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人のせいにするのではなく、自分で決断する。そこから人生が一気に変わった

僕が社長になった理由-久徳壮一郎さん-
愛媛県の宇和島で訪問看護を中心に事業を展開している久徳さん。インタビュー当日は、青年会議所の理事長をしていた関係で、子どもたちの相撲大会の引率で東京へ上京したタイミングで実施しました。仕事だけではなく、地域の活動にも積極的に参加し、町を元気にしようとしているのだそう。そんな久徳さんのこれまでの経歴と考え方に迫ります。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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久徳 壮一郎(きゅうとく そういちろう)さん

株式会社アクティブモア 代表取締役社長
リハビリテーション訓練センターにて作業療法士の国家資格を取得後
愛媛県の病院にて勤務
2011年4月25日設立
訪問看護、デイサービス、サ高住など

親の勧めで手に職をつけるべく
作業療法士になるための学校へ

 親に勧められているうちに、中学のころには自分も教師になりたいと思うようになっていました。ただ、社会は少子化が進み学校が閉鎖されたり、教員採用もどんどん減っていく状況の中、親から「教師になるより、手に職をつけるほうがいい」と助言され、高校卒業のタイミングで作業療法士になるため、リハビリテーションの学校へ通うことにしました。
 そこで最初に学んだのは筋肉についてです。筋肉の名前だけでなく、この筋肉がどの骨と接続しているのか、ということまで全部を理解しないといけないんです。さすがに、くじけそうになりましたね(笑)。

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▲訪問看護からスタートした会社は今では、さまざまな事業を展開し、トータルで高齢者の生活を支えようとしています。

 その学校は寮になっていて、全国からそれこそ年代バラバラな人たちが集まってきて、毎日が修学旅行のような楽しさがありました。みんなが仲間意識で学んでいるうちに、それぞれに影響し合うようで、僕みたいな高卒で入っている子たちはどんどん大人びていき、年配の方たちはどんどん若返っていくという現象が起こっていました。
 3年間通うのですが、最後の1年は実習です。学校から紹介されていろいろな病院に行くのですが、僕の場合、候補外だった地元の愛媛の病院から声がかかり、里帰りついでに行って学校に戻ったら、その病院から内定の手紙が届きました(笑)。「え、面接してないでしょ?」って感じでした。本当は広島あたりでの就職を考えていたんですが、親の体調もあまりよくなかったこともあり、地元に帰る決心をしました。

 正直、ここまでの人生はすべて受け身です。親に言われた学校に進み、先生から勧められた病院に入りました。だから、何か嫌なことがあったときも、すぐに人のせいにしてました。「あの人がこんなことを言ったからだ」とか、そんな気持ちでいました。

主体的に動くことで見える世界が変わった
決めるのは自分の意思

 病院勤務1年目にあまりにも仕事がハードだし、責任感の重さに耐えられなくなって、先輩に「辞めたい」って話しに行ったんです。そこで言われた言葉で僕の人生は変わりました。
「もし、ココでしんどいからって理由で辞めたら、ほかの会社や仕事をやってて、またしんどくなったら辞めるっていうのが、自分の基準になっちゃうぞ」って。「ほかにやりたいことがあるから辞めるっていうのと、大違いだろ。やりたいことができてから辞めたらどうだ?」ということを言われました。

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▲「愛ほっと」という名称からも久徳さんの想いが伝わります。愛があってほっとできる場所があれば、みんな安心できますよね。

 完全に人生のスイッチが入った瞬間でした。そこから一気に、見えていた世界が変わりました。患者さんのために自分は何ができるのか? わからないことは自分から知りたくて調べ始めたら、勉強がおもしろくなりました。僕の仕事は患者さんや家族の方から「ありがとう」を言ってもらいやすいものなんです。これって、ものすごいやりがいを感じることができる仕事です。自分がやりがいを感じることが、こんなにも仕事に対するモチベーションが変わるのかってことを知りました。

何かに気づいて変わる瞬間がある人も、そういった経験がないままの人もいると思います。また、気づいても行動まで至らない、頭で理解しているだけの人もいます。久徳さんのように、気づいたことで意識だけでなく行動まで変われる人は、本当にステキですよね。ここから久徳さんは、自分が考えた理想を追って行動するようになります。

患者さんのことを考えたら必要なものが見えた
仕組みがないなら、自分でやるしかない

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▲サービス付き高齢者向け住宅。介護の問題はさまざまなアプローチが必要で、だから地域包括ケアという考え方で進められていると言います。

 僕の専門は脳卒中を起こした方のリハビリでした。患者さんは倒れてからしばらくは治療に専念し、その後リハビリを受け、一定期間が過ぎると自宅へ帰ることになります。ただ、患者さんにとってもご家族にとっても、自宅へ帰ることはものすごい恐怖だったりするんです。病院では療法士が近くにいてくれるけれど、家では自分たちですべてやらなくてはならなくなるんですから。でも、退院後の生活を病院スタッフである僕がサポートすることは、ルール上できないんです。
 そういった世の中のニーズがあるのにやれる仕組みがないなら、自分で仕組みを作ってやるしかない、そう思うようになりました。11年間勤務した病院から独立し、訪問看護とデイサービスを中心に行う事業をスタートさせることにしました。

 実際に独立するとなると大変でした。資金が1000万円くらい必要なのに、銀行がなかなか貸してくれませんでした。病院勤務時代は必要もないのに、融資の誘いをしてきてたぐらいなのに、いざってなると「病院辞めちゃったんだよね? それじゃあ難しいな」って言われるんです。
 今までの関係性は、個人的なものではなく、あくまでも肩書きに対してのものだったのか、と現実を悟りました。でも、動き出したことで、助けてくれる人も増えました。さまざまな許可取りもクリアできて、完全に追い風が吹いたって感じで、あっという間に進みました。

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 事業がスタートすると、今までのお客さまが依頼してきてくれたり、病院のほうで訪問リハビリの部門を撤退したから、代わりにやってほしいという依頼がいただけたりしました。順調だけど忙しい、そんな日々が続きました。僕は社長とはいえ、イチ療法士として現場にも出て仕事をしていたのですが、2年くらいたったころから、自分がいつまでもプレイヤーでいることはよくないと感じるようになりました。
 僕にも療法士としての自信やプライドがありますから、どうしてもイチバンになりたいと思っちゃいます。でも、それだと現場のスタッフが育たないんです。僕が目指す社会を作るためには、1人でできることには限界があって、みんなの力を借りていく必要があるんです。

 じつは病院時代にも似たような経験がありました。勤務5年目くらいで課長になった翌年、プレイヤーとしては6年目だけど、マネージャーとしては1年生なのにもかかわらず、マネージャーでも6年生のような行動をとってしまったんです。その教訓を踏まえて、社長としてはまだ慣れてないことを自覚しつつ、なるべく現場に任せるようにしています。

プレイヤーとしての自分のプライドと現場に任せることの両立の難しさについて悩んだ久徳さんですが、自分が成し遂げたい大きな夢のために、みんなの力を借りることを大前提に置いたと言います。「遠くへ行きたいならみんなで行け」ってやつですね。

地元の人たちと一緒につくるまちづくりを目指して

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▲自身も成長し続けるため、東京へ学びに来ることも多いそう。2019年度には渋沢栄一さんの「論語と算盤」の考えを学べる塾に通ったそうです。

 今後の目標は、会社としては地元の人たちにファーストチョイスしてもらえるようになることです。一方で、地元の方たちへ、今までお世話になったものを還元できるよう、医療・介護面からアプローチしていきたいと思っています。僕の仕事は、リハビリが必要になった人がいてはじめて成り立つわけですが、本来、人は健康なほうがいいわけです。だから僕はリハビリになった人をサポートするのはもちろん、その前段の予防についても力を入れていきたいと思っていて、予防としての運動をいろいろ研究しています。出張なんかのタイミングでは、運動施設の視察なんかもしています。

 また、2018年は青年会議所の理事長をしていたこともあり、子どもたちの育成にもかかわりました。僕の行っている業界で言われている地域包括ケアの実現には、年代を問わず多くの方たちの力が必要です。そのためにも、市民の人たちが能動的に動けるようなまちづくりをしていきたいと考えています。僕が社会人1年目に学んだ、主体的に動くと世の中が一気に変わるということを、みんなにも知ってもらいたいです。

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高齢化や人口減など多くの課題を抱えたエリアで頑張っている久徳さん。自分の会社のことだけでなく、当たり前のように地域全体のことを考え、自分にできることで社会へ貢献していこうとしています。
東京にいるとつい忘れそうな地域の過疎化や高齢化の問題。私たちが働くということは、社会への貢献であるということ。そのために自分は何ができて、何をしていくのか? 改めて考えるきっかけをいただきました。


下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!