰がそれを欲しがるだろう? けれど、赤子にとってそのぬいぐるみは、ギュッと握りしめていつまでも離したくない、無上の価値を有するのだ。

当時の原宿(渋谷区神宮前から神南あたり一帯を僕達は原宿と呼んでいた)は、まだドメスティックなブランドを売る店は少なく、アメリカ物を中心とした、古着屋やアウトドアなどの店が幅を利かせていた。とりわけ、ビンテージという言葉にはとても敏感な時代で、その服が、いつ、何処で、生産されたのか、という事が、時にはデザインよりも重視される、風変わりな考え方さえあった。
大佐は度々、嫌がる女の子を隣に座らせて、ビンテージの美に対する考察や、リーバイスの不滅を語った。(彼にとってリーバイスを知らない事は一つの罪悪ですらあったのだ)さらには自身が身につけている洋服や小物などの奥深い歴史について延々と長広舌をふるった。

『原宿を詠う』

人もまばらな午前8時の明治通り。
僕は澄んだ空気とタバコの煙を吸い込む。

8月の欅並木。
木漏れ日の中に行き交うのは華やかな刹那主義者達。

夕闇迫る青山通り。
目に宿るのは溢れんばかりの好奇心。

12月の代々木公園。
モミの木の電球と心の内にある希望は七色に輝いて夜道を照らす。

午後8時30分。
賑やかな原宿駅のホームに立ち、1日の行軍を静かに想う。

古着屋に立ち込める独特の匂い。レジ裏に警棒を隠している物騒なアウトドアショップ。音楽についてはテレビやラジオよりも、店内に流れるBGMから多くを学んだ。メロコア、ハードコア、JB、PE、ジョンライドン、ストレイキャッツ、グランジ、ボサノバ、ビースティーボーイズ、ウッドストック、セルジュ・ゲンスブール。

雑誌の中の顔は笑っているが、普段は目つきと態度の悪い有名モデル。
トリッキーな技をいつくも繰り出せるお陰で、一目置かれている根暗なスケーター。
黒光りするオールデンを履いた古着屋の店長は小太りで、いい歳をしていた。彼は眠そうな目をして閉店まで踏ん張っているが、休日前の夜になれば、明け方近くまで麻布や渋谷のクラブで情熱的なダンスを披露し、婦女子の視線を独り占めにする。
僕が気になっていたあの子は、色が綺麗に縦落ちしたリーバイスに、流行りのナイキを履いて店先に立っていた。僕はその愛らしい小顔に会うことをいつも楽しみにしていた。けれど、気付いていたのだ。サイコビリーの店員と、あの子がいい仲だってことを。2人が深い眼差しで見つめ合っているのを何度か見たことがある。

ともあれ、僕達は原宿を愛していた。汚らしい路地裏も。その先にある落ちぶれた名店も。デニムに身を包んだ無愛想な初老の販売員も。メニューの少ない小さな中華屋も。一度も買い物をしたことの無い、偽物だらけの古着屋も。

はたして僕の考えは間違っていなかった。連結された2台の車は原宿のバーガー屋〈ベンディーズ〉の前で停まった。ベンディーズ前の歩道はたくさんの若者でいっぱいだった。(大佐と僕は駅前を明け方まで堪能した後、朝一番の電車に乗り、原宿に向かうことがよくあった。そうした時、このベンディーズで朝食と仮眠をとる事がお決まりになっていた)

僕が車の横で大きく伸びをしていると、大佐が勢いよく車から飛び出してきた。彼は車の窓に映る自分の姿を、キリリとした顔つきで見つめると、その目を動かさず、フェっちゃんを叱咤した。

「フェっちゃん! 早くしなさいよ! あと30分でお店がクローズですよ!」

フェっちゃんは不機嫌そうな顔をしてノロノロと車から出てきた。魔太郎もキョロキョロと辺りを警戒しながら顔を出す。

「さあ、走れ!」大佐は自ら走り出しながら叫んだ。

D坊さんを除く4人(D坊さんは原宿文化に対し少しも興味を示さなかった)は、大佐を先頭にベンディーズの先にある横道へと駆け込んだ。
僕達はいつもの御贔屓の店を疾風怒涛の勢いでまわった。ヤ○クス、○ンテージキング、○ンテージキングスニーカー、○ロベラ、ボ○スに、○リーズ。その間、30分。驚いたことに、僕を除く3人は、それぞれ、買物を済ませていた。大佐はビックヤンクのネルシャツ。7月に秋物とは! フェっちゃんは愛らしいスヌーピーのTシャツ。大の猫好きだというのに! 魔太郎はドックタウンのTシャツ。いったい何枚のスケーターTシャツを揃える気だろう! そして僕はといえば、今、履いているものよりもほんの少しばかり色の濃いリーバイスを新調するか、悩み抜いた挙句、なんとか踏みとどまった。実に賢い選択!

牽引ロープで繋がれた2台の箱馬車は威風も堂々と地元スペシャルの地に凱旋した。見慣れた街並みに僕の心は安らぐ。このまま国道を直進すれば良いのだが、車は急に左折した。ここでの左折は予想していた。大佐が〈駅前を視察したい〉という気持ちを抑える事が出来るはずもない。

車は駅前の中心へと向かって進んでゆく。時間は21時。駅前の最も脂が乗った時間帯だ。通りをゆく男女の顔にも、まだ幻滅よりも希望が浮かんでいる。メインストリートの光の中へ車はすべり込む。すぐに僕達は駅前と一体となり、輝く星の一つとなり、規則正しく旋回を始めた。

前を走るフェっちゃんの車からは〈ワルキューレの騎行〉の荘重な調べがもれ出していた。魔太郎はテカテカと日焼けした顔を誇らしげに左右に動かしていた。大佐は早くもブロックチェックのネルシャツに袖を通し、サイドミラーの中の自分を見つめている。

メインストリートの中央、例のピザ屋に近づいた時、僕達はすぐに異変に気付いた。店の周りには赤灯を回している数台のパトカーが停まっていて、立ち入り禁止のロープが貼られていた。

僕達はピザ屋の前で車を降りた。

「おやおやおや! こいつはどういう事だい?」
魔太郎が大袈裟に両手を広げる。

ピザ屋の正面のガラスは割られていて、派手な騒ぎのあったことを物語っている。足元にはガラスの破片が散らばっていて、血痕さえあった。

「おやおやおや!」魔太郎は誰かが、何か答えを教えてくれるとでも思ったのか、同じ言葉を繰り返していた。
D坊さんは立ち入り禁止のロープを越えて、黙って辺りを眺めていた。すぐに近くの警官に注意されたが、自販機で缶コーヒーを買い、タバコに火を付けながらゆっくりと戻ってきた。
大佐は珍しく女の子達には見向きもせず、無言で痛々しく破壊された店を、腕を組んで見つめていた。何事があったのかを想像しているようだ。
フェっちゃんは少し離れた道の端で、小さな野良猫にお説教をしていた。子猫は逃げもせず、不思議そうに、フェっちゃんの顔を見上げている。

僕はパトカーの近くで数人の警察官と話しているオールバックの若い男が気になっていた。どこかで見た顔だ。そうだ。昨日の晩、僕と大佐に検問をかけた奴だ。確かにそうに違いない。パチ郎のところの若い衆のはずだ。
その時、パチ郎の言っていたことを思い出した。「山の手から敵機が来る、、」僕は妙な胸騒ぎを覚えた。
僕は何気ない顔でオールバックの方へ近づいていった。彼が警察官との話を終えて、立ち去ろうと背を向けた時に、思い切って声をかけてみた。
オールバックは振り向いたが、僕のことを誰だか見当がつかないらしく、ぼんやりとした顔でこちらを見ている。昨日とは打って変わって純朴な少年の顔つきだった。

「昨日の、、ほら、、パチの、、」と、僕は話しかけた。

オールバックは誰だか分からないが、知り合いらしく声をかけてくる僕に、可愛らしく、ペコリと頭を下げた。こいつは純朴中の純朴、生粋の純朴少年兵だ。僕は感心しながらも続けた。

「パチ郎を見なかったかい? 確か昨日の夜は、ここら辺で、晩のお勤めだったはずだよ」

「パチ先輩? お兄さん、〇〇会の方?」

少年兵は僕のことをどうしても思い出してはくれないようだ。〇〇会? なんだろう、それは?

「うん。〇〇会系だよ。で、パチ先輩はどこにいるの? 昨日、この通りで奴を見たんだけどね。ぱっちりお目々のパチ先輩をさ」と、僕はなるべく話を合わせるようにした。

「パチ先輩はやられましたよ。〇〇病院に担ぎ込まれましたよ。あの〇〇線の交差点の〇〇病院。知ってます? スタンドの斜め前の病院ですよ」

「ぱっちりお目々が、やられた? え?」

「なにせ、あちらにはヘビマンがいましたからね。知ってますよね? 〇〇殺人会のヘビマンですよ。ヘビマンは流石にヤバいですよ。あれはヤバいですね。ヘビマンはヤバい」

「ヘビマンはヤバいな。うん。相当、ヤバいよ」

「病院まで、アー坊先輩の車で運んだんですよ。いやあ、救急車とか、そういう難しいものは、パチ先輩、苦手ですからね」

少年兵は話し相手が現れて嬉しくなったのか、僕の質問も待たずに話し続ける。

「で、アー坊先輩の車で運んだんですよ。パチ先輩、ひどく血が出てて。アー坊先輩、すごく几帳面(きっと、潔癖症と言いたかったのかもしれない)じゃないですか。シートについた血はなかなか落ちねえって、ひどくご立腹でしたよ」

「パチ坊さんが?」僕はやっと一言、挿し込んだ。

「ええ、パチ先輩、最初はあいつら威勢よくやってたんですがね。まあ、あちらさんも、かなり人数もいたし、ごちゃごちゃしてて、気付いたら、パチ先輩がうずくまってて、『痛え、痛え』て言ってるんですよ。で、よく見たら、パチ先輩の腹の真ん中に包丁が刺さってて。いやあ、ビビりましたよ」

「そりゃあ、ビビるわな。腹に包丁おっ立ってたらよ。ビビるわな!」僕は〇〇会系らしく答えた。

少年兵は〈おっ立ってたらよ〉というセリフが気に入ったらしく、何度も口にして、嬉しそうに笑いながら去って行った。

僕達は騒々しいストリートから離れた。
パチ郎の運ばれた〇〇病院に寄ってみたが、面会時間は過ぎているとの事。腹を数針縫っただけの軽傷であり、数日で退院出来るそうだ。明日また来てみよう。腹を包帯で巻かれたパチ郎なんて、そうそうお目にかかれるものでもないし、彼の武勇伝を聞いておかなければなるまい。虚実織り交ぜて面白い話を聞かせてくれるはずだ。
D坊さんは途中、車屋の知り合いに来てもらうと(D坊さんにはあらゆる知り合いがいる)、牽引ロープを繋ぎ直し、ドイツ車と共に去って行った。今夜もどこかのオープニングパーティーに呼ばれている為、寝る時間が無いそうだ。
大佐、魔太郎、フェっちゃん、そして僕を乗せた疲れ切った箱馬車は安息の地へと駆けてゆく。
フェっちゃんの膝の上には、先ほど、ピザ屋の前で話しかけていた子猫が、大人しく座っていた。左手でハンドルを握り、右手で〈小さなお友達〉の背を撫でている。口を真一文字に結んでいるが、フェっちゃんの目は優しく微笑んでいた。
後ろの席では、大佐と魔太郎が眉間に皺を寄せて、仲良く寝ている。哲学者のような寝顔を月明かりが白く照らしていた。

ラジオからは切ない流行歌が流れていた。今の気分にしっくりくるドライブミュージック。きっと、あと30分もしないうちに、僕達は小さな部屋の中で、スペシャリストの奏でる哀愁のマリアッチを聞くに違いない。彼の柔和な笑顔が僕の心に迫ってくる。

聞かせておくれよ。哀愁のバラード。

弦を一つ弾くと僕の心に温かな明かりが灯る。

弦をもう一つ弾けば悲しみの火花が散る。

弦は震えて僕の心臓の鼓動と重なった。

美しい旋律は灰色の部屋に色を浮かべる。

憂鬱を秘めたメロディはいつか希望を抱いたメロディへと変わるだろう。

彼が愛したのは短くてキツいタバコとショート缶の珈琲。

彼が抱いているは名もなき黒ギター。


僕は窓の外に顔を出して、風に頬を当てる。見上げると、流れる雲の中に、22時の満月。その時、一匹の夜蝉がどこかで短く鳴いて飛んでいった。






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眠れない夜に

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岩波ハル
90年代を駆けた1人でございます。 当時の原風景をゆっくりと文字にしてゆこうと思います。週に1回投稿を目標に。