小説:地元スペシャル #22
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小説:地元スペシャル #22

岩波ハル

あやうく深い眠りに落ちるところだった。ナポレオンの言う〈午前2時の勇気〉を奮い起こし、僕は獣のように跳ね起きた。
D坊さんだって、ご自慢のドイツ車が故障とくれば、やっぱり意気消沈しているに違いない。そんな時には何より話し相手が必要なはずだ。

テラスに着くと、砂だらけの白い椅子へ腰をおろし、ジンジャーエールを頼んだ。周りを見渡したが、D坊さんもペッティも見当たらない。テラスは、もうたくさんの客でごった返していた。
テーブルの上にはマルボロライトの空き箱と、ペッティの小さなグラスがまだ片付けられずに置かれていた。僕はジンジャーエールを飲み干すと、席を立ち、駐車場へと急いだ。

D坊さんはボンネットを開けたままの車の中で、タバコを吸ってくつろいでいた。

「車、大丈夫かい?」

「動かないよ。電気系統だね」
特に慌てた様子もない。たとえ車が逆さに置いてあったとしても、D坊さんは今のようにくつろいでいたに違いない。

「でも、大丈夫だよ。さっき、フェッちゃんと連絡が取れたからね。ここまで迎えにきてもらう事にしたよ。フェッちゃんの車で牽引してもらって帰ろうよ」

「フェッちゃんが? 来るの? 地元からここまでかい?」と、僕は驚いて聞き返した。

「フェっちゃんはこういう時に役立つ男だよ」

D坊さんはとても機嫌が良い。ふざけているようには見えなかった。フェっちゃんが2時間以上もかけてここまで来る? どうも疑わしい話だ。フェっちゃんが本当に僕達を助けに来てくれたなら、全てを許そう。昨夜の〈世界大旅行云々〉の話はチャラにしてもいい。フェっちゃんを愛想良く丁重に、紳士として遇するしかあるまい。

ドイツ車の真っ黒なスモークが貼られた窓には日焼けした顔と華奢な肩が映っていた。

「ところでP嬢はどこにいるんだい?」

「あの子ならあそこだよ」
そう言って、D坊さんはビーチとは逆側、国道沿いの歩道を指差した。なるほど、歩道と駐車場の間にある、コンクリート製の低い囲いの上に、ペッティが立っているのが見えた。水着のまま、トートバックを肩に引っ掛け、腕を組んでいる。

「そろそろ迎えが来ると言っていたよ」と、D坊さんは説明してくれた。

「迎え?」

「彼氏じゃないかな?」

ペッティは僕に気付き手を振っていた。僕は小さく右手を上げた。(それはつまらない最後の挨拶となった)ペッティの笑顔が見えた。その時、角ばったパステルカラーのワゴン車が、ペッティの真横に停まった。ペッティは最後にもう一度、僕達に手を振り、そして、助手席に乗り込んだ。運転席に乗っている人間はここから見えなかったが、多分、男だったのだろう。

濁った黒い波。砂浜の上の無限の起伏。駆ける足。叫ぶ喉。僕達は何度も乾杯をした。大佐はペッティがいなくなると、タガが外れたのか、見境なくガールハントをやり始めた。今回のお供は魔太郎だ。

大佐は腰に手をやり、砂浜をぐるりと睥睨する。その目にもう迷いは無い。1人のスラリとした淑女が大佐の前を歩いてくれば、彼の熱い眼差しが執拗に追いかけた。明るい笑い声を響かせながら数人のロコガールがやって来る。大佐は気さくに挨拶をする。ロコガール達はブーメランパンツをチラリと目の端で見ながら小さく挨拶を返す。色白でつぶらな瞳のおのぼりさんは大佐からひどく丁重な挨拶をされて顔を赤らめる。

見渡す限りの女の子達は彼の挨拶を大なり小なり受けたはずだ。縦横無尽のその行動は広大な砂浜を一つの社交場へと変えつつある。同じ女の子に声をかける事も、一度や二度ではなかった。
子供達は不思議そうな目で大佐を見上げる。家族連れは彼が近くを通る度に目を伏せた。大佐は機嫌の良い顔をして、何かを待っている。何か。そう、奇跡のような何かを待っていた!

僕とD坊さんはまた藤吉さんの話をしていた。僕はぬるくなった果実酒を片手に。D坊さんはマルボロライトに火をつけては消し、消してはつけて。D坊さんはいつもあまり黒目を動かさない。その目はじっと遠くを見ていることが多い。

D坊さんは暗い家庭環境で育った。今は自立していて華やかな生活をしてはいるが、家族の影は何処までもついて回る。どんなに遠く離れようが、やっぱり駄目で、心の何処かで家族というものは繋がっている。別の物のように見える一つ一つの波がすぐ下で同じ海水として繋がっているように。でも、辛い幼少時代はD坊さんのその後の成功を考えてみると、幸運だったとも言えるだろう。どうしたって若い時分から痛めつけられてきている人間には敵わない。結局、御免被りたいような人生は人をよく精製する。

「そろそろ2時間くらい経つね。フェっちゃんが到着しているかもしれないよ」そう言うと、D坊さんはタバコを揉み消して立ち上がった。その目は昨日、駅前で会った時と変わらない。たっぷり9時間は寝ていたような目をしている。僕も立ち上がり、伸びをした。遠くの入道雲は昼間の迫力を失い、片側を薄紅色に染めて、日が沈むのを静かに待っていた。

待ち合わせの場所に着くと、僕はすぐに彼を見つける事が出来た。彼方にずんぐりとしたシルエットが見える。ああ、確かにフェっちゃんだ! 懐かしいフェっちゃん! 万人が愛さなければいけない男!

フェっちゃんは自分の車の前で難しい顔を崩さず仁王立ちで待っていた。半袖のセントジェームスに、真っ青なリーバイス501。足元はクラークスのワラビー。そのマリンルックは僕達の誰よりも海が似合っていて、不機嫌な顔とはあまりにも好対照をなしていた。

「フェっちゃん! 世界大旅行は見終わったの?」と、僕は上機嫌に声をかけた。フェっちゃんは黙って頷くと、不機嫌な顔をもっと不機嫌にして、大きな目をじろりと僕達へ向けた。

1時間後、ロープで繋がれた2台の車(フェっちゃんのワンボックスには、フェっちゃん、大佐、魔太郎が乗り、ドイツ車にはD坊さんと僕が乗った)は、海岸の駐車場から慎重に国道へと出て行く。振り向くと懐かしい砂浜。まばらな人影は優しい光に包まれて、その影を伸ばしていた。

車の四つの窓を全て開けると、多少は涼しくなった風が入ってきた。日焼けした肩、海水でバサついた髪には、夕暮れ時の風が心地良い。遠くの波は西日を映して静かに煌めいている。

僕達の車はたいして走らないうちに渋滞にハマっていた。前の方へ目を凝らすと、パレードらしきものが通りを横切っているのが見える。進むにつれて歩道は祭りのような賑わいになってゆく。この街のサッカーチームが優勝でもしたのだろうか。同じユニフォームを着た人達や、同じ柄のタオルを持った人達が、大声を上げたり、手拍子を打ったりしながら行進している。そのうち、とうとう花火まで上がり始めた。

海と潮風。花火とパレード。太鼓の音に甲高い笛の響き。僕は椅子に沈み込みながら、美しい時間をうっとりと味わっていた。僕達はぷかぷかと人波に浮かびながら流されてゆく。波間に揺れていた、あの真っ赤な浮き輪のように。


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岩波ハル
90年代を駆けた1人でございます。 当時の原風景をゆっくりと文字にしてゆこうと思います。週に1回投稿を目標に。