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今は当たり前のものじゃない。だからここで点を取る。FW岩渕弘人【Voice】

7月18日に行われた奈良クラブとの開幕戦で、同点ゴールを挙げた岩渕弘人選手。仙台大時代にはいわきFCとの天皇杯1回戦で決勝ゴールを決めるなど活躍し、今シーズンより加入した生粋の東北出身ストライカーです。

▼プロフィール
いわぶち・ひろと
1997年生まれ。遠野高→仙台大
2020年いわきFC入団

■「一生残る勲章」JFL初ゴール。

7月18日に行われた奈良クラブとの開幕戦で、65分に同点ゴールを挙げた岩渕弘人選手。まずは得点したシチュエーションについて、語っていただきます。

「あの時は左サイドを崩していて、自分は右のFWでした。いつボールが来てもいいように待っていたら、FW鈴木翔大選手が他の選手を狙って蹴ったボールが、たまたま自分と相手GKの間にこぼれてきた。相手GKが出てくるのが見えたので、スライディングしながらループシュート気味に決めました。ラッキーなゴールでしたが、チームのJFL初得点を自分が記録することができたのは光栄。一生残る勲章です」

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試合は開始1分に先制される苦しい立ち上がり。しかし、焦りはそれほどなかったそうです。

「前半から決められるチャンスがたくさんあったのに、自分も含めて前の選手が大事なところで取れず、なかなか点が入らなかった。でもやるべきことは一貫していたし、比較的落ち着いていたと思います。

自分のゴールでチームを勢いづけることができて、よかったです。初めての公式戦は、トレーニングマッチとはまったく違う緊張感がありました。その中でゴールできたことは、今後に向けた大きな自信になります」

■今サッカーをできているのは当たり前じゃない。

岩手県一関市で生まれ育った岩渕選手。サッカーを始めたのは小学校1年生のころでした。小・中学校は学校のクラブでプレーし、中学2年生だった2011年に東日本大震災を経験しています。

「あの時は学校行事の練習で体育館にいました。いきなり大きく揺れて、照明が自分の隣にいた生徒の頭に落ちて大ケガをしたりで、パニック状態でした。帰宅したところ、幸い自宅や家族は大丈夫でしたが、電気も水も止まった状態。親と一緒におばあさんの家に行き、ろうそくの明かりの下、川の字で寝たのを覚えています」

県内の強豪・遠野高に進学するとともに、親元を離れて寮生活を始めました。本当の意味で震災の恐ろしさを実感したのは、高校入学以降のことです。

「一緒に寮生活をしていた中に、家が流されたり家族が亡くなった友達がたくさんいたんです。彼らの話を聞くうちに、あの地震がいかに恐ろしい災害だったかを実感し、考え方が変わっていきました。

思えば自分は恵まれていました。親のありがたみなんて考えず、自分をサポートしてくれることを当たり前だと思ってサッカーをしていた。親が元気でいてくれて、自分のために学費や生活費を払ってくれる。だから越境して寮生活を送りながら、やりたいことができている。あの時にもし親を亡くしていたら、自分は今、どうなっていたのか。今ここでサッカーをできているのは、決して当たり前のことじゃない。それを痛感しました」

厳しい練習で知られる遠野高サッカー部。岩渕選手は1年生のころ、なかなかAチームに上がれず苦労しました。

「当時はずっとBチーム。ただ走ってばかりで、Aチームに上がれる気配はまるでなかった。『これは無理だな。走って終わる3年間になるのかな…』と思っていました。

また高校の寮生活で、先生や先輩に叱られることが何度もありました。学校生活もサッカーも、決してなめていたつもりはない。でも今思えば、そう見られておかしくない態度だったかもしれません。中でも印象的だったのが、先生に『お前は目つきがよくない。心がたるんでいる。当たり前のことをちゃんとやれる人間になれ』と厳しく注意されたこと。これは正直こたえました」

このことをきっかけに、意識が変わっていきます。

「まず学校生活を見直しました。例えばサッカー部では、成績が悪いと練習を参加させてもらえません。そこで、授業の課題をすべて提出し、試験勉強もできる限りちゃんとやりました。

そして2年生から、Aチームで試合に出られるようになりました。2年で県リーグ優勝。プリンスリーグ東北に入りました。3年ではプリンスリーグ東北で5位、個人としては13得点で得点ランキング5位。高校選手権岩手県予選の準決勝で2得点、決勝で1得点と活躍できました」

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岩渕選手はゴールという結果にひたすらこだわり、ストライカーとしての未来を切り拓いていったのでした。

■いわきFCを失意のどん底に突き落とした決勝ゴール。

高校サッカーでの活躍で、将来プロサッカー選手になるという夢を現実的に考え始めた岩渕選手。夢を実現するため、プロサッカー選手を何人も輩出している仙台大に進学しました。大学でも、高校時代とよく似た状況が巡ってきました。しかし、ここでも得点にこだわることで、自らの居場所を作り上げていきます。

「1年生のころはAチームに上がれる雰囲気がまるでなく、3番目のチームでプレーしていました。でもAチーム以外が出場するインディペンデンスリーグでひたすら点を取り、得点王になることができました。

それをきっかけに認められて、2年生でAチームに昇格。Aチームの遠征試合でも点を取り、レギュラーで試合に出られるようになりました。自分のたった一つの武器は得点感覚。だから、とにかくゴールを決める。大学2~3年のころは正直、それしか考えていませんでした」

4年生になった岩渕選手の印象的な活躍は、何と言っても天皇杯でしょう。宮城県予選でソニー仙台FCを破り、4年ぶりに天皇杯宮城県代表の座を手に入れた仙台大。1回戦の相手は福島県代表・いわきFCでした。

「いわきFCフィールドには下級生のころからトレーニングマッチで来ていました。同じ東北のチームですし、昨年まで在籍していた宮澤弘選手(現・南葛SC)が大学の先輩だったこともあり、チームの施設や環境を調べたりもしていました。

4年生のシーズンイン直後もトレーニングマッチをして、7対1で圧勝していました。その時、いわきFCの方々は身体が重そうだったので、今思えば鍛練期だったのでしょう。

もちろん、トレーニングマッチの結果が参考にならないことはわかっていますから、慢心することはなかったです。天皇杯はもともとスタメンで出る予定でしたが、監督から『途中出場で流れを変えてほしい』と言われ、ベンチスタート。勝負所で投入されることになりました」

試合はいわきFCが仙台大を押し込む展開。MF金大生選手のゴールで1点を先制したいわきFCのリードで、前半を折り返しました。

「やばい雰囲気だけど、ギリギリの展開で出て点を取れたら最高だな、と思いながら、出番を待っていました」

後半に試合が動き、岩渕選手は2対2の69分から出場。劇的な瞬間はそこから13分後のことでした。仙台大の最終ラインから前線へのフィードがくさびとなり、一気に裏へと抜け出した岩渕選手がパスを受け、鮮やかな決勝ゴール。いわきFCをまさに失意のどん底へと突き落としたのでした。

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「いわき守備陣の最終ラインが高かったので、裏を狙っていました。一瞬の隙をついて点を取ることができたので、あの時は本当にうれしかったですね。

当時はまだ、いわきFCに入るとはまったく思っていませんでした。でもこの試合以降、少しずつ意識するようになっていきました。自分は身体が細くて弱かったので、いわきFCに入ったら変わるだろうな、というように」

■「これで獲得しなかったらヤバいだろ!」

4年生の秋になり、岩渕選手は進路に悩み始めます。卒業後もサッカーを続けるか、それとも一般企業に就職するか。将来はプロサッカー選手になりたい、という夢は持ち続けていましたが、プロでやっていける確固たる自信もありませんでした。

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「9月ぐらいから、いくつかの会社に応募したり試験に行ったりと、一般の就職活動もしていました。でもやっぱり、何かが違う。いろいろな人に進路について相談し、話を聞いてもらいました。ある時、高校でサッカーを辞めた同級生と話したら、彼が『サッカーは若いころしかできないから、続けた方がいい』と背中を押してくれて、プロを目指そうと決心できました」

就職活動に見切りをつけ、プロ選手になろうと決めた時、いわきFCは第一志望のクラブになっていました。

「天皇杯以後、いわきFCへの興味は増していました。練習環境が素晴らしいことは知っていたし、フィジカルをもっと磨けば、自分はFWとして変われると思った。そこでお願いして、練習参加させていただきました。

練習では『天皇杯で点取った奴だ! お前来るなよ!』といじられました(笑)。でも調子がめちゃくちゃよくて、いいパフォーマンスをはっきりと示せた。だからチームメイトと『これで獲得しなかったらヤバいだろ!』と話したのを覚えています」

持ち前の得点感覚を評価され、オファーを得た岩渕選手。今シーズンからいわきFCの一員として、地域を盛り上げていきたいと語ります。

「震災があったころ、スポーツを見ることが心の支えになっていました。今は自分が、人を勇気づける立場。東北で生まれ育った身として、力強いプレーをしていわき市と双葉郡、そして東北の人達に勇気を与えたいです」

■得点につながる動きでは、他の選手に絶対負けない。

いわきFCに加入すると、筋トレやラントレなどのフィジカルトレーニングの厳しさは、大学時代をはるかに上回っていました。

「毎日とてもハードです。社会人チームは年齢が高めで運動量が落ちるイメージがありますが、いわきFCは選手の年齢が若く、同年代の選手がほとんど。だから、まったく違います。それだけに大学の延長のようなにぎやかな空気があり、ロッカールームなんてめっちゃうるさいですよ(笑)」

プロ選手となった今、サッカーに対する意識が学生時代とはまったく変わったそうです。食事に気を使い、身体のケアをしっかりと行い、睡眠時間をきちんと確保。自らの売りである得点感覚に磨きをかけます。

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「練習後の午後に自分の時間があるのは、プロ選手ならでは。こういう時間を上手く使えるかどうかで、将来は決まってくる。実はいわきFCに入って、練習でバランスを崩すことが多いことに気づいたんです。プレー動画を見ると、ここでバランスを崩さなければもっといいプレーができたのに、という状況がよくある。そこでトレーナーさんにお願いして、週に1~2回、練習後の午後に体幹トレーニングを見てもらっています。

僕は他のFWの面々ほど身体能力が高いわけではなく、足も決して速くない。だから、裏への抜け出しやこぼれ球への反応といった点につながる動きでは、他の選手に負けたくありません。そしてまだ1年目ではあるけれど、今年ここで結果を出さないと未来は開けない。だから今が一番大事。初めてプレーするJFLの舞台で活躍し、J3昇格に貢献するためにも、FWとしてとにかく点を取る。そしてケガをせず試合に出続けて、JFLの得点王、もしくは新人王になれたらうれしいです」

▼岩渕選手をもっとよく知る4つの Q&A
Q1:オフはどんな風に過ごしていますか?
A1:自粛期間は映画を見たり家でゆっくりすることが多かったですが、最近ゴルフを始めました。チームのみんなが結構やっていて、影響されてしまいました。初のラウンドは同い年の山口大輝選手、谷村海那選手、あとは鈴木翔大選手と一緒に行きます。

Q2:仲よくしている選手は誰ですか?
A2:同期入団の同級生でご飯を食べに行くことが多いですね。山口大輝選手、谷村海那選手、黒澤丈選手などの大卒メンバーはみんな仲いいですよ。

Q3:身体のケアはどんなことをしていますか?
A3:毎日、お風呂上がりにストレッチをするようになりました。あとは意識して水分をしっかり摂るようにしています。以前はあまりちゃんと水分を摂らず、熱中症になったことがあるので注意しています。特に試合の時は、前日からしっかり水分を摂ることを意識しています。

Q4:お手本にしているサッカー選手は誰ですか?
A4:大学時代に練習試合をさせてもらったことがきっかけで、川崎フロンターレのFW小林悠選手をよく見るようになりました。シュートまでの動きもシュートも本当にすごくて、参考にさせてもらっています。

▼岩渕選手のプロフィールはこちら

次回は今年、ファジアーノ岡山から加入したMF松本健太郎選手の登場です。お楽しみに!

(終わり)


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