莨夂_セPR蜀咏悄

シリアルアントレプレナーの夢は、日本を代表するエンターテインメント施設!

僕が起業した理由-後藤貴史さん
バリバリのエンジニアなのかと思いきや、日本大学芸術学部で映画を作ることが夢だったという後藤さん。現在、全国のモールなどで続々と展開しているテクノロジーを駆使したエンターテインメント施設『リトルプラネット』の生みの親です。エンジニアのスキルを学んだのは、大学2年のときのインターンがキッカケだといいます。その後、華々しく学生時代に起業し、成功をおさめます。ところが、起業当初はなかなか大変な貧乏ライフからのスタートだったそうです。そんな当時のお話も聞かせていただきました。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

蠕瑚陸蜀咏悄

後藤 貴史(ごとう たかふみ)さん

株式会社プレースホルダ 代表取締役CEO
2007年11月(大学4年):株式会社ポケラボ 創業
2012年10月:グリー株式会社と戦略的業務提携
2016年9月:株式会社プレースホルダ 創業
2017年5月:イベントで初めてアトラクションのプロトタイプを展示
2017年10月:リトルプラネットのプロトタイプ施設を ららぽーと立川立飛で 期間限定オープン
2018年7月:常設型リトルプラネット第1号パークを ららぽーと新三郷 にオープン
2019年12月現在、首都圏に6箇所、静岡・福岡に各1箇所の計8つの常設パークを展開

芸術学部出身で大学時代にIT系ビジネスで
起業したシリアルアントレプレナー

 大学生のときは、学部の特性もあってか映画やCM作りのインターンに行く機会がありました。そんなインターン時代に、ウェブCMの製作現場で出会った方から「起業するから手伝ってほしい」と誘われたのが、インターネット業界向けの広告代理店でのインターンとしてのお仕事でした。インターンの僕を含めて3人の会社です。
 忘れもしない初日は、電話営業を300件しました。スーツ姿で出社し、アポが取れると営業にも行くようになりました。次はネット広告の勉強が必要になり、GoogleアナリティクスやSEOについては、ほとんど独学で覚えました。PCも必要にせまられ購入することになりました。
 誘ってくれた社長さんは有名企業から独立したので、もちろん手取りも激減していますし、毎日めちゃくちゃハードなのにすごく楽しそうでした。時間があるときは、起業することのおもしろさなんかを、よく話してくれました。ここで1年くらい働いていて、普通に企業勤めをするつもりでしたが、この社長さんのように「自分の力で好きなことをする生き方もいいな」と、起業への夢が生まれました。

画像2

 一方で大学3年になり、就職活動がスタートし、内定もいくつかもらうことができました。就職先は、いずれ起業できるように社内ベンチャー制度があったり、独立支援をしてくれるようなベンチャー系IT企業です。とはいえ、このまま起業する夢も捨てきれず、学生ベンチャーについて調べまくり、交流会に参加したりもしていました。
 起業を考えるも、当然資金なんてないので、当時できたばかりのファンド(投資家)を紹介してもらう機会があり、学生レベルのビジネスモデルを作って会いに行きました。僕がエンジニアではなく芸術学部生だと知り、「共同創業できるエンジニアを探して来たら出資する」と言われました。知り合いやツテを頼って、エンジニアに片っ端からお願いしました。
 100人以上に連絡して30人くらいと会えて、そのうち2人くらいが一緒にやってもいいという話を取り付けることができました。そのうちの1名がパートナーとなり、投資家に認めてもらい、投資を受けられるようになりました。内定をすべてお断りして、大学4年の11月に最初の会社である『ポケラボ』を設立しました。

大学卒業前に起業した後藤さんですが、その後しばらくはマネタイズに苦労したそうです。共同創業者のエンジニアの2人で夢をつかむための楽しくも厳しい日々が、繰り広げられていたそうです。

起業したもののしばらくはギリギリの生活。。。
資金が底をついて選んだビジネスは
自分たちが好きなもの

 出会って2か月くらいのエンジニアとの共同生活を送りながら、自宅を事務所として使って始めた最初の事業は、たいしてうまくいきませんでした。当時はまだガラケーの時代で、写真のアルバム機能サービスをつくったのですが、そこそこ使ってくれる人はいてもマネタイズができなかったのです。いくつかサービスを立ち上げ、1年半後に資金も底をついてしまい、投資してくれた方とも話して、次が最後のチャンスだと言われました。
 「何をするか?」じつは2つほどスタートさせていた事業があったのですが、そのうちの片方を大きくするか、それとはまったく別の、2人が好きなゲームを作るか、悩んでいました。結局は投資家の方から「コミットするのはキミたちなんだから、キミたちがやりたいことをやるべき」という言葉に勇気をもらい、オンライン系の戦国ゲームを作りました。

画像3


 これがめちゃくちゃ当たったんです。最初のころは、ゲームの不具合や問合せメールがよく届くんですが、スタッフは3人が事務所で夜中まで働いて対応していました。夜中3時に届いた問合せに対して、5分後にレスポンスしたら、大手掲示板サービスでその神対応が話題になったりしてました。
 武器を手に入れるための課金でマネタイズしていたのですが、一気に利益が出るようになりました。1年半も苦労してきたのに、ゲームのすごさを実感した瞬間でもありました。その後は、もっとおもしろいゲームを本格的に作るという方向にシフトして、成功することができました。資金も調達して、会社もどんどん大きくなり、数名だった会社も20名、100名という規模に成長しました。

スマホ時代の幕開けと同時に一気にブレイクしたアプリゲーム。その波にミゴトに乗って大当たりを連発させた後藤さん。20代半ばで100人を超える社員を抱えた社長業を始めるのですが、そこには大きな落とし穴があったのだそう。「地獄の1年でした」と後藤さんは言います。でも、その経験があったから学んだこと、得られたことがあったそうです。

ビジネスの成功と経営の難しさを感じる日々。
そして、新しいビジネスを生み出すための再挑戦

 ここでひとつ問題が発生します。僕の地獄の1年です。会社は一気に大きくなったのですが、僕はまだ若干24歳です。みんな年上で、採用のことや給与体系など、うまくいかないことが多く問題だらけでした。僕は毎日、採用面接と退社希望の人の面談に追われる日々です。50人採用して半年後には50人が辞めて、また50人採用する。。。そんな状態が続きました。勢いがある会社だから人は集まるんですが、僕自身が経営者としてとても未熟で、組織を作り、環境を整備するという重要なところがまったくできていませんでした。こういった会社の浮き沈みのフェーズを体験できたことは、個人的にとても大きな経験でした。
 その後、大手ゲーム会社の子会社となり、ゲーム開発に専念することになりました。よいチームに恵まれ、とても楽しく仕事ができていました。そんな僕に次の転機がきたのは、2015年です。じつは、僕には日本を代表するようなエンターテインメント施設を創りたいという漠然とした夢がありました。あるとき、VR用のHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を体験する機会があり、大きな衝撃を受けました。そして、これを使って見える世界を作りたいと強く思うようになりました。

画像4

 最初は新事業として考えていたのですが、うちの会社はゲーム作り専門の会社という位置づけだったので、それ以外の新事業をスタートさせるには不向きでした。そこで、会社を退社し、自分でそのための会社を作ることにしました。1回会社をゼロから作った経験や失敗した経験もあったので、再スタートへの心配は特にありませんでした。
 半年くらいスタッフ探しとさまざまなエンターテインメント施設を見て回って構想を練り、2016年10月に新会社を設立しました。そこで作った事業が『リトルプラネット』というデジタルを使ったエンターテインメント施設です。最初はHMD使ったヴァーチャル空間を考えていたのですが、グラスを使うのは、お客さまにとってハードルが高いと感じました。また競合も出始めていたので、発想を転換して、VRのような空間を作って、グラスなしでも楽しめるように設計しました。リリース前に2017年にキッズデザイン賞を受賞し、イベントを開催してお客さんを呼んでみると、本当に反響がよかったんです。すぐに、ららぽーと立川立飛への出店が決まり、その後は一気に出店計画が進みました。海外展開の話までやって来ました。
 子ども向け施設だと思われがちですが、僕にとっては3世代で楽しんでもらえる施設を目指しています。今後はさらにコンテンツを増やし、より多くの方たちに楽しんでもらえるエンターテインメント施設なれるよう、スタッフともども邁進していきます。

画像5

『リトルプラネット』には私もお邪魔させていただきましたが、大人でも夢中になって楽しめる遊びがいっぱいでした。単なるデジタルアートでもなく、ゲームだけでもない。ちょっぴり学び要素とちょっぴり自分で作れるアナログ感がミックスされた空間です。非言語で遊べる空間は世界にいっても通じます。日本のエンタメの力を世界に見せつけられる、そんな未来を楽しみにしています。

下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!