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【FM店主日記Day6】「本を聴く」という行為とメルカリが人類にもたらした一つの真実

最近、本をよく聴くようになった。

もともと結構たくさんの本を読む方ではあって、ビジネス書やら小説やら実用書を買っては読み、読み終わった本は溜まっていくのでメルカリで売り捌く、ということをこの何年かはやっていて、それに伴ってメルカリの経験値も上がって行って、コメントの対応から多種多様な発送方法、クレームに発展した場合のメルカリ事務局とのやりとりに至るまでなんやかんやと一通りのことはやってきたので、それなりの知見もあったりする。本を読むよりもその方がビジネス的な体験にもなるので役に立ったりする側面もあるのだけれど、最近ふと気がつくとめっきりと本を読むことが減ってしまった。

なぜ本を読むことが減ったのか

本を読むことが減った原因は明白だ。

一つはNetflixやらアマプラやらYouTubeやAbemaなどの動画コンテンツの充実。かつては長距離の移動というと何冊か長編小説を持って行ってそれに没頭している間にいつのまにか目的地についている、という感じだったのだけれど、最近はiPadに映画を何本もダウンロードしておいたり、そもそも移動中にWi-Fiが問題なく使えることも結構多いので、SNSをダラダラ見たり、動画を見たり、将棋ウォーズで対戦をしたり、とやっていると本を読むという行為の優先順位が自然とめちゃくちゃ下がってしまい、一応大抵の場合は今読んでいる本を持ち運んではいるものの、以前であれば一週間もあれば読み終えた本を数ヶ月に渡って持ち歩き続けているという悲劇的な状況に陥ってしまう。

前回ページを開いてから時間が経つとなんの話だったのかさっぱりわからなくなり、だいぶページ数を戻ってから読み直す、なんてことも割と頻繁にある。なにより長時間かけて本を読む、ということのよくない点はカバンに入れて持ち運ぶ回数が増えるため、新書で買った本も結構なダメージがついてしまうという点であり、これはメルカリで売る際にクレームに発展する可能性が高くなる、というところだ。

メルカリで物を売ることに慣れてしまうと、所有という意識が薄れてくる。これは自分が所有している物ではなく、商品を一定期間お借りしているだけなので、できるだけ丁寧に扱わなくてはならないという気持ちになり、本が汚れてしまうことを何よりも嫌がるようになるので、持ち運んで読むことで本が汚れるくらいなら読まずに売ってしまったほうがよい、みたいな本末転倒なメンタリティが出来上がってしまったりする。

まあ、そんな理由と最近運転することが多くなった、という理由とが相まって、アマゾンのAudibleというサービスで本の朗読を聞く、という選択肢を最近新たに導入することにした。

ちょっと今日は文字数がすでに1000文字を超えてしまったので、詳しい話は明日以降にまた書こうかと思うけれど、本を聴く、というのは今まであまりしてこなかった類の体験だなぁ、ということを実感している。

メルカリがもたらした新たな真実

そういえば、メルカリで色々売ったり買ったりしていて気がついたことがあるので最後にそれだけ今日は述べさせてもらってお開きにしようかと思う。それは「メルカリで買ったものは全てメルカリで売れる」ということだ。

自分がメルカリで検索してうっかり買ってしまったものは、それがどんなものであれ、必ずメルカリで売れるので、不要だった、と判断した場合にはさっさともう一度メルカリで売ってしまった方が家も綺麗に保てるし、家に置いておいても価値を発揮しないのであれば、誰かに使ってもらった方がモノだって幸せなはずだ。

大切なことなのでもう一度だけ言っておく。

「メルカリで買ったものは全てメルカリで売れる。」

このインターネットと呼ばれる文明の利器がもたらした人類に共通する新たな真実をみなもしかと肝に銘じて今日という日を生きながらえて頂きたい。今日も想定してた文字数よりも大幅に長くなってしまったのでここらで失礼する。しからばごめん。

フェルマータ店主 KAORU

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