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ビジネスの天才が手がけるまちおこし。家業の寿司店との二足のわらじ

僕が社長になった理由-桑原 亮さん-
新潟の津南町。人口1万人を切る小さな町のお寿司屋さんを営む桑原さん。小学生のころからどうやったらお金は稼げるのかを考え行動し、ビジネス感覚を身に着けていました。実家に戻り、家業を継ぐ一方で起業して地元のみんなが稼げるような仕組みづくりに奔走しています。たぐいまれなビジネスセンスと驚くべき実行力。その秘密は小さいころからの両親の子育て方法にも影響があったようです。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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桑原 亮(くわはら りょう)さん(左・右は義兄)

有限会社松海寿司 社長
合同会社R4Yours CEO
新潟県で生まれ育ち
東京の大学に進学
大学三年生のころから専門学校に、通信などで税理士になるための勉強を始め、卒業1年後に家業である寿司職人となるために帰省
40歳で事業継承し、ほぼ同時期に地域創生をメインとした会社を設立

小さいころからお金を稼ぐ方法を試し
株にも興味を持ち、
お金の世界に不思議を感じていました。

 うちの両親は少し変わっていて、共働きで忙しかったこともあり、小さいころから自立心を育てるような遊びに参加させられていて、高校は東京で一人暮らしするようにって言われていました。小学3年生のときに、おじいちゃんから銅線を鉄工所に持っていくと1キロ当たり2000円もらえるという話を聞いて、せっせと集めてお金を稼いでいました。お金を稼ぐことに関して興味を持ち始めたのはそのころです。小5になると、株に興味を持ち、紙幣の価値ってなんだろうと考えたり、お金が動くというより数字が動いているだけの世界に、不思議な感覚を覚えました。
 中2のとき、ファミコンソフトが中古販売で出回っていることを知り、いらなくなったソフトを友だちから安く買い集めてまとめて売ったり、売り切れそうなソフトを買いあさり、高値で売るなどして半年でかなりの高額を稼いだことがあります。ただ、あまりにもうけてしまったため、親にバレてボコボコに怒られました(笑)。そのときに、お金は自分の私利私欲のために稼ぐより、誰かを喜ばせるために稼がないとダメだな~と感じました。

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▲桑原さんが地元のクリエイターや職人と始めた越後杉を使ったお箸と箸袋。日本全国の免税店で販売スタートすることになったそうです!

 高校は東京と言われていたのですが、当時、新潟の大学進学率が全国で下から2番目だったことを受けて、県が立ち上げたばかりのスーパー進学校(とは知らなかったんですが)の2期生として入学しました。ただ自宅からは遠かったため、アパートで一人暮らしを始めました。
 親からは家業を継ぐ必要はないと言われていたので、大学は東京へ進み、サークルを主宰し運営していました。大学2年までにほとんどの単位を取得し、3年生からは税理士になるための勉強をスタート。家業の寿司屋を継ぐつもりはなかったのですが、親から桑原の名前を継ぐことや地元に育ててもらった恩などを聞かされていたので、地元に帰る気持ちはあったんです。そして、地元には一軒しかなかった会計事務所を僕がやろうと思っていました。

大学生時代もサークル活動費などは、桑原さんが上手に稼いでいたといいます。そのまま税理士を目指すのは、自然な流れに感じます。ただ、実際には税理士にはならず、家業を継ぐことになったのです。

お金を稼ぐ世界から、
地元でのイチ板前としてスタート

 税理士試験を受けるために大学卒業後も勉強をしていました。5教科中2教科で合格していたのですが、上京した父と話をしたときに家業を継ぐ決意をしました。前年、店を増築して拡大させたこともあり、なかなか厳しい状況だと父から聞いたからです。

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 家を継ぐと言っても、最初はイチ板前ですから、父のやり方に口出しをすることはありませんでしたし、40歳くらいで事業継承したら、町のための地域貢献型の企業を起こそうと思っていました。ところが、東日本大震災後くらいから、徐々に地域のお客さま、特に若い世代が外食に対する価値観が変わってきたと感じるようになりました。僕が32歳のころです。
 そこから、僕は飲食業としての生き残りを考え、寿司を握るという基本的な技術はもちろん、一般的な板前の修業ではやらないような技術も学び、寿司自体も洋食のアプローチをとったり、さまざまなアレンジ方法を考えるようになりました。その結果、ケータリングで呼んでもらったり、おもしろがられて話題になったりもしました。地方で、且つ閉鎖的な業界で、斬新なやり方をし続けていく、挑戦していくことは大変ではありましたが、両親が肯定的でありましたし、何よりもお客様の喜びの為に、飲食店の新しい可能性を模索するために、という信念を持ち、一路邁進で取り組んできました。

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▲食べる人が目でも楽める、こんな技まで習得しています。おもてなしを徹底しているところに頭が下がります。

寿司店をオーナーとして運営しているのかと思ったら、ちゃんと寿司を握っていると聞いて、まずは驚きました。桑原さんは「もともと一人暮らし時代から友だちに料理を振舞ったり、バイトで飲食店の厨房に入っていたため、板前になることへの違和感はなかった」とサラリと語りました。

事業を継承し、1年で黒字転換
自分の新しい事業も同時スタート

 40歳の時に事業継承し、1年かけてコスト削減などを一気に行い、事業の黒字化を達成させました。最初に行ったのが、従業員含めて労働時間を2-3時間削減することでした。私たちの業界は、朝早く夜遅い、自由時間が少ない、というのが当たり前ですが、私自身、ムダが多すぎると昔から感じていました。仕込みや作業の効率化を徹底し集中して働けば、労働時間の削減は可能であり、その空いた時間が従業員の幸せにつながります。私も別事業のためにその時間を使うことができます。

 津南町の人口は父が店を始めた昭和49年当時は約2万人、僕が事業継承をしたときは1万人を切っていました。そんな町で地元の人たちだけを相手にしたビジネスをしていても、今までのような状態が確保できるわけないんです。町以外からの外貨を稼いで税収を増やす必要があります。
 また、町民もみんながサイドビジネスを行い、メイン以外での収入を獲得する必要があります。僕が目をつけたのは林業で、津南にふんだんにある質のいい杉を使ったビジネスです。杉を木工職人に細工してもらい、おしゃれにデザインされたお箸からスタートしました。僕はプロデュースするだけで、多くの人たちが関わることでできた商品です。先日、パリで行われた日本博でも好評を得ました。

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▲パリの日本博での様子。フランス人は日本のコミックやコスプレ文化などを好む人が多く、非常に相性がいい。

桑原さんがパリでの成功をおさめるまでの道のりはかなり大変だったと言います。「アイデアを持って250人くらいの訪ねて歩きました。まったく相手にされないこともありました」でも、進めていく中で、一緒にやっていく仲間が増えたと言います。

自分を育ててくれた地元を稼げる町にする
そのためにみんながイチ起業家意識をもてるように

 製作に携わっているみなさんは、サイドビジネスだったり内職でやってくださっているような状況ですが、年収が60万円増えたり、メインビジネスの補填やプラスが生まれることが大事なんです。ただ、僕自身の収入はゼロです。3年間は、自分は無給でやろうと決めていて、周りの方たちに稼いでもらうことで稼ぎ方を知ってもらい、自分への信用を積み重ねていければと思っているんです。

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▲新たに越後杉を使ったスタッキングできる木工品を展開させようと進行中なんだとか! 木目がめっちゃおしゃれ☆

 僕には3人の子どもがいて、長男は僕と同じ高校に進学しました。久しぶりに夏休みに会ったとき、彼に僕がされたのと同じように、将来の選択について話をしました。3人いる兄弟のだれかが桑原の家を継ぐことと、その話を長男として他の2人と話し合うキッカケをつくること、地元で育ててもらったことの恩についてなど。そして、彼らが地元に帰ってきたときに、ちゃんと稼げるような町にしておくために、自分はがんばるってことも伝えました。あと、もし家を継がなかった場合の相続税の話とかもしました(笑)。今の時代はいくらでも情報を入手できる世の中です。下手に隠すより、リアルをすべて語ったほうがいいと思っているんです。

 僕は若いときから3年、5年、10年といったスパンで自分の計画を立てていて、それらを実現しながら生きてきました。そんな中、次の目標は新しいスタイルの飲食店をつくることです。1つの店で10店舗くらいの飲食店メニューを食べられるようにしたいと思っています。お客さまが少ないときに、店舗ごとに戦うなんておかしな話です。みんなで自分の店のメニューを売って、いくらかでも収入があるほうがいいはずなんです。
 また、医療とのコラボレーションによる、自分の体調に合わせたメニュー開発や、店までの足を確保できるような無料バスを用意したり、物販も合わせてやることなどを考えています。
 また、この地に住む若い人たち1人1人がイチ起業家としての意識を持ち、ビジネス感覚を磨きあげることが地方再生・創生につながる、ということを今後伝えていきたいと考えています。

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▲六本木の2つ星レストラン「リューズ」の飯塚シェフの協力により、津南スカイランタンの観光弁当というカタチで飲食の新しい取り組みをスタートしています。ひとつひとつの具材やおかずを津南の店や組合が力を合わせて作り上げたものです。

桑原さんが小さいときからお金を稼ぐ方法を人より早く賢くやってきたことを知る学生時代の友だちからは、「なんて効率の悪い稼ぎ方をしているんだ」と言われるそうです。「地方には地方ならではのやり方じゃないと人を巻き込めない」ことを実感し、少しずつですが、確実に歩を進めています。今後のさらなる活躍に期待します!

下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!